PRELUDE

「レーベで一泊した方が良かったんじゃないの?」

 小声で、そう尋ねたのはタイチだ。
 ぱちりと、焚き火の薪が弾ける不連続な音が、静寂を時折破る。
 夜だった。

「まぁそうなんだけどね」

 タイチの問いに素直に頷いたヤマグチは、薪を一本くべる。
 照明は、上弦の月と疎らな星明り、二人の間で静かに燃える焚き火の炎だけ。
 辺りは闇に包まれていた。
 遺跡の名残だろう石壁が点在する一角で、五人は休息を取っているのだ。
 仮眠中の見張りは交代制。今現在は、ヤマグチとタイチの二人である。

 一行がレーベの村を出発したのは、太陽が一番照りつける時間帯を二刻ほど過ぎた頃だった。

 まず第一の目的地は、『いざないの洞窟』。アリアハン大陸の北東のはずれに位置する洞窟だ。
 洞窟とは広義的な意味で、実際は地下に半分埋まった遺跡のようなものである。
 その昔は防砦だったとか城跡だったとか言われているが、本当の用途は少し違う。
 もっとも、その特殊な用途としても今は機能していないことは事実で、結局のところ、最後にはただの廃墟に落ち着く平凡なミステリースポット。
 場所が場所なだけに、ここ数年は人っ子一人訪れていないだろう、とはシゲルの談である。

 距離も城下町間とそう変わらない程度に、ある。
 レーベの村から順調に進んでも、半日強はかかってしまうだろう。
 今から出発するのは遅いのではないか、とタイチが思ったのも当然だ。
 その無理を押して発ちたい、と急かしたのがヤマグチだった。

「向こうの大陸に渡ると、魔物も強くなるだろ。野宿に慣れさせるなら、今のうちかなと思って」

 間近でぐーすか眠っている三人、うち二人はヒヨっこ冒険者である。
 今後、高確率で続くだろう冒険中の最大の危険行事と言えば、野宿。
 アリアハン大陸に滞在するうちに、一度体験させてやりたかったらしい。
 つまり、傍でヒヨっこだと言い放ちつつも、彼らを長く厳しい冒険の旅に付き合わせることを、ある意味認めたのだろう。
 同伴者と言うか、保護者と言うか。
 タイチが、遠慮がちに笑った。

「何かヤマグチくん、引率の先生みたいだよね」
「……勘弁してくれ」
Level 07. いざないの洞窟の5人-(1)
 さて、初野宿後に明けた、朝である。

「マボ、寝不足?」

 ナガセは、マツオカが背伸びと一緒に、眠たげな欠伸をしているのを見つけたのだ。
 早朝の森林浴を目一杯楽しむナガセとは、対照的な顔色である。
 首を左右にポキポキ揺らして、マツオカは少々げんなりとした面持ちでナガセを見返す。

「お前、あれだけぐっすりと……よく眠れるよな」
「何かキャンプみたいで楽しくないッスか?」
「魔物の徘徊する森でキャンプなんてしたくねぇ」

 マツオカの溜め息と同じ感触でもって、ナガセの後頭部をぺちりと叩いたのは、タイチだ。

「バカ。自慢にはなんねぇよ。もし魔物が出てきても、すぐに戦闘態勢に入れるのがベスト」
「寝てる間に死なれると、後が困るしなぁ」

 ばっさりとキングアックス並に切り落としたヤマグチ、声が笑っているのに目が笑っていない。
 いわく、最も怖い黄金熊の習性である。
 硬直したナガセは、そそくさと野営地から撤退した。
 旅立って二日目にして野営中の事故死など、確かに考えたくもない惨状。

 どこでも、それこそ迷いの森でも幽霊屋敷でも眠れる自信は、強みであり特技だ。
 冒険中に、この特技が有効なのかどうかはさておき、実際、仮眠中に魔物が襲いかかってきたとして、寝起きざま武器を取って迎撃に入るなどという芸当、出来るだろうか。
 ナガセには120%無理だろう。断言してしまえる。根拠は単純明快。寝るのは得意だが、起きるのが苦手なのである。
 何より、キリの良いところまで眠っていたい理由がある。

 夢が途中で終わるのが、気持ち悪い。 
 特に、“森”の夢は。

 今更になって、また眠気が襲ってきた。夢の続きを要求する頭が、睡眠を促しているらしい。
 ナガセは目覚ましがてら、しばらく散歩してみることにした。
 付近に魔物の気配は無いようだ。

 アリアハン大陸北部、ケアンの森。
 濃い朝靄が、鬱蒼と繁る森の中に石造りの遺跡を浮かび上がらせる。

「ナガセか。おはよさん」

 倒れた石柱に、長椅子代わりに腰掛けている。
 シゲルであった。
 すぐ横に、遺跡の名残であろう瓦礫の山が散在している。

「おはようございます」
「よう眠れたか?」
「うん……あ、えーと。いやっ、でも、ちゃんと起きてますよ!」
「ん? そうかそうか。そんなら、そろそろ、準備せなあかんなぁ」

 ナガセの宣言の背景にあるものを見過ごしたか、見透かしたか、満足そうに微笑む。
 シゲルはゆっくりと立ち上がり屈伸運動すると、ナガセの見つめる傍ら、瓦礫の山の麓を、半円状に、等間隔の歩幅で歩き出した。
 距離を測っているらしい。

「ふむ……こんぐらいかなー。うーん……何とか上手く行きそうやな」
「何がッスか?」
「洞窟に入るには、まず封印を解かなあかんからな」

 ナガセは、目の前の淡白な光景を見て首を傾げた。
 霧が、徐々に薄まり始める。
 瓦礫の山は、野営地の場所から思っていたよりもずっと近くにあったらしい。
 朝靄のカーテンの向こう側から、マツオカが歩いてくるのが見える。
 すぐ後ろに、ヤマグチとタイチの姿も続く。

 視線を戻す。
 相変わらず、ただ悠然と構える瓦礫の山である。
 霧がすっかり晴れ始めているというのに、洞窟など、どこにも見当たらない。

「へ……あれ? だって……ここが、その……いざないの洞窟?」

 ある特殊な事情で封印されているという、アリアハン七不思議のひとつ、いざないの洞窟。
 封印を解く、との事情は、レーベの村を出発したときに聞いていたので、理解できる。
 ならば封印の扉に似て非なるものが存在するに違いない、とナガセは思っていたのだ。

 だが、そもそも洞窟と思しき入り口さえ見つけられない。
 それもそのはず。遺跡の残骸列挙と、まるっきり同化してしまっているためだ。

「封印って……原始的なのね」

 マツオカ、ぼそりと口にした。
 何か高度な魔法か呪術か、複雑な仕掛けでもって封じてあると考えていたのだ。
 実はナガセも、全く同じ考えであった。

 拍子抜け、と言ったら失礼だろうか。
 『いざないの洞窟』は、確かにその入り口を閉ざしてはいた。
 ようするに、入り口を滅茶苦茶に破壊した結果、堆積した大量の土砂と石壁の瓦礫とで、洞窟を封じていたのである。
 単純に、先に進めないようになっている。
 しかし、この単純な封印で、なかなかどうして厄介なものでもあるのだ。

「どうしよう。これ退かしてたら何日もかかっちゃうよ?」

 何せ、相手は単なる石の山。
 魔法で練り上げられた封印ならば解除の仕方も複数あろうが、物理的な障害となると、こちらも正攻法で掛かる以外にないだろう。

「で、僕の造った“コレ”の出番、ってワケや」
「あ、魔法の玉っスね!」

 シゲルが巨大三次元道具袋から意気揚々と取り出したのは、
 先日、ボロ小屋ならぬ幽霊屋敷、ならぬオークス魔法道具屋コレクション倉庫兼研究室で漁ってきた、“彼の自作”とか言う魔法のアイテムだ。
 表面に細工が成されている、濃い青紫の光沢を放つ球体。天球儀のようにも見える。
 どうやら『いざないの洞窟』に入るためには必要不可欠なアイテムらしいが、見た目は、魔法と名の付く意外は、文字通りただの飾り球である。

「これを、どうやって使うわけ?」
「うん、良い質問や。ここは、正々堂々と攻めなあかんと思てな」

 シゲルが真剣な目つきで一同を振りやった。

「目には目を――瓦礫には爆発を! 爆破で木っ端微塵に!!」
「殴っていいか」
「完膚なきまでにお願いします」

 タイチが高級ホテルのベルボーイ風味な笑顔で、ヤマグチに道を譲った。

「シゲさんなぁ……爆破後のことを考えてみようか。あの瓦礫山、でかい爆風で吹っ飛ばしたら、まず俺らが危険だろ。逆に威力が弱かったら、中途半端に石山壊れて、ますます洞窟塞がっちまうだろうが」
「ちょ、ちょぉ待ち! 話は最後まで聞いて!」

 戦士Lv16(次のレベルアップまでに必要な経験値あと24)の目が据わっている。
 いよいよ生命の危機を察知したらしいシゲル、慌てて割って入る。

「この“魔法の玉”ちゅーのは、時間差で、こう……一箇所。狭い範囲で爆発するんよ。使った魔法の効力を溜め込んで、一点に収束させる効果があるんや。そのまましばらく保留に出来るし、解除の呪文を唱えるだけで、即数秒後に『どかん!』」
「……ほー、それは確かに便利」

 時間差で遅延して発動する魔法は少ない。
 大概の呪文は、詠唱と魔力の気の移動をマニュアル通りに順立てて行い、その直後に発動するものである。加えて魔法の制御ともなると、もう魔法使いの専売特許だ。
 しかし、シゲルの言う効力が本物ならば、例えば魔法力が切れてしまっていても、一介の素人でさえ上級呪文並みの威力を出せる、ということになる。

「じゃ、発動のタイミングを見計らって逃げれば良いってわけね。どんぐらいの威力が出るの?」
「いや。試作品やから、全くわからん」
「……やっぱり殴っていいか?」

 シゲル、『魔法の玉』プロトタイプの実験をしたかっただけらしい。

「何の魔法を当てれば良いの?」
「出来れば“赤”の中級以上やけど……」
「あ、じゃー俺パス。火の魔法、苦手なの」

 タイチが、ぱ、と手を挙げてから、まず颯爽と辞退(というよりも、この場合、即時避難)した。

「俺も無理。下級のしか使えねぇし」
「オレもー。ってゆうか赤の魔法覚えてないんだよね」

 残るは四人だが、ヤマグチとマツオカがさりげなく素早く、二抜け、三抜け。

「……」
「……」

 余ったナガセとシゲルは、しばし無言でお互いを窺い合った。

「オレも下級のなら何とかなるかもしれないけど……無理ッスよ。リーダーは?」
「ぼ、ぼくかッ!?」

 少々、声が裏返った。
 ナガセは、その狼狽に気付かずに、先を続ける。

「赤の魔法、使えるんじゃないッスか?」
「あー、あー、あー。えと、あのなぁ……実は、僕、魔法苦手やねん」
「嘘だぁ! だってリーダー、オレに魔法教えてくれてるじゃん。メラ使えるようになったの、リーダーのおかげなんスよ?」
「……や。いや、まぁ、いち知識としてあるだけ、とゆうか。教えることは出来るんやけど……」

 何とも歯切れの悪い受け答えである。

「使うの嫌なの? あ、わかった! 実は封印されてるとか。それとも使うと封印が解けてリーダーが魔王になるとか! うわ、すげぇ!」
「どこの喜劇小説だよ」
「えーじゃあ、本当に苦手なの? オレみたいに威力がバラついてるってこと?」

 シゲルが眼を見張った。
 幼馴染のやり取りをしばらく観賞して、会話の終わりにぽつりと、つぶやく。

「……当たり」
「え、どれ!?」

 同時に振り向いたナガセとマツオカ、心底驚いた。
 まさか本当に的を射ていたとは、思わなかったらしい。
 シゲルは、空中の透明な羽虫を探しながら、居心地悪そうに頭を掻く。二回、自分を納得させるように頷いた。

「うーん……しゃーないか。よっしゃ。今回だけ、やで」
「……使うのか?」

 ヤマグチがわずかに驚いて問う様子を、マツオカは不思議な心境で眺めている。
 魔法を使えることを、何か、ひた隠しにしているような雰囲気であった。
 それは、大きな矛盾だ。
 確かに、魔法と名の付く商人を自称するからには、使えないほうがおかしいのではあるが。

「アンタ、やっぱ魔法使えるんだ」
「や。いや、まぁ……頭の肥やし程度には、な。あんまし期待せんといてな」

 それとなく焦点をはぐらかすシゲルと、一瞬、目が合う。
 それとなく事情を察するタイチである。嘆息する。

 頭の肥やし程度の修行で、赤の中級魔法を使えるはずなど、ないのだ。
 シゲルは魔法使いとしても(むしろ、魔法使いとしての方が)、極めて優秀な力を持っていた。

 本来、物に魔法を込めるなぞ、余程強い魔法使いにでも容易には出来ない。限られた技術と、多くの労力とを必要とする芸当だ。
 しかも、確実な見返りがあるとは言い難い。
 さらに結論から言ってしまえば、魔法使い自体は、魔法道具を必要としない場合が多い。
 だから、殆どの魔法道具の研究家たちは、国家や大掛かりなギルドの要請を受けて直接に所属し、資金面で支援を貰っているわけだ。
 本人曰く個人で、趣味だけで行っているとしたら、大変に無駄な行為ではないか。

 その無駄な行為を、つとめて深刻な理由で続ける男が、シゲルという魔法商人だったのだ。
 マツオカは、矛盾に気付き始めている。
 助け舟を出すつもりは毛頭ないが、この場で明かす理由もないだろうか、との結論に至ったタイチは、仕方なしに先を切り出した。

「ってゆーか、元々リーダーが作ったものなんだからさ。自分の尻拭いは自分でしてよね」
「何や……失敗すること前提で話しとらんか?」
「マツオカー、念のために、防御の呪文使っといてくれる? 瓦礫が飛び散ると危ないし」
「あ、分かった。じゃオレ使える。物理攻撃ので良いんだよね?」

 マツオカがそれに応えて、ぽんと手を合わせた。
 早速、さらさらと詠唱をなぞり、正面に軽く片手を突き出すと、目の前の空間から発生した青い光の輪が、波紋のように広がり、五人を包み込む。

「おー、すげぇマボ」

 ナガセは目に見えた呪文の効力に感心して、自分の衣服や両手の甲を眺めた。
 光は、身体や障害物に触れると染み込み、すぐに見えなくなった。
 だが、確かに、指先がほのかに温かい。静かな魔法の恩恵を感じることが出来る。

「防御力を高める呪文だ。魔法攻撃には効かないんだけど使い勝手良いし、割と便利っしょ」

 マツオカ、ナガセに向かって少し自慢げにブイサインを作って見せた。
 攻撃呪文は苦手だが、援護の呪文は得意らしい。面目躍如。
 あらゆる意味で、僧侶らしい僧侶、といったところか。

 ヤマグチは防御呪文の発動を確認すると、皆に瓦礫の山から離れるよう促した。
 近くの石壁を盾にするように、身をひそめる。
 狭い範囲とは言うものの、どのぐらいの威力が出るのか分からない以上、なるべくならば安全な場所に避難しなくてはならない。
 強行突破という、危険な賭けであることに間違いはないのだ。

「リーダー、気をつけて下さいねー」
「はいよー」

 石壁からひょこりと顔を覗かせるナガセの声に、危機感なさげに手を振って応える。
 おそらく、その応答までが、魔法商人シゲルであった。
 魔法の玉を、右の掌に乗せて安定させる。
 深呼吸。短時間の集中を解き放った。

「“禍い焼きて撃ち倒せ、鬼哭鎮めよ”」

 一秒たりとも滞ることの無い、流れるような詠唱だった。

「―――“炎の鉄槌”」

 金属のかち合う衝撃に似た甲高い音が短く響き、魔法の玉が、赤い光の帯を吸い込む。
 呪文は完成したようだ。

「皆、頭下げぇ!」

 シゲルの合図一言で、魔法の玉は、ぽーんと絶妙な弧を描いて空中に放り出され、土砂壁に激突、今まさに跳ね返る、というその瞬間に炸裂した。
 凄まじい爆発音が辺りに木霊する。
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