信じられねぇ。
人生で初めての“旅の扉”を体験し終わったナガセの、第一の感想である。
何が信じられないかと言うと、まずこの転移装置の仕組みからして分からない。
地下深くに渦巻く魔力の波動エネルギーの流れに乗るのだとかどうとか。
ほんの数分で航路三ヶ月の距離を越えてしまうことだとか。
もう上下左右平衡感覚完全マヒで、この倦怠感と狭い視界は一体、何かの副作用なのか。
本当に決まった場所に繋がっているのか、もし出れなかったらどうなるのか。
こんな旅の扉なんて移動装置、誰が作ったのか。
色々、色々、気になるとか。
……まぁ、とにかく、信じられないことだらけなのだ。
そもそも、今、自分はちゃんと生きて呼吸しているのかすら危うい。
ナガセはぱっちりと目を開けた。
ああ、良かった。息してるみたい。
とりあえず生きていたことに感謝。
眠っていたわけではないので目覚めは良いのだが、気分としては、当然のごとく悪い。
「むー、あー……地面がぐるぐるー」
フラフラと半身を起こし、地面を手の平で叩いてみる。未だ立体感があやふやだ。
「お、復活早いじゃん」
上からさらりと聞こえてきた声に、ナガセは驚く。
飛び起きた。
「先刻はよくも道連れにしてくれたな」
タイチである。
台詞とは裏腹に、口調はやけに楽しそうであった。
周囲をくるりと見渡すと、近くでのびているのはシゲルと、木にぺたりとくっついているマツオカ。
ヤマグチの姿は無い。
「ヤマグチくんなら水汲みに行ったよ、近くの小川に」
尋ねる前に答えられて、ナガセは聞くこともなくなってしまった。
ぽおっと座り込んでいるだけだが、徐々に焦点が定まってくる。
感覚としては、棒中心に十回転して、平均台の上を歩けといわれているようなものか、
と、さして意味も成さないことを考える。
ヤマグチくんより早く目覚めたら、ちょっとは自慢げになれたものを。
無性に悔しくなってきた。
さらに、視界斜め横のタイチが平然としている様が輪をかけるのだ。
「……タイチくんは“旅の扉”平気なんスね」
「んー? 平気っつーわけでもないけどー。まー落ちるのには慣れてるから……」
飄々と放った言葉の直後、タイチはびたりと固まった。
そのまま、今しがた発見したばかりの情報を言い渋るかのように、ナガセの出方を待っている。
妙なタイチの様子に、逆にナガセが訝しんで視線を送り返した。
「何スか?」
「なぁ……何で“落ちるのに慣れてる”んだろうな」
「え?」
ナガセは、自分が謎かけを問われているのだと思ったのだ。
少し考えてみるが、素直に、分からないとの意思を伝える。
「……さ、ぁ? 何で、ですか?」
「うん……そうだよな。何でだろう……」
さして答えを期待していなかったのだろう、自問だ。
タイチは短い黒髪を触り遊びながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「俺ね、7、8年くらい前かな、バハラタで生き倒れてたとこを、地元の人に助けられたんだけど」
「行き倒れって……バハラタ? あ、アリアハンから一番近い港町だよね。自治区の」
「そう。何か海岸に流れ着いてたらしいんだけど……でも何でそうなったのかが、分かんないんだよ。分かんないとゆうか、忘れたってゆーか。つまり、どうも無いらしいんだよね」
「……何が?」
「それより、前。昔のこと。全然、覚えてないんだよ」
唖然としてしまった。
次の言葉も忘れてしまっていたナガセが、何とか声を搾り出す。
「それって」
「うん」
「まさか……記憶喪失、ってやつ……とか」
アリアハンに移住して酒場を開き、居が落ち着くまで、トレジャーハンターとして各地を旅していたというタイチの話が、好きだった。
ただ、何度聞いても、何を探しているのかだけは、そして、それより以前の出来事は、教えてもらえなかった。
簡単なことだ。
教える術が、無かったのだから。
「それじゃあ。タイチくんが探してるのって……」
記憶に形は無い。自分の内なる探し物に、探索呪文など使えまい。
「“思い出”?」
Level 08. ロマリアの5人-(1)
ナガセの究極の応答である。タイチがにっこりと微笑む。まるで悪巧みなどを考えてもいない、嬉しげな笑みのように取れた。
「でもちょっと、探すの休んでも良いかなーって思ってた」
「へ?」
「良いとこだな、アリアハンって」
「……」
ナガセは口を開けたまま、しばらく沈黙した。
最適な相槌が思い浮かばなかったのだろう。
言葉を探すのを止めて口を閉じて、それから、にぱりと微笑み返す。
かつて自分がそうだったように、タイチもアリアハンに故郷を見つけたのだ。
いや、おそらくタイチだけでなく、シゲルも。マツオカも、きっとナガセも。
アリアハンに生まれ故郷としての居場所以上の、何かを感じている。
だからこそ、この五人は集まったのだろうとさえ思える。
「じゃあオレ、探すの手伝います! タイチくんの“思い出”!」
「その前に、オーブ探しだけどな」
これから造る思い出の方を、優先しても良いかと思ったのだろう。
出会ったばかりの頃の、焦燥感に占められたタイチの顔を思い浮かべて、ヤマグチは微笑む。
「で、いつまで立ち聞きしてんの? 騎士団長さんは」
背もたれにしていた若杉に、こつんと石ころがぶつけられた。ヤマグチは肩をすくめる。
「バレてた?」
「そんなゴツイ鎧装備してりゃね」
金属の気配は消しにくい、とタイチが不敵に微笑んで見せる。
「……それから、狸寝入りしてるそこの二人も」
さらりと指摘されたことに驚いたのか、寝転がっている残り二名の背中が大げさにびくついた。
数秒間の無言の後、何事も無かったかのように、シゲルがいそいそと起き上がった。頭を掻く。
「ちょ……二人とも起きてたの!? 盗み聞きなんてずるいッスよ!」
「いやいや人聞きの悪い……タイミング見計っとったんやって。もう起きにくい起きにくい……」
「あー盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどさぁ。会話中断させるのも何かさぁ……」
マツオカは横になったままで、申し訳なさそうに弁明する。
さすがに盗賊相手では、いつまでも盗み聞きは出来なかったようだ。
「……タイチくんて、そーゆうことだったのね」
「そーゆうこと。マツオカに言った分で、全部だったろ?」
もうこれ以上の謎は無い、と言わんばかりのタネ明かしだ。
ヤマグチは、ナガセに三人分の水筒を放ると、手早く荷物をまとめる。
「もう城下町が見えんだよ。早いとこ出発しようぜ」
「へ!? どこ?」
ナガセが慌てて立ち上がると、その林の一帯が、少し小高い丘になっていたことが分かった。
木々が途切れる。
遮るものの無い視界に飛び込んでくる、先の見えない広大な平野。
あらゆる色彩を集めた、高い山々と草原。
海の代わりに、全方向を占める空と大地。
これが、世界最大の大陸の姿だ。
「ロマリアだよ」
丘の麓に灯り始めた生活の火、その星の明るさと数が、街が巨大であることを教えてくれる。
ロマリア王国、首都ロマリア。
ナガセにとって、人生で初めての異国の街である。