投げ込まれた魔法の玉、試作品だという割には、その役割を十二分に発揮していたようだ。
轟音と共に、瓦礫の山が崩れていく。
もろもろと、さながら乾ききった堅パンのように上から落ちてくる砂利の欠片。
ヤマグチが、西大陸まで見通すんじゃないかというほど遠い目でつぶやいた。
「これって……メラミだよな?」
「中級の、火の魔法だね」
さも当然、とこちらは濁り酒並に不透明な目のタイチが、隣でぼんやり相槌を打つ。
シゲルが“魔法の玉”に込めた赤の中級魔法、メラミという、炎の塊を作り出す呪文であった。
初歩の初歩、メラの1段階、上である。
対魔物用の赤の魔法としては、比較的、汎用性も攻撃力も高い。
が、過大に見積もっても、その尋常ならざる破壊力。
「……嘘ぉ」
胡散臭い、胡散臭い、この男明らかに胡散臭い、と、三連呼する勢いでシゲルを凝視するマツオカである。
実際に平均的な呪文の効果を目で見たことがあるわけではないが、どう考えても、たかだか中級魔法の成せる技では無いように思える。
“魔法の玉”という特殊アイテムを媒介しつつも、下手すれば赤の最強魔法に匹敵するんでは無いか、という驚異的な威力であった。
もうもうと煙立つ土砂壁の残骸、シゲルが咳き込みながら姿を現す。
「うおっほん、えっほ、げほ……やぁ、久しぶりに使うと手加減できんもんやなぁ……と、どあっ!?」
「……」
たった今、自分の手で破壊したばかりの瓦礫にけつまづき、盛大にすっ転んでいる魔法商人からは、数秒前のプレッシャーは消え失せている。
この男は敵に回せない、かもしれない。
偽者くさい高笑いの背後に見える守護霊か何かの気配が、マツオカ含め年長者から順に3名を沈黙の底へ落としていた。
「ん?……僕の素性が気になるんか?」
「うっさい。なるべく気にしないようにしてんの」
「あ! やったー道があるね」
そして、三人の意識を現実へと引き戻したのは、意外や一人、胆の据わったナガセであった。
土砂を除けた奥に、地下へと伸びる階段が続いている。
いざないの洞窟の封印は、解かれた。
急激に消えた温度差の壁が、黴臭い風を吹き込んでいる。
長く人の踏み込まなかった遺跡だ。完全なる暗闇にランプなどの灯りは見られない。
どこまで、入り口の陽光が導いてくれるだろうか。
「あっ! そうだ、たいまつ……どうしよう?」
「それは大丈夫、呪文あるから。もうちょっと地下に入らないと使えないけど……」
「二人とも、装備確認しとけ。地底の魔物は手強い場合が多い」
ぱた、とナガセとマツオカは動きを止めて、顔を見合わせる。
ナガセは腰に括りつけた両刃の長剣を、わずかに鞘からずらしてみた。
練習用に持っていた銅の剣よりも格段に重いが、リーチも広い。
大丈夫、有事の際には何時でも抜ける態勢になっている。
マツオカは、護身用にと携帯しておいた聖なるナイフを、汗ばむ手で握り締める。
魔物退治専門の僧侶だった養父の手ほどきを受けていた実績上、白兵戦の技術は、そこいらの神父よりかは高いはずなのだ。
もっとも、実戦でどこまで役に立てるか、ナジミの塔での一件で軽く証明済であるが。
「よし」
入り口すぐの階段は、浅い。三、四段下りてすぐのフロア、広い地下の空間に出る。
埃被った独特の石室の臭い。空気が目まぐるしく動いている。
薄暗い。どのぐらいの広さかは、判断出来なかった。東からの太陽光が差し込む限界だ。
「行くぜ」
アリアハンの五人。
これよりダンジョン、『いざないの洞窟』に挑む。
タイチが部屋の隅に向かって、呪文を唱えている。
「“闇を翻す昼の光を壺中天に纏え”」
ナガセが見つめる視線の先、何の変哲も無い壁が、一斉に白く輝き出した。
光の魔法である。
松明の炎とは異質な、鮮やかな白光が、洞窟の壁に吸い込まれて明るさを増してゆく。
数秒の後、地下遺跡はまるで真昼時の青空教室のような、不思議な空間へと変わっていた。
「……おおー! これすげぇ! すげぇタイチくん! 何て呪文?」
「レミーラ……てゆか、レミーラでそんな感動されたの、初めてなんだけど」
「いいなぁ。覚えればオレも使えますか?」
「お前は覚えなくていーんだよ。俺が使えるんだから」
タイチが苦笑する。
“レミーラ”は探索補助の呪文、“緑の魔法”の一つで、割合と低級に分類される。
冒険者パーティーのうち最低一人、使用できると便利な屋内照明の呪文である。
つまり、この呪文を覚えるのは一パーティーにつき、一人で十分。一人旅でもなければ、習得する機会はない。
それは、タイチが一人旅の経験者だという事実も、同時に伝えているのだ。
明るくなった洞窟内部で、シゲルは、懐から古びた三つ折の紙を取り出す。
「ええと。内部の地図によると、そんなに複雑な造りやないみたいやね」
「二……三刻ほどあれば、最深部まで行けるか」
遺跡のフロア数にもよるが、レミーラの呪文は、最長で二刻ほどは持つ。
上手く移動すれば、照明が効果を切らす時間内のうちに、安全に踏破できるだろう。
ただ、不安材料が無いわけではない。
「道が塞がってなけりゃ良いんだけどな」
ヤマグチは、落石や落盤などで遺跡の地下通路が塞がっていることを危惧しているのだ。
内部の地図があるとは言え、相当古い。道が途切れていたとしても不思議ではない。
マツオカが、心配げに肩をすくめた。
「道、塞がってたら、どうすんのよ?」
「さぁ? 強行突破するか?」
「……そこに、引き返すとかって選択肢は出てこないわけ?」
あっけらかんとした戦士の返答に、わずかばかり言葉詰まる。
目の前に立ちふさがる壁を、避けるか越えるか、ぶち壊すかの違いだったようだ。
このパーティー、もしかしたら抑え役が居ないのではないか。
末恐ろしいことを考える当のマツオカには、自分がつっかえ棒になれる自信が無い。
「まぁ、進んでみれば分かるやろ。えーと……まずは、部屋から出て、右、やな」
地図を片手にしたシゲルの先導により、五人はひとまず歩を進めることとなった。
洞窟内は、一様に明るい。ともすれば地下だということを忘れてしまうほどだ。
ナガセが、先日、マツオカやヤマグチと共に侵入した『岬の洞窟』の時は、照明と言えば松明の灯りのみだったので、薄暗く、目印にも困った。
幸いなことに、岬の洞窟はほぼ一本道だったので、簡単に踏破出来たのだが、比べれば、進みやすさは雲泥の差である。
「便利ッスねー、光の呪文……」
「うーん便利は便利だけど、これ、何の前触れもなしに突然、ぷつっと消えるんだよね。戦闘中に消えたら結構危ないし……賢い魔物がいたら侵入者だって気付かれるしね」
「まぁ、夜目の効く魔物に不意打ちされるよりかは、マシだな」
「ふぅん、夜目ってのは分かるけど……この辺に賢いモンスターなんていんの?」
知能の高いモンスターが、直接イコールで強いモンスターに繋がるわけではないが、戦闘となると、こちらを化かすつもりで作戦立ててくるので、確実に戦いにくい。
『ナジミの塔』や『岬の洞窟』には、知能の低い、いわゆる動物本能的なモンスターしかいなかったはずだ。
アリアハンは孤島だけに、基本的には、それほど強いモンスターがいる地方ではない。
「うーん、この辺りだと……“まほうつかい”、とか」
「まほーつかい」
「あ、アレね。鬼人属の……『フード被ってて見た目は魔法使いの老人っぽいけど、中身はしっかりゴースト系魔物』って、モンスター。呪文も使ってくるんだっけ」
「へー、それって」
ナガセが嬉しそうに指差した方向、フロアを出た先は幅広の通路であった。
「まさに、あんな感じッスよね!」
視野を遮るものひとつなく、ひたすら真っ直ぐに伸びる、直線通路。
その10mほど先に、苔緑色のフード被ってて見た目は魔法使いの老人っぽいけど中身はしっかりゴースト系らしい魔物が、その他大勢の魔物―――色が気持ち悪いいっかくうさぎ(アルミラージ)、毒色平べったいスライム(バブルスライム)、巨大化したカエル(フロッガー)、爪が長い毛むくじゃらの謎の生き物(おばけありくい)、全てナガセ曰く―――諸々と共に群れていた。
完全に気付かれているらしい。一行を睨みつけている。
「……そう。あんな感じ」
「ねーマボ。魔物の善悪って、付け難い、んだよね?」
群れを成す人面蝶の数匹が、喧しい羽音で辺りを飛び交っている。
飛翔する魔物との三次元距離を測るナガセが、背中合わせにつぶやくと、短剣を首元に構えたマツオカは、肩をすくめた。
眼前には、おばけありくいが一体。
「……時と場合によるな」
悪意を持ってこちらを襲ってくるモンスターに対して、完全に専守防衛になれるほど、非暴力主義な僧侶ではないのだ。
戦う必要があるときは、戦う。
養父であり師でもある神父、割合と現実的で広義な解釈法を持つ僧侶であった。
冒険者として旅をするに当たっては、幸運な育ち方をしたと、マツオカは思う。
「オレは残念ながら、そこまで信仰心篤い僧侶じゃないの」
突進してきたおばけありくいを、壁際に避けて左足で蹴り飛ばす。
体勢を崩したところを視界の端に捉えたナガセが、振り向きざまに長剣の一撃で仕留める。
マツオカは、ナガセに飛び掛かる人面蝶を素早く切り伏せた。
さらに追撃をかけてくるもう一体が、目の前で飛剣の刃に切り落とされる。
「何だ……結構、やるじゃんマツオカ」
弧を描くように空中を飛ぶ刃を、器用にキャッチしたタイチである。
「前にヤマグチくんが散々文句言ってたから、どんなのかと思ってたのに」
「いや、ま。オレもやるときはやるってことよ。あの時は武器持ってなかったしさ……ってゆーか、タイチくん、ずるくねぇそれ?」
「そう?」
タイチが扱っている武器は、ナガセやヤマグチが持つ通常の剣とは異なり、大きく沿った半円に刃を付けたような、特殊な形状をしている。
投げつけて手元に戻すことが出来る、チャクラムと呼ばれる飛剣である。
「面白そうだよねー、それ。ブーメランみたい」
「……頼むから、使ってみたいとか言うなよ」
「ええ、何でッスか?」
「手元に戻ってくるまでに、誰かに刺さりそうだから」
遠くから敵を攻撃できるという利点があるものの、それなりの技術が必要とされる。
上手く投げないと目標に当たらないどころか、逆に周囲や自分にまで危害が加わりそうだ。
じゃあ周りに誰もいない時に投げさせてもらおう、と、ナガセは一人結論付けたらしい、素直に引き下がった。
人面蝶の群れは、なかなか数がゼロにならない。
大小入り乱れて、減ったと思ったら飛来して、残り三匹ほどだろうか。
「飛び道具って良いよなぁ……あー、オレも攻撃呪文、もっと練習しとけば良かった」
マツオカがそう愚痴りながら、聖なるナイフを持つ利き手をくるくると回す。
軽い短剣とは言え、さすがに手首が疲れてきた。
そんな短剣より格段に重い両手剣を振り回すヤマグチはと言うと、まだ、立て続けにトロル二、三体は倒せそうな雰囲気だ。
あれで、かなりの負担があると思うのだが、顔色一つ変えていない。
この底なし黄金熊。マツオカがこっそり悪態吐いたのを、ヤマグチは聞き逃さなかったらしい。
「マツオカ。お前、絶対、接近戦向きだぞ。攻撃呪文覚えるより、俺やナガセみたいに剣とか持った方がいいんじゃねーの?」
「はあ!? じょーだん止めてよ。オレは安全圏にいたいの!」
「あ。悪ぃ、一匹逃した。うしろ危ないぞー」
「ぎゃああ!! 兄ぃ、そーゆうことは早く言って!!」
後頭部に今やと迫る人面蝶の牙、マツオカは慌てて短剣を逆手に持ち直す。
が、翻した短剣の切っ先より早く、どこかから飛んできた炎の弾がモンスターを直撃したのだ。
炎に焼かれてはらりと落ちる、人面蝶の成れの果て。相向うで静かに杖先を向けていたのは、シゲルである。
ふっ、と浮かべた安堵の笑みが、会心の笑みに変わる。
「ふ、ふっ、ふっふふ……見たか! “魔導士の杖”の威力!」
「いや、あんたじゃなくて杖かよ!」
絶妙のタイミングでつっこんだマツオカの手製ハリセンは、シゲルの後頭部をキレイな音を出して引っ叩いた。
「すっげーすっげー! 今の何? 今の、魔法!?」
「いや魔法じゃなくて、“魔法道具”」
「……コツさえ掴めば子供でも使えるんだよねぇ、あれ。って、マツオカ、お前一体どっからハリセン出したんだ……」
興奮しっ放しにまくし立てるナガセと対称的に、冷静に解説するヤマグチと、静かに毒を吐くタイチである。
魔法道具、“魔導士の杖”。
木製の柄の先端に、金属の土台と赤い石が取り付けられており、火の下級呪文と同等の効果をもたらす魔法を、石の内に封じてある。
杖自身が、自動で魔力を吸収し補うという半永久的なサイクルでもって効力を保ち、最もポピュラーにして、比較的敷居の低い魔法道具であると言えよう。
「実際に呪文を唱えるより出が早いし、魔法力も少しで済む。これで意外と耐久もあるしな。結構便利やね」
「オレも使えます?」
「うん。練習すれば、な」
「けどナガセは、杖の集中するヒマあるぐらいなら、剣使うでしょ?」
なるほどタイチに言われるところ、もっともであった。
魔法道具に分類されるうちの半分は、武器の不得意な行商人や旅行者らが、突然襲われたモンスターに立ち向かうために考案されているのだ。戦士用ではない。
「魔法道具って言っても、集中する時間は本来の呪文とそうそう変わんないしな」
最後の人面蝶を一刀両断に下に沈めて、ヤマグチが剣を鞘に収めた。
戦闘の疲れからでは無いが、小さく溜め息を吐く。
洞窟に入ってから、そろそろ2刻は経つだろうか。
内部に巣食っていたモンスターが予想を上回る数だったためか、当初予定していた踏破時間を、大幅に超過してしまっているのだ。
「ヤマグチくん、この突き当たりを右だっけ?」
突き当たりのT字路で、タイチが立ち止まっている。
「そうだけど、何でだ?」
「これ、進めそうにないんスけど……」
その横に並んで一緒に角を覗き込んでいたナガセが、眉根を寄せた複雑な表情で振り向いた。
T字路の右、そこには通路が延びている、はずだったのだが。
「うわ、床抜けてんじゃん!」
「あー……あると思ったんだよな、こういう展開」
本来あるべき通路の床石が完全に崩れ、階下へ陥没していたのだ。
石張りの廊下は原型を留めず、数mに渡り床を消滅させてしまっていた。
これでは、先に進めない。まさしく、危惧していた事態である。
相当古い遺跡だったから、何処彼処でガタが来るのは当然だった。
「……どうしよう?」
「最終的には、地下二階まで下りるんでしょ? 飛び降りればいいんじゃない?」
タイチが、手持ちの盗賊七つ道具のひとつ、フック付きロープを用意し始める。
地下は二階層だ。現在、五人が進んでいる地下一階、それに目指す地下二階。
落ちた床下は、土壁ではない。レミーラの効力が継続する、階下のフロアが確認できる。
手っ取り早く先を急ぐには、階下のフロアへ飛び降りることだ。
ナガセは床下に顔だけ突っ込んで、真っ逆さまになると、下のフロアを覗いてみた。
20m四方はあるだろうか、広い部屋のようだ。天井、つまりナガセたちの位置で言うところの床までは、7、8mほど。
目視ではモンスターも確認できない。
「うん。行けそうッスよ」
「ちょ……ちょっと待て。下まで結構、あるじゃんよ!」
即行で首をぶんぶんと否定に振る、マツオカの顔が青ざめる。
助け舟ではないのだが、シゲルも首を振った。地図の現在地を指差す。
「あかん。この真下のフロアは、ちょうど独立しとるんや。同じ地下二階でも、僕らが目指しとるフロアには繋がっとらんわ」
「ええっ!? じゃーどうするんスか」
「うん、ま、こーゆう事態も予想してなかったわけやない。ルート、変えてみよか。幸い修正効きそうやし……」
―――と、踵を返した、その瞬間だ。
突き当たるT字路の逆方向、一行が今まで進んできた通路の手前の方から、すうと、急激に何かが暗まっていくのが見えた。
最初に気が付いたのは、最後尾のヤマグチだ。
「あ、やべぇ……!」
「へ?」
マツオカが何事かと振り向いたとき、洞窟内は、ものの一瞬にして暗闇に落ちたのだ。
轟音と共に、瓦礫の山が崩れていく。
もろもろと、さながら乾ききった堅パンのように上から落ちてくる砂利の欠片。
ヤマグチが、西大陸まで見通すんじゃないかというほど遠い目でつぶやいた。
「これって……メラミだよな?」
「中級の、火の魔法だね」
さも当然、とこちらは濁り酒並に不透明な目のタイチが、隣でぼんやり相槌を打つ。
シゲルが“魔法の玉”に込めた赤の中級魔法、メラミという、炎の塊を作り出す呪文であった。
初歩の初歩、メラの1段階、上である。
対魔物用の赤の魔法としては、比較的、汎用性も攻撃力も高い。
が、過大に見積もっても、その尋常ならざる破壊力。
「……嘘ぉ」
胡散臭い、胡散臭い、この男明らかに胡散臭い、と、三連呼する勢いでシゲルを凝視するマツオカである。
実際に平均的な呪文の効果を目で見たことがあるわけではないが、どう考えても、たかだか中級魔法の成せる技では無いように思える。
“魔法の玉”という特殊アイテムを媒介しつつも、下手すれば赤の最強魔法に匹敵するんでは無いか、という驚異的な威力であった。
もうもうと煙立つ土砂壁の残骸、シゲルが咳き込みながら姿を現す。
「うおっほん、えっほ、げほ……やぁ、久しぶりに使うと手加減できんもんやなぁ……と、どあっ!?」
「……」
たった今、自分の手で破壊したばかりの瓦礫にけつまづき、盛大にすっ転んでいる魔法商人からは、数秒前のプレッシャーは消え失せている。
この男は敵に回せない、かもしれない。
偽者くさい高笑いの背後に見える守護霊か何かの気配が、マツオカ含め年長者から順に3名を沈黙の底へ落としていた。
「ん?……僕の素性が気になるんか?」
「うっさい。なるべく気にしないようにしてんの」
「あ! やったー道があるね」
そして、三人の意識を現実へと引き戻したのは、意外や一人、胆の据わったナガセであった。
土砂を除けた奥に、地下へと伸びる階段が続いている。
いざないの洞窟の封印は、解かれた。
急激に消えた温度差の壁が、黴臭い風を吹き込んでいる。
長く人の踏み込まなかった遺跡だ。完全なる暗闇にランプなどの灯りは見られない。
どこまで、入り口の陽光が導いてくれるだろうか。
「あっ! そうだ、たいまつ……どうしよう?」
「それは大丈夫、呪文あるから。もうちょっと地下に入らないと使えないけど……」
「二人とも、装備確認しとけ。地底の魔物は手強い場合が多い」
ぱた、とナガセとマツオカは動きを止めて、顔を見合わせる。
ナガセは腰に括りつけた両刃の長剣を、わずかに鞘からずらしてみた。
練習用に持っていた銅の剣よりも格段に重いが、リーチも広い。
大丈夫、有事の際には何時でも抜ける態勢になっている。
マツオカは、護身用にと携帯しておいた聖なるナイフを、汗ばむ手で握り締める。
魔物退治専門の僧侶だった養父の手ほどきを受けていた実績上、白兵戦の技術は、そこいらの神父よりかは高いはずなのだ。
もっとも、実戦でどこまで役に立てるか、ナジミの塔での一件で軽く証明済であるが。
「よし」
入り口すぐの階段は、浅い。三、四段下りてすぐのフロア、広い地下の空間に出る。
埃被った独特の石室の臭い。空気が目まぐるしく動いている。
薄暗い。どのぐらいの広さかは、判断出来なかった。東からの太陽光が差し込む限界だ。
「行くぜ」
アリアハンの五人。
これよりダンジョン、『いざないの洞窟』に挑む。
Level 07+a. いざないの洞窟の5人-(2)
「―――“照らせ、暗黒の外套を脱ぎ捨て”」タイチが部屋の隅に向かって、呪文を唱えている。
「“闇を翻す昼の光を壺中天に纏え”」
ナガセが見つめる視線の先、何の変哲も無い壁が、一斉に白く輝き出した。
光の魔法である。
松明の炎とは異質な、鮮やかな白光が、洞窟の壁に吸い込まれて明るさを増してゆく。
数秒の後、地下遺跡はまるで真昼時の青空教室のような、不思議な空間へと変わっていた。
「……おおー! これすげぇ! すげぇタイチくん! 何て呪文?」
「レミーラ……てゆか、レミーラでそんな感動されたの、初めてなんだけど」
「いいなぁ。覚えればオレも使えますか?」
「お前は覚えなくていーんだよ。俺が使えるんだから」
タイチが苦笑する。
“レミーラ”は探索補助の呪文、“緑の魔法”の一つで、割合と低級に分類される。
冒険者パーティーのうち最低一人、使用できると便利な屋内照明の呪文である。
つまり、この呪文を覚えるのは一パーティーにつき、一人で十分。一人旅でもなければ、習得する機会はない。
それは、タイチが一人旅の経験者だという事実も、同時に伝えているのだ。
明るくなった洞窟内部で、シゲルは、懐から古びた三つ折の紙を取り出す。
「ええと。内部の地図によると、そんなに複雑な造りやないみたいやね」
「二……三刻ほどあれば、最深部まで行けるか」
遺跡のフロア数にもよるが、レミーラの呪文は、最長で二刻ほどは持つ。
上手く移動すれば、照明が効果を切らす時間内のうちに、安全に踏破できるだろう。
ただ、不安材料が無いわけではない。
「道が塞がってなけりゃ良いんだけどな」
ヤマグチは、落石や落盤などで遺跡の地下通路が塞がっていることを危惧しているのだ。
内部の地図があるとは言え、相当古い。道が途切れていたとしても不思議ではない。
マツオカが、心配げに肩をすくめた。
「道、塞がってたら、どうすんのよ?」
「さぁ? 強行突破するか?」
「……そこに、引き返すとかって選択肢は出てこないわけ?」
あっけらかんとした戦士の返答に、わずかばかり言葉詰まる。
目の前に立ちふさがる壁を、避けるか越えるか、ぶち壊すかの違いだったようだ。
このパーティー、もしかしたら抑え役が居ないのではないか。
末恐ろしいことを考える当のマツオカには、自分がつっかえ棒になれる自信が無い。
「まぁ、進んでみれば分かるやろ。えーと……まずは、部屋から出て、右、やな」
地図を片手にしたシゲルの先導により、五人はひとまず歩を進めることとなった。
洞窟内は、一様に明るい。ともすれば地下だということを忘れてしまうほどだ。
ナガセが、先日、マツオカやヤマグチと共に侵入した『岬の洞窟』の時は、照明と言えば松明の灯りのみだったので、薄暗く、目印にも困った。
幸いなことに、岬の洞窟はほぼ一本道だったので、簡単に踏破出来たのだが、比べれば、進みやすさは雲泥の差である。
「便利ッスねー、光の呪文……」
「うーん便利は便利だけど、これ、何の前触れもなしに突然、ぷつっと消えるんだよね。戦闘中に消えたら結構危ないし……賢い魔物がいたら侵入者だって気付かれるしね」
「まぁ、夜目の効く魔物に不意打ちされるよりかは、マシだな」
「ふぅん、夜目ってのは分かるけど……この辺に賢いモンスターなんていんの?」
知能の高いモンスターが、直接イコールで強いモンスターに繋がるわけではないが、戦闘となると、こちらを化かすつもりで作戦立ててくるので、確実に戦いにくい。
『ナジミの塔』や『岬の洞窟』には、知能の低い、いわゆる動物本能的なモンスターしかいなかったはずだ。
アリアハンは孤島だけに、基本的には、それほど強いモンスターがいる地方ではない。
「うーん、この辺りだと……“まほうつかい”、とか」
「まほーつかい」
「あ、アレね。鬼人属の……『フード被ってて見た目は魔法使いの老人っぽいけど、中身はしっかりゴースト系魔物』って、モンスター。呪文も使ってくるんだっけ」
「へー、それって」
ナガセが嬉しそうに指差した方向、フロアを出た先は幅広の通路であった。
「まさに、あんな感じッスよね!」
視野を遮るものひとつなく、ひたすら真っ直ぐに伸びる、直線通路。
その10mほど先に、苔緑色のフード被ってて見た目は魔法使いの老人っぽいけど中身はしっかりゴースト系らしい魔物が、その他大勢の魔物―――色が気持ち悪いいっかくうさぎ(アルミラージ)、毒色平べったいスライム(バブルスライム)、巨大化したカエル(フロッガー)、爪が長い毛むくじゃらの謎の生き物(おばけありくい)、全てナガセ曰く―――諸々と共に群れていた。
完全に気付かれているらしい。一行を睨みつけている。
「……そう。あんな感じ」
「ねーマボ。魔物の善悪って、付け難い、んだよね?」
群れを成す人面蝶の数匹が、喧しい羽音で辺りを飛び交っている。
飛翔する魔物との三次元距離を測るナガセが、背中合わせにつぶやくと、短剣を首元に構えたマツオカは、肩をすくめた。
眼前には、おばけありくいが一体。
「……時と場合によるな」
悪意を持ってこちらを襲ってくるモンスターに対して、完全に専守防衛になれるほど、非暴力主義な僧侶ではないのだ。
戦う必要があるときは、戦う。
養父であり師でもある神父、割合と現実的で広義な解釈法を持つ僧侶であった。
冒険者として旅をするに当たっては、幸運な育ち方をしたと、マツオカは思う。
「オレは残念ながら、そこまで信仰心篤い僧侶じゃないの」
突進してきたおばけありくいを、壁際に避けて左足で蹴り飛ばす。
体勢を崩したところを視界の端に捉えたナガセが、振り向きざまに長剣の一撃で仕留める。
マツオカは、ナガセに飛び掛かる人面蝶を素早く切り伏せた。
さらに追撃をかけてくるもう一体が、目の前で飛剣の刃に切り落とされる。
「何だ……結構、やるじゃんマツオカ」
弧を描くように空中を飛ぶ刃を、器用にキャッチしたタイチである。
「前にヤマグチくんが散々文句言ってたから、どんなのかと思ってたのに」
「いや、ま。オレもやるときはやるってことよ。あの時は武器持ってなかったしさ……ってゆーか、タイチくん、ずるくねぇそれ?」
「そう?」
タイチが扱っている武器は、ナガセやヤマグチが持つ通常の剣とは異なり、大きく沿った半円に刃を付けたような、特殊な形状をしている。
投げつけて手元に戻すことが出来る、チャクラムと呼ばれる飛剣である。
「面白そうだよねー、それ。ブーメランみたい」
「……頼むから、使ってみたいとか言うなよ」
「ええ、何でッスか?」
「手元に戻ってくるまでに、誰かに刺さりそうだから」
遠くから敵を攻撃できるという利点があるものの、それなりの技術が必要とされる。
上手く投げないと目標に当たらないどころか、逆に周囲や自分にまで危害が加わりそうだ。
じゃあ周りに誰もいない時に投げさせてもらおう、と、ナガセは一人結論付けたらしい、素直に引き下がった。
人面蝶の群れは、なかなか数がゼロにならない。
大小入り乱れて、減ったと思ったら飛来して、残り三匹ほどだろうか。
「飛び道具って良いよなぁ……あー、オレも攻撃呪文、もっと練習しとけば良かった」
マツオカがそう愚痴りながら、聖なるナイフを持つ利き手をくるくると回す。
軽い短剣とは言え、さすがに手首が疲れてきた。
そんな短剣より格段に重い両手剣を振り回すヤマグチはと言うと、まだ、立て続けにトロル二、三体は倒せそうな雰囲気だ。
あれで、かなりの負担があると思うのだが、顔色一つ変えていない。
この底なし黄金熊。マツオカがこっそり悪態吐いたのを、ヤマグチは聞き逃さなかったらしい。
「マツオカ。お前、絶対、接近戦向きだぞ。攻撃呪文覚えるより、俺やナガセみたいに剣とか持った方がいいんじゃねーの?」
「はあ!? じょーだん止めてよ。オレは安全圏にいたいの!」
「あ。悪ぃ、一匹逃した。うしろ危ないぞー」
「ぎゃああ!! 兄ぃ、そーゆうことは早く言って!!」
後頭部に今やと迫る人面蝶の牙、マツオカは慌てて短剣を逆手に持ち直す。
が、翻した短剣の切っ先より早く、どこかから飛んできた炎の弾がモンスターを直撃したのだ。
炎に焼かれてはらりと落ちる、人面蝶の成れの果て。相向うで静かに杖先を向けていたのは、シゲルである。
ふっ、と浮かべた安堵の笑みが、会心の笑みに変わる。
「ふ、ふっ、ふっふふ……見たか! “魔導士の杖”の威力!」
「いや、あんたじゃなくて杖かよ!」
絶妙のタイミングでつっこんだマツオカの手製ハリセンは、シゲルの後頭部をキレイな音を出して引っ叩いた。
「すっげーすっげー! 今の何? 今の、魔法!?」
「いや魔法じゃなくて、“魔法道具”」
「……コツさえ掴めば子供でも使えるんだよねぇ、あれ。って、マツオカ、お前一体どっからハリセン出したんだ……」
興奮しっ放しにまくし立てるナガセと対称的に、冷静に解説するヤマグチと、静かに毒を吐くタイチである。
魔法道具、“魔導士の杖”。
木製の柄の先端に、金属の土台と赤い石が取り付けられており、火の下級呪文と同等の効果をもたらす魔法を、石の内に封じてある。
杖自身が、自動で魔力を吸収し補うという半永久的なサイクルでもって効力を保ち、最もポピュラーにして、比較的敷居の低い魔法道具であると言えよう。
「実際に呪文を唱えるより出が早いし、魔法力も少しで済む。これで意外と耐久もあるしな。結構便利やね」
「オレも使えます?」
「うん。練習すれば、な」
「けどナガセは、杖の集中するヒマあるぐらいなら、剣使うでしょ?」
なるほどタイチに言われるところ、もっともであった。
魔法道具に分類されるうちの半分は、武器の不得意な行商人や旅行者らが、突然襲われたモンスターに立ち向かうために考案されているのだ。戦士用ではない。
「魔法道具って言っても、集中する時間は本来の呪文とそうそう変わんないしな」
最後の人面蝶を一刀両断に下に沈めて、ヤマグチが剣を鞘に収めた。
戦闘の疲れからでは無いが、小さく溜め息を吐く。
洞窟に入ってから、そろそろ2刻は経つだろうか。
内部に巣食っていたモンスターが予想を上回る数だったためか、当初予定していた踏破時間を、大幅に超過してしまっているのだ。
「ヤマグチくん、この突き当たりを右だっけ?」
突き当たりのT字路で、タイチが立ち止まっている。
「そうだけど、何でだ?」
「これ、進めそうにないんスけど……」
その横に並んで一緒に角を覗き込んでいたナガセが、眉根を寄せた複雑な表情で振り向いた。
T字路の右、そこには通路が延びている、はずだったのだが。
「うわ、床抜けてんじゃん!」
「あー……あると思ったんだよな、こういう展開」
本来あるべき通路の床石が完全に崩れ、階下へ陥没していたのだ。
石張りの廊下は原型を留めず、数mに渡り床を消滅させてしまっていた。
これでは、先に進めない。まさしく、危惧していた事態である。
相当古い遺跡だったから、何処彼処でガタが来るのは当然だった。
「……どうしよう?」
「最終的には、地下二階まで下りるんでしょ? 飛び降りればいいんじゃない?」
タイチが、手持ちの盗賊七つ道具のひとつ、フック付きロープを用意し始める。
地下は二階層だ。現在、五人が進んでいる地下一階、それに目指す地下二階。
落ちた床下は、土壁ではない。レミーラの効力が継続する、階下のフロアが確認できる。
手っ取り早く先を急ぐには、階下のフロアへ飛び降りることだ。
ナガセは床下に顔だけ突っ込んで、真っ逆さまになると、下のフロアを覗いてみた。
20m四方はあるだろうか、広い部屋のようだ。天井、つまりナガセたちの位置で言うところの床までは、7、8mほど。
目視ではモンスターも確認できない。
「うん。行けそうッスよ」
「ちょ……ちょっと待て。下まで結構、あるじゃんよ!」
即行で首をぶんぶんと否定に振る、マツオカの顔が青ざめる。
助け舟ではないのだが、シゲルも首を振った。地図の現在地を指差す。
「あかん。この真下のフロアは、ちょうど独立しとるんや。同じ地下二階でも、僕らが目指しとるフロアには繋がっとらんわ」
「ええっ!? じゃーどうするんスか」
「うん、ま、こーゆう事態も予想してなかったわけやない。ルート、変えてみよか。幸い修正効きそうやし……」
―――と、踵を返した、その瞬間だ。
突き当たるT字路の逆方向、一行が今まで進んできた通路の手前の方から、すうと、急激に何かが暗まっていくのが見えた。
最初に気が付いたのは、最後尾のヤマグチだ。
「あ、やべぇ……!」
「へ?」
マツオカが何事かと振り向いたとき、洞窟内は、ものの一瞬にして暗闇に落ちたのだ。
メラミ:火の中級呪文。大きな火の玉で敵を攻撃する。
レミーラ:光の呪文。洞窟など、暗いダンジョンの照明に使用する。
レミーラ:光の呪文。洞窟など、暗いダンジョンの照明に使用する。