2.
暗闇の中にぽつんと佇む、喫茶店風のロッジハウスであった。古びた窓枠には、きちんと手入れされた観葉植物が飾られている。
何度かドアノブにまで手が伸びては、止まる。周りを見渡す。
2、3分ほど迷った挙句、
「あの……すみませんー」
意を決して、恐る恐るドアを開ける。
一昔前のドアベルの音が、涼しげに鳴り響いて終わる。
城島は店内に1歩、2歩踏み入れた。
床と同じ木目調の、レトロなテーブルと椅子が3、4組。カウンター席が5つ。
木製の棚には、店長の趣味か何かだろう、これまたレトロな照明器具がずらりと陳列している。
果たして人は、いた。
カウンターの隅の方で、顔をうつ伏せている。
城島は忍び足で近づき、様子を窺う。
「すみませーん……?」
返事は無い。
どうやら寝ているらしかった。
「あのお?」
3度目の呼びかけに身を捩った人間の顔を、そろりと覗き込んでみる。
突如、その眼が開いた。
「わあっ!?」
「どわ!?」
2人、同時に飛び退いた。
「あ、ああ! え? まさか、お客さんっ!? え、本当にお客さん!?」
「はい?」
「わーお客さん、本当に来たじゃん! すげぇよ、どこの預言者だよ、もう!」
「……はあ」
さて、店員らしき居眠り男は、わたわたと一人で激しく慌てつつ、しかし、眠気ざまプロフェッショナルの動きでレジカウンターを素早く掃除し出す。
「あーお客さん来るんだったら掃除しといたのに……細かい時間まで教えてよ。ちょっと店長ー!! 太一くん太一くんってば! お客さんだよ!」
古めかしいハタキで埃を払い飛ばしながら、背後へと声を投げかける。
カウンター奥から伸びる、細い階段が見えた。
「……はいはーい。お、やっぱ来たね。珍しい。久々だね」
居眠り店員(第一印象と言うものは恐ろしいものだ)の慌しさを物ともせず、階段をスローモーションで下りてきた、一人の男。
どうやら、彼が店長らしい。
「な。そろそろ一人来るんじゃないかなって、昨日話しただろ?」
「そりゃそうだけどさぁ。範囲が広すぎんのよ……いっつも行き当たりばったりだもんよー」
ぶつくさ言いながらも、居眠り店員は乾拭きしたカウンター席の椅子を1脚引いた。
座れ、ということのようだ。
高速で掃除された1人分のカウンター席だけ、ぽっかりと木目の本来の色が浮かび上がる。
勧められるのだから仕方ない。城島は遠慮がちに、椅子に腰掛けた。
聞きたいことが山ほどあるのだが、第一のタイミングを逃してしまって以来、何とも尋ね難い。
店のたった一人の店員は忙しそうに、ヤカンを火に掛けたり、珈琲豆を挽いていたりするし、店長、と呼ばれた男の方は、別に手伝うでもなく、ふらふらと店内の飾り棚を鑑賞してまわっている。
さて、会話もなく数分後。
注文したわけでもないのに、城島の元にホットコーヒーと菓子が置かれた。
「あれ? 僕、注文してへんけど……ここ、喫茶店ですか?」
「やだなーお兄さん。そんなワケないっしょ。これは、店員の心にくいサービスってヤツよ」
「はあ……どうも」
「あ、こっちのクッキーも店員ってゆかオレのサービスね。ちなみに手作り」
なかなかどうして、顔に似合わない可愛らしい趣味を持つ男であった。
こちらの様子をうかがう店員が、どうやら手作りクッキーの感想を求めていることに気付き、城島は、恐る恐ると手を伸ばす。
すると、背後から、ひょいと伸びてきた店長の指が、クッキーを1枚持ち去った。
「何の店だと思う? ここ」
「あ、ちょっと太一くん! お客さんのものつまみ食いしない!」
「うん、美味いね、このクッキー」
「あ、ほんまや。美味いな、これ」
城島も、つられてクッキーに口にしていた。
シナモン風味の軽い口当たり。初めて食べるはずなのに、何だか懐かしい味がする。
城島の素直な感想に、居眠り店員は気を良くしたらしい。
「ほ、本当に? なーんか……お客さんに言われると照れるねぇ」
「俺はいっつも美味しいって言ってんだけど」
「だってさぁ太一くん、何でも美味しいって言うんだもんよ」
「何でも美味しいんだもん」
2人が繰り広げる可笑しな言い争いに、置いてけぼり感を食らう城島である。
店長と店員、というよりかは、兄弟に近いのではないだろうか。城島は苦笑する。
兄弟、か。
そして、自らの現状を思い知って複雑な心境になる。
「じゃー、褒められついでに松岡店員。お客様に概要説明よろしく」
「おまッ……面倒なことは人任せかよ」
居眠り店員改め松岡店員は、仕事を丸投げした店長を軽く睨みつけると、渋々なのか意気揚々なのか、ワイシャツの襟首を正して城島の真向かいに立った。
少々緊張した面持ちになる。
咳払いを1回、深呼吸を1回。
「はい、いらっしゃいませお兄さん。ここでは、お客さまに『灯火』を差し上げることが出来ます。人生の夜を乗り越えるお供に、先の見えない暗い道を照らす光に、あらゆる場面とあらゆる時間で役に立つこと、間違いなし。御代はもちろん戴きません。お客さま。どの灯火が宜しいでしょうか?」
何と一呼吸で言い切られた。
松岡店員は、懐からカンペを取り出し一読、今日も完璧だとガッツポーズする。
「……」
呆気に取られる城島は、とにかく無言に徹するしか無かった。