3.
しばし固まった城島を、松岡店員はまじまじと見返してくる。「あれ? 説明不十分?」
「い……いやいやいや! もう結構ですんで」
「あ、そう?」
いそいそとカンペを懐に戻し、城島を前に、顔を近づける松岡店員。
機密情報でも漏らしてくれるのか、と言った具合だ。
「……で? どうなの」
「ど、どうって? どうって、何なんですの」
「だから灯火、要るの要らないの? ハッキリさせようよ、そこんとこ」
「あのー……ちゅーか。ともしび言われましても……」
行灯か提灯かでも貰えるのか、果たして貰ったとしても何の意味があるのか。
城島が混乱気味に顔を引きつらせていると、
「ねぇ、道は暗かった?」
不意に、二人の会話に声が割り込んだ。
棚に並んだランプを吟味している店長、そういえば先ほど、太一くん、と呼ばれていたか。
あまりにも、前後脈略の無い質問であった。
城島が、何のことかと頭を振ったが、太一店長は振り向かない。
「どこに行こうとしていたの?」
「どこ……? どこって。いや、僕は……何かよう分からんうちに、ここに……」
「本当に行こうとしてた場所は違うでしょ。だって、暗かったでしょう? 道」
「……」
接続詞の使い方が微妙に違うような気がする。
城島は、店長の問いに答えられなかった。
暗かった、とただ一言が言えない。
確かに、この店に辿り着くまでの舗装道路は、一様に暗かった。
だが、彼が言わんとしていることは、二重に仕掛けられている。気付いてしまったのだ。
暗かったのは、この店までの道程だけでは、なく……
暗喩に気付いた城島は、徐々に、険しい表情となる。
この店長、初対面の相手に向かって、にしては、
「それで? そこに辿りついても、アナタは、ドアを開けれるの?」
何故、こうも的を射た質問をぶつけてくれるのか。
城島は、不信感を顕わにしてカウンター席を立った。
がたん、と思った以上に大きな音で、椅子が跳ね退く。
「……何を知っとるんや、キミ」
途端に、不穏な空気。
松岡店員が心配そうに、二人の様子を互い見る。
「知らないよ、何も」
「知らんで言えるような質問や無かったようやけど?」
「店の周りが暗かったからね」
過去形で言われたことを不思議に思って、城島は窓の外を見る。
観葉植物の鉢植えが、燦々と太陽の光を浴びていた。
外が明るい。
まさか、そんなはずはない。
店に入ったときには、夜と見紛うほどに真っ暗闇で、電灯の光を頼りに歩いてきたのに。
「店の周りが暗くて、アナタが、ドアを開けるのを迷ったから」
城島は、異星人にでも出くわしたかのような態度で、店長を凝視する。
こちらがまじまじと見つめているにも関わらず、店長は澄ました顔で飾り棚を見て歩いている。
見透かしている、といった雰囲気ではなかった。
当然のことなのだが、彼は、ただ事実を事実として述べただけなのだ。
「どこに行こうとしていたの?」
店長の2度目の質問。
城島は、安穏とした空気にほだされてか、渋々席に戻った。
仕方なく、世間話のつもりで口を開く。
「お見舞いに」
「誰の」
「……弟。交通事故で入院してんのや」
「ふぅん。それで何でドアを開けれないの?」
城島が実際に開けることを躊躇ったドアは、この“灯火の店”(仮称)のドアであって、病室のドアだとは一言も口にしてはいない。
しばし沈黙する。太一店長の意図を読み取るための待ち時間であったのだが、都合に反して、松岡店員が絶妙のタイミングで話を続ける。
「へぇ。お兄さんは弟さんがいらっしゃるわけ」
「あ。ああ、うん。僕、長男で……下に2人」
「へぇ、長男さん。へぇ。あ、じゃあもしかして、その……交通事故って皆で車に乗ってて、とか?」
「いや入院してるのは、一番下の弟で……」
矢継ぎ早に繰り出される問いに、頭は疑問符を浮かべながらも、ついついと話を続けてしまう。
なるほど、確かにこの店長と店員、憎らしいほどに息の合ったコンビである。
兄弟の関係というのは、本当ならば、こんな感じなのだろうか。
「……正面向いて、話せんかったんかなぁ・・・」
太一店長はおろか、松岡店員も、間に何も挟まなかった。
他人事のように言ってのけてみたものの、今になって内心は動揺を隠せない。
「あの子が事故を起こしたのは……僕の責任なんよ」
急に独りでに惨めになり、城島の目はコーヒーカップを探していた。
「喧嘩してもうてな。普通の喧嘩やったと、思うけど。怒って家、飛び出してもうて。バイクで、運転結構荒かったんやな。で、対向車と衝突」
「え? けどそれ、お兄さんの責任じゃ全然ないっしょ」
「……分からんのや。正直」
ずっと、弟の事故は自分のせいだと、城島は思い続けている。
いや、思い続けていなければいけないような気がする、といった風が正しいかもしれない。
ほとんど強迫観念に近い。
「本物の兄貴として、やったら、どこまでアイツを心配してやれるんかなぁ、て」
城島には、ただ、弟との距離感がつかめなかったのだ。
あの他愛もない喧嘩は、本当に、それだけのものだったのだろうか。
家を飛び出した彼を止めていたら、などという後悔の念は不思議となかった。
残ったのは後悔ではなく、迷いだ。
松岡店員が、その言葉の裏を読み、緊張する様が見て取れた。
「迷ってるんやと思う。病室にいる弟と、どんな顔して会うたらええんかな。いや……この距離を埋める、目印が見えん」
兄でいられたのだろうか、いられるのだろうか、と、城島は答え相手もいない疑問を、心の奥底に仕舞ったままにしている。
病室のドアを開けたとしても、この問いの解決への糸口は、見当たらないのだろう。
そう思うと、結局堂々巡りに、面と向かって会えない。
「目印、ね」
太一店長が反芻した声が、少し遠い。
先ほどからやけに静かだと思っていたが、どうやらカウンターの奥まったところに立ち位置を変えていたらしい。
「そこに続くのは、ただのドアだよ。ドアは、開けるためにあるんだ」
太一店長は、至極、容易なことを当たり前に言ってのけたのだ。
城島は、だがあまりの正論に、言い返す言葉も無かった。
呆れて物が言えないのではない。
そんな簡単なことを今まで口に出せなかったのか、という衝撃に、である。
「それでも開けられない、ってんなら目印が要るね」
カウンター奥のガラス引き戸の飾り棚の中から、何か小物を取り出して来た。
ことり、とカウンターテーブルに置かれたそれは、古びたランプのようだ。
磨かれた銅色が、霞んだランプのガラス傘をほのかな金色へと染め替える。
そういえば、灯火を売るお店だとか、数分前に松岡店員が熱心に駄弁っていた気もする。
「うん……あのさ。オレ、アナタの弟さんのことも全然知らないし。どんな喧嘩だったのかとかも、わかんねーんだけどさ」
その松岡店員が、一度だけ太一店長に目配せした。
コーヒーカップを下げるわけでもなく、カウンターから離れる。
城島は不思議と、その行動に何の疑問も感じなかった。
「アナタは、間違いなくお兄さんやってると思うよ。全力で」
気恥ずかしさか、慌ててコーヒーの最後の一口を飲み終える。
城島が顔を上げると、照れくさそうな松岡店員が軽く手を振ったところだった。
店長は既に点したマッチの火を持って、これを待ってくれていたようだった。
カウンターテーブル、城島の目の前に置かれた、曇りガラスの銅製ランプに火が点される。
コーヒーカップに添えた指先が、柔らかく温まる。
急速に、何か視界が狭くなっていくような、酔いに似た感覚が襲った。
太一店長が、最後につぶやいた言葉を、城島は鮮明に覚えている。
「ではあなたには――“道標”を」