PRELUDE

 『マリア・コロッセウム』と派手な色で描き殴られた入り口から地下への階段を四、五段下りる。
 すると、巨大な開けたホールに出た。中央広場が丸ごと入ってしまいそうな広さだ。
 地上とは全く違う雰囲気を持つ異空間でありながら、ここロマリアに設けられていることがごく自然に感じられる娯楽施設、公共カジノである。

 カジノ内部は、異様な熱気に包まれている。
 シゲルは、誰に見られるでもなく肩をすくめた。基本的に、この手の賑やかさは余り好まないのだ。

 賭け事自体は嫌いではない。ただ、それにのめり込んでは自滅していくタイプのギャンブラーが苦手なのだ。
 おそらく、シゲル自身の過去の、元々の仕事の影響も少なからずあるのだろう。
 そんな風にして路頭に迷った人々を多く見てきているから、辟易しているのかもしれない。

 賭け事、というか駆け引きならば大歓迎なのだが。

 シゲルは、あちらこちらの悲喜こもごもには目もくれず、カジノの中を黙々と通り過ぎていく。
 しばらく歩くと、喧々囂々のカジノ内にあって、一際騒がしい一角に辿りついた。
 格闘場のエリアであった。

 大変な人だかりではあったが、すり鉢状の格闘場は、最上段からならば客席が一望に見渡せる。
 おかげさまで、探していた男はすぐに見つかった。
Level 08+b. マリア・コロッセウムの1人と1人、他3人
「お元気そうやね」

 ちょうど客席に座ろうとしていたその男に、声をかける。
 後ろの席から近づいたので、不審者かと思われたのだろう。

「ああ、シゲル君じゃないか、シゲル君! 大神殿の!」

 驚いた様子を見せた男は、だが、相手がシゲルだと分かると、すぐに顔を綻ばせた。

「どうしたのさ、こんなところで会うなんて……偶然だ」
「僕の方は、確かに偶然やけどな。キミの方は常連さんやないか」
「やだなあ息抜きだって。結構、大変なんだべ。座ってるだけの仕事ってのも」

 シゲルとさほど年も変わらないだろうか。
 濃紺のローブに青いマフラー、青い布の帽子を目深に被った気さくそうな男だ。
 ちなみに、付け髭と伊達メガネは変装用である。

 一般客の中に混ざって、格闘場の客席のひとつに座っているが、時折見せる小さな仕草の所々に紛れる、隠し切れない高貴な、生まれもって流麗な何かを感じ取ることが出来るのは、あるいは、

 人を見る天才くらいか。

 シゲルは苦笑するしかなかった。

 カジノの券売場近くに、覚えのある姿格好の彼を見かけたときは、それこそ人違いかと思った。
 よく、変装してはお忍びでカジノに訪れるという趣味を小耳に挟んではいたが、まさかここまですんなりと溶け込んでいるとは。
 シゲルの場合は顔見知りだから、かろうじて看破出来たのだ。
 変装姿に持つ感想と言うでもないが、ごく自然に一体化した髭と、何の違和感もないメガネに、帽子もマフラーも、似合いすぎている。
 これでは、年に二、三回顔を拝見するだけであろう一般市民には、気付かれるはずもない。
 完全に、賭け事に興じるただの男である。

「あ、まあ座んなよ。一杯注文するからさ」

 男は、立ち尽くすシゲルに気がつき、慌ててちょうど1つ分空いた隣の席を勧めてくる。
 歯切れの悪い返事のあと、シゲルはさりげなく背後を確認した。
 意識を、感知にのみ集中させる。
 聞かれて困る話では無いが、聞かれないに越したことは無い。

 近くに精度の良い“鷹”の気配を一つ感じたが、これには心当たりがある。防御手段を掛けるまでもないだろう。
 幸い、格闘場は歓声と怒号でひしめいているため、周囲にも、二人の会話に耳をそばだてる人間はいなさそうだ。

 シゲルは、遠慮がちに席に着く。

「何年ぶりになるのかなあ」

 男が手を挙げて軽く合図を送ると、二つ隣席の老紳士が、すと腰を上げた。
 先ほどから隙なく座っていたと思ったが、なるほど道理で。
 さすがに、と言うべきか、やはり侍従を連れて来ていたらしい。
 しばらくして、客席に備え付けの小さな卓に、カクテルグラスが届けられる。

「この間の戴冠式に御呼ばれした、二年と五月と五日ぶり、や」
「前に会った時は上位席だったよね? 先代の後を継いだんでしょ?」
「あ……いやいや、まだそこまでは」

 適当に話を合わせるつもりだったのだが、嘘を嘘で重ねるわけにはいかない。
 彼は、シゲルが神殿を出たことを知らないはずだ。

「まだまだ、未熟者やからね。名代のままや」
「うん? そうかあ……勿体無い。折角、堂々と会食できると思ったのに」

 陽気な口調のままで、男は肩を落とす。
 二年前に会ったときよりも少し痩せたか、とシゲルは思ったが、口には出さないでおいた。
 お気楽な性格で、それでいて思慮深い彼のことだ。今の立場で、人知れず苦労を重ねているのだろう。
 息抜き、というのも単に言い訳でなく頷ける。

「いつロマリアに?」

 カクテルグラスを傾けて、男が尋ねる。

「たった今。ちょいワケありでな。ここも、すぐに発つやろうな」
「相変わらず忙しいねえ。一人で?」
「他に四人」

 男が、シゲルの答えに目を大きく見開いた。

「あらら。珍しい」
「ん?」
「君がパーティーを組んでるなんて。明日あたり雪でも降るかなあ……」

 ごほんと、シゲルはとりあえず咽るふりをしておいた。
 格闘場では丁度、次の勝負が始まったようで、二人の周囲が急激に騒がしくなる。

「とと……仲間、待たせとるんやった。すまんな、忙しなくて」

 勝負に熱中する人たちの邪魔をしては悪い、という表面的な理由で、シゲルはそそくさと席を立った。
 懐の財布を取り出そうとする。

「ご馳走様でした。ええと……お代金は、と……」
「ああ、ちょっと。そんな遠慮はしていらないよ」

 男は、シゲルの財布を探す手を止めさせて、嘆息した。
 わざと偉ぶった口調でにかりと歯を見せて笑う。

「このわしを、誰だと思っておるんだべ?」

 と、ひらひらとかざしたその手には、分厚い豪勢な黒革の財布。
 シゲルは困ったように、目を細めた。

「……“国王陛下”が、財布持ち歩くんか」

「何か……あの。意外とフツーなんスね、やっぱ」

 さてナガセは、期待はずれとも、期待通りとも取れる普通の感想でもって、ロマリア王国認定・ルッカ紹介所を後にすることとなった。

 ルッカ紹介所は、あらゆる意味で国家お墨付きの紹介所で、
 犯罪スレスレで、さらに命を落とす危険のあるような、特殊な依頼は置いていなかった。
 ただ、やはり絶対数はアリアハンに比べると段違いに多い。そういう意味では、興味がそそられる。
 旅商人の護衛に物資の輸送、遺跡探索補助、鉱石や薬草の採取、それに、盗賊団討伐、といった依頼書も見受けられた。

「魔物討伐、なんて、大陸だし、あると思ってたけどなぁ。意外と無いもんだね」

 マツオカは、ちゃっかり拝借してきていた、紹介所発行の『今週の依頼特集』小冊子のページをめくりながらつぶやく。
 いわゆる魔物討伐に分類されていた依頼は、急を要するモンスター退治――おそらく農園の近くに住み着いてしまったのだろう“どくいもむし”の駆除、が一件だけだ。

「あれは国の騎士団とか自警団含めての大仕事だからな。やるとしても年に数回、決まった時期にしか募集かけないんだよ」
「じゃあ、アリアハンにもあったりすんの?」
「もちろん。ただし、あそこは特別だ。騎士団だけで十分事足りる」

 もっとも、近頃はモンスターも強くなってきているという話なので、
 魔物退治の依頼件数自体は増えていくのではないか、とはヤマグチの推測である。

「何てゆうか……現実的ッスよね」
「冒険者なんて、結構そんなもんだよ」

 ナガセの気持ちを察したのだろう、ヤマグチがその背中を叩いて出口へと促す。
 出際、玄関すぐ横、小奇麗に整頓された観光ガイドを一部手に取った。
 王都の簡単な地図に、名店と名所が載っている三つ折のパンフレット。
 アリアハンの地域情報誌と、たいして変わり映えは無いようだ。

「タダじゃ生活できないしな。かと言って、楽な依頼ばっかでも無いし」

 労働して暮らす方が断然効率が良い、とヤマグチが言う。
 冒険者として生計を立てていた経験則が語る、実感のこもった話である。
 度々、ヤマグチはこうして、ナガセとマツオカに向かって厳しい現実を突きつける。

「でも、いるんですもんね、冒険者」
「はぁ。オレもそんな非効率的なヤツらの仲間入りってわけかなー」

 もっとも、彼らの志は、そんなもので簡単に折れたりしないことを知っての忠告ではあるが。

「その非効率的なヤツらのおかげで、成り立ってる職種もあるってこと」

 これから探しに行こうとしている、旅人の宿など、まさにその典型だ。
 冒険者や旅人がいなくなれば、宿など経営が成り立たなくなるだろう。
 ヤマグチは、先ほどのガイドマップにメモしておいた宿の数軒に目を通す。

「とりあえず、紹介された宿屋当たってみるかな」
「混んでるかもしれない、って紹介所のおねーさんが言ってたのが気になるけど……」
「あ、兄ぃ。ちょっと待って」

 早速、ガイドマップに記された宿に向かおうとした二人を、マツオカが止めた。

「薬草売ってる店、まだ開いてるかな? どうせなら今日のうちに買いに行きたいんだけど」
「ああ、そうか。ええと、道具屋は……」

 ナガセが広げたガイドマップを二人が横から覗き込む。
 ざっと目を通したところ、メインストリートだけで、三件の道具屋があるようだ。

「まぁロマリアだし……どこかは開いてるだろ」

 と、歩き出しかけたヤマグチを、マツオカが申し訳なさそうに制する。

「あ、いいよいいよ。宿屋、先に決めた方が良いっしょ? オレ一人で行って来る」
「そうか?」
「え? マボ、一人で行くの?」

 ナガセが不安げに尋ねて、ヤマグチの様子を窺う。
 もうすっかり陽も落ちた。
 見知らぬ土地で、見知らぬ店を探して出歩くには少々遅い時間帯だとは思うが、それを心配するほどの年齢でも無いし、何かあっても身を守れる実力なら十分ある。
 いつぞやタイチに、引率の先生、なんて言われたことを思い出したヤマグチは、少し考えたあと、了解とうなずくことにした。

「わかった。紹介所の掲示板借りといたから。宿屋決まったら書いておくよ」

 ヤマグチは、ガイドマップの三店舗に丸印を付けて、マツオカに手渡した。
 全てメインストリート沿いだから、脇道に入らなければ迷うこともあるまい。
 必要経費は領収書を切って、後ほどシゲルに請求するらしい。
 そのあたりの経済面は、キッチリしているマツオカである。

「マボっ、知らない人について行っちゃダメですよー」
「迷子になるなよー」
「……ついて行かねーし、迷子になんかなんねーよッ!!」

 マツオカは真っ赤になって両方を否定したあと、メインストリートを南に下った。
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