ナガセはエントランスで壁にもたれて、行き交う人波を眺めている。
旅人が多いのだろう、様々な色あいの外套で隠れた身体の脇、誰もが、短剣や護身用の棍棒を身に着けているのが見て取れる。
かく言うナガセも、外套でさりげなく覆った背中には、父の形見である長剣をしっかり備えている。
と、言うことは、だ。たぶん、その大勢の旅人の、冒険者というくくりの中に、自分も入っているように見えているのだろうと思うと、にんまり笑いが込み上げて来て、慌てて押し隠すナガセである。
ヤマグチが宿屋から出てくる。
十歩ほど先にナガセを見つけると、首を傾けて、合掌の片手を小さく真横に振った。
ダメだった、という合図。四軒目の宿屋も、満室だったようだ。
「大通りの宿屋って、もう無いッスよね」
「ああ、多分……いや、ちょっと待ってろ。もう1回、紹介所行ってみるわ」
本日のロマリアは、予想以上に混雑していた。
驚くほどに多い人ゴミは、ロマリアでは日常茶飯事と聞いている。
しかし、どうやら本当の意味での日常茶飯事、というわけでもないようなのだ。
ナガセに、近くで待つように言い残して、ヤマグチは中央広場の方へと戻って行った。
待っていること以外に、特にすべきことはなくなってしまった。
異国の人波と街の景色を眺めているだけでも退屈はしないのだが、石像でもあるまいし、同じ場所にじっと動かないでいるのは、やはり疲れる。
少し辺りを散歩してみよう、と、思い立ったナガセは身体を起こした。
脇道に入ると迷ってしまいそうなので、なるべくメインストリートから離れないように、通りを見て回ることにした。
中央広場からやや北に上った区画だ。
繁華街の一角ではあるが、より品が良い、と表現するべきか、小奇麗で洗練された店舗が立ち並んでいる。
王都の政の中心部に近づいているからだろう。
街中に悠然とそびえ立つ王城というのは、ナガセにとっては珍しい見てくれである。
彼が唯一知っているアリアハン王城は、城の周囲に堀と運河を巡らせてあって、街中からは少し離れた位置にあったからだ。
さて、とりあえずどちらかに歩き出そう。
ナガセが足を進めて振り向いた、その第一交差点のところである。
向かいの角から歩いてきた人影に気付かず、ナガセはそのまま突っ込んでしまったのだ。
得てして言うなら、見も知らぬ街人に、無防備に体当たりかましたのだった。
ぶつかった拍子に、相手の持っていた麻袋が落ちてしまった。石畳の地面に硬貨が散らばる。
「あああ! ご……ごめんなさい!!」
ロマリアの国内通貨だろうか。
見たことのない複雑な文様と、見たこと無い光沢を放つ珍しい硬貨ばかりだった。
銀と似た質感だったが、それよりも光の色に近く、少し重い。
とは言え、そんなことをじっくりと考えている余裕はない。
幸いにも、人混みのど真ん中では無かった。
ナガセは急いで散らばったコインを拾い集める。
「いや。こっちこそ、ごめんよ。急に角から出てきてしまって」
小柄で細身だったが、声で、ぶつかった相手が男性だったことが分かった。
なめし革の青い帽子と、おそろいの色の外套に、木綿の服。
首元にはくるくると濃紺色のマフラーを巻きつけていて、顔のラインまで隠れている。
「君は旅の人だね?」
「はい、アリアハンから……」
「え、アリアハン!?」
男性は目を丸くして、ナガセをまじまじと見つめ返してきた。
何故だか、少々緊張する。
「本当に?」
「あ、えと……はい。僕、アリアハン出身なんです」
「へぇ……それは嬉しいね。友好国だけど遠すぎて。さすがに王都までは、滅多にアリアハンの人たちは来ないからさ」
ロマリア王国とアリアハン王国が友好関係を結んだのは、かれこれ五十年ほど前の先々代王の時代にまで遡る。
以来、着実に友好を深めては来ているのだが、何せ距離があるために、転移魔法でも使わなければ、王族同士の会食もままならない。
「歓迎するよ。ロマリアへようこそ。あ、そうだ……せっかく来てくれた旅の方だし」
と、男性は拾い集められた国内通貨の一枚を、ナガセの掌に握らせた。
「拾ってくれてありがとう。一枚あげるよ」
「え。い、いいッスよ! ぶつかった僕が悪いんですし」
「人の好意は素直に受け止めるもんだよ?」
にっこりと微笑みの圧力をかけられ、ナガセは肩をひっこめるように受け取った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。一人旅?」
「いえ、僕を入れて五人です。あ、今、宿屋探してるんです。えっと、なんか冒険者がたくさん来てるらしくって、どこも満室で……」
「ああ、今は……そうか。そうだよねぇ。そっか。それは悪いことしちゃったかなぁ」
一人うなずいて納得する男を見て、ナガセは首を傾げた。
ロマリアに冒険者が多くて宿屋が満室なのは、この男性、個人のせいではないと思うのだが。
「うん、よし。それなら、ここから脇道を入って……」
男は、ナガセの持っていたガイドマップの右端辺りに丸を付ける。
「街の東区域の、共同井戸の近く。緑色の屋根の三階建て。ここから、ちらっと見えるでしょ? あそこも、宿屋だよ。空き部屋あるかもね」
「本当ッスか!?」
「今、君にあげたコイン。それを宿の人に見せてあげてくれる? 紹介された、って言えばきっと良くしてくれると思うよ」
穴場なんだよ、と笑った青いマフラーの親切な男は、手を振って、メインストリート北の人混みの中へ早々と消えて行った。
シゲルは知人と別れた後、カジノ内部を歩いていた。
ロマリアの名産品の一つが、近郊の農場で造られる上質なワインであることを知っている。
敷地内のバーカウンターで一杯戴いてから宿へ戻っても、遅くはならないだろう、と思ったのだ。
賑わう人波を避けながら、酒場の看板を目印に歩いていると、
「リーダー」
どこからか聞き覚えのある声が投げかけられた。
シゲルは足を止めて、出処を探し辺りを見回す。
「こっちこっち」
「ああ、タイチか」
やや上階のフロアのテラスから、タイチがやって来た。
エントランスまでは一緒だったのだが、お互い“仕事”と称して別行動していたのだ。
同じパーティーの仲間であれ、ごく個人的な仕事には干渉し合わない暗黙の了解。
とは言うものの、シゲルには大方、タイチの仕事が見当付く。
「どうや? 勝ったんか?」
「……全然だめ! 子供の小遣い分ぐらいしか増えてない。テーブルゲームだったらもうちょっと勝てるんだけどねぇ、ここ置いてないから」
「悪どいやつやなぁ……」
シゲルはバツの悪い苦笑を浮かべる。
タイチがテーブルゲームを選ぶのは、自身の持てる技術が最大限活かされる賭け事だと分かっているからだ。
彼は本来、シゲルと同じで賭け事自体にはあまり興味がない性質のはずなのだが、確実に勝てる暇潰しで小金を稼げるならば、話は別。
つまり本当の意味での、“仕事”なのである。
あまり調子に乗り過ぎるのもどうかとは思うのだが、小癪にこれで引き際も心得ているらしい。
「一杯ぐらいだったら奢れるよ?」
何かしら裏の見え隠れする、タイチからの誘いである。
おそらく中途半端に勝った分を、ヤマグチに見つかる前に処分してしまおうという算段だろう。
「お。そりゃありがたい……けど、僕もちょうど今、奢り損ねたとこなんや」
「え、嘘。まさか奢ってくれるの? こんな状況二度と無いかも」
「失敬な。商人さんはこう見えて意外と太っ腹やで」
金銭勘定に特に厳しいだろう二人が、珍しく、奢り合いというレアな意見を一致させた。
遠い異国の地にあって、旅の恥はかき捨て、というやつだろう。
バーカウンターに向かおうとするシゲルを、ふと、タイチが思い付いたように呼び止めた。
「あ、そういえばリーダー。財布、大丈夫?」
「は? 何を突然。うん、持っと……る?」
言いかけて、シゲルは懐を探る手をビタリと止めた。
「……あれ?」
ぱたぱたぱた、と、右ポケット、左ポケット、戻って右ポケットを叩いてみる。
「え、あれ? あれ? お? おお?」
「あー……やっぱり」
「やっぱり、て……タイチ、どーゆーことや!」
解れ、と顔に貼ってあるような、ほのかな微笑みが返ってきた。
いや解る、とシゲルはとりあえず微笑みを振ったが、すぐに我に返る。
スラれたのだ。
確かに、混みに混んだ格闘場内。
何度かすれ違いざまに身体を打ち付けた人もいたような気もする。
気もするが、そんな細かいことまで、覚えているはずがない。
「さっきから盗賊っぽい人らがコソコソ動いてたから、もしかしたらってさ」
「ちょ……そんなら教えてくれたって!」
「教えてもリーダー、どうやって撃退すんの。無理でしょ」
きぱりと無下に言い返され、シゲルの目尻には涙が光った。
「いや……それも、そやけどな……」
「三、よn人のグループで動いてたみたいだから。ギルドに属してるんじゃない?」
ギルド、とは仕事を請け負う上で同じ志を持った者たちが集まって形成される、単にパーティーと言う規模よりも二回りほど大きな組織、言ってみれば組合のことだ。
非公式な団体から、公的に国から援助を受けている団体まで、ピンからキリまである。
もちろん、盗賊ギルドは何処の国でも完全に違法ギルドだ。
ただし、実際のところは何処の国にも秘密裏に存在し、騎士団すら黙認している節もある。
裏社会において割合としっかりした縄張りの線引きをし、獲物の配分から盗品を流すルートまで、実は徹底した管理をしているのだ。
皮肉なことに、盗賊ギルドがあるからこそ盗賊が真昼間から横行しない街が出来上がる。
「ふむ。ギルドにな……つまり、この辺を活動区域にしてる盗賊団か」
おそらくこの近辺で活動する盗賊団、となれば探し出すのは最終的には一つのギルドとなるだろう。
「たぶんね」
「……ちなみに、ロマリア方面のギルドに知り合いとかおらんの?」
「いても、別のギルドだと思うよ。盗賊のギルドってめちゃくちゃガード固いんだから」
シゲルは肩をすくめた。
盗賊ギルドに伝手があれば、盗品の情報、例えば、たった今盗まれた愛すべき我がサイフ含め、アリアハン城から盗まれたレッドオーブの行方もあるいは知ることが出来たかもしれないのだが。
目下、考えるべきはそこではない。
「僕の……なけなしの250Gと祈りの指輪(時価3000G)を盗んだ罪は重いで……」
万一の為(保身)を思って財布に忍ばせておいた、ヘソクリ代わりの貴重な魔法道具。
250Gはともかくとしても、あれをおいそれと盗まれるわけにはいかない。
奪還に燃えるシゲルの、怒りのオーラに圧されてか、さすがのタイチも茶化しに来なかった。
「で、どこのどいつや盗人は。お前のことや。“鷹”で目星付いとるんやろ?」
「あ、あれ……? バレてた?」
わざとらしく笑ったタイチが、左手を目線の高さに掲げる。
すいと、何かの気配が手元に降り立った。
魔力を操る者が、その眼をこらさなければ見えないほどの、限りなく薄い魔法の気配。
探索補助の呪文の一つ、“鷹の眼”である。
魔法で作り出した鳥を遠隔地に飛ばし、その視界を共有することが出来る。
本来は、主に付近の偵察や、マッピングの情報収集に使用するのだが、自在に動かせるようになれば尾行も見張りも可能、と言う便利で厄介な汎用呪文だ。
「タイチの“鷹”は嫌味なくらいに気配が無いからなぁ。逆に目立つ」
「……褒め言葉なの、それ?」
「勿論」
シゲルが満面の笑みで即答する。
タイチは、余裕のあるシゲルを軽く睨みつけると、溜め息交じりに“鷹”を放した。
「そんだけ気配感じるの得意なら、スリぐらい気付けそうなもんだけど」
「……」
それとこれとは話が別だ、とシゲルは思ったが、さすがに今言い返すとスリ探しに協力してくれなくなりそうなので、泣く泣く無言を貫いた。
気付けなかったものは仕方が無い。
魔力の感知とは意味合いの違う、盗みの技術に関しては無知なのだからどうしようも無い。
カジノの人混みの真上を縫うように、魔法で作られた鳥は迷わず目標へと飛んで行った。
“水鳥集う枝”と書かれた看板が、申し訳程度に翻る小さな宿場だった。
メインストリートから脇道に三本ほど入った、入り組んだ住宅街近くの路地。
宿屋と知らされなければ、それと分からない門構えをしていた。雑貨屋の玄関のようだ。
ノブ付きのドアを開けると、確かに小奇麗なカウンターが備え付けられている。
街で出会った男に言われた通り、ナガセがコインを見せると、店主は少し驚いて(いわく、宿屋と知って訪れる旅人は珍しい、とのこと)宿帳を取り出した。
本当に、宿屋だったらしい。
「野宿にならなくて良かったな」
ヤマグチの言葉に、ナガセも大きく同意した。
あの男性にお礼を言わなくては、と思ったが、ロマリアは大きな街だ。
冒険者として、定住せずに次の目的地へ発つまでの、このわずかな期間に、再び会う機会が訪れるのだろうか。
いや、もう会うことはないのだろう、と考えると、冒険者となってから初めて味わうような、少し寂しい気分になった。
旅人が多いのだろう、様々な色あいの外套で隠れた身体の脇、誰もが、短剣や護身用の棍棒を身に着けているのが見て取れる。
かく言うナガセも、外套でさりげなく覆った背中には、父の形見である長剣をしっかり備えている。
と、言うことは、だ。たぶん、その大勢の旅人の、冒険者というくくりの中に、自分も入っているように見えているのだろうと思うと、にんまり笑いが込み上げて来て、慌てて押し隠すナガセである。
ヤマグチが宿屋から出てくる。
十歩ほど先にナガセを見つけると、首を傾けて、合掌の片手を小さく真横に振った。
ダメだった、という合図。四軒目の宿屋も、満室だったようだ。
Level 08+c. 北2番街通りの1人と1人、他2人
「しっかし……まいったな。この時期に、こんなに混んでるなんて」「大通りの宿屋って、もう無いッスよね」
「ああ、多分……いや、ちょっと待ってろ。もう1回、紹介所行ってみるわ」
本日のロマリアは、予想以上に混雑していた。
驚くほどに多い人ゴミは、ロマリアでは日常茶飯事と聞いている。
しかし、どうやら本当の意味での日常茶飯事、というわけでもないようなのだ。
ナガセに、近くで待つように言い残して、ヤマグチは中央広場の方へと戻って行った。
待っていること以外に、特にすべきことはなくなってしまった。
異国の人波と街の景色を眺めているだけでも退屈はしないのだが、石像でもあるまいし、同じ場所にじっと動かないでいるのは、やはり疲れる。
少し辺りを散歩してみよう、と、思い立ったナガセは身体を起こした。
脇道に入ると迷ってしまいそうなので、なるべくメインストリートから離れないように、通りを見て回ることにした。
中央広場からやや北に上った区画だ。
繁華街の一角ではあるが、より品が良い、と表現するべきか、小奇麗で洗練された店舗が立ち並んでいる。
王都の政の中心部に近づいているからだろう。
街中に悠然とそびえ立つ王城というのは、ナガセにとっては珍しい見てくれである。
彼が唯一知っているアリアハン王城は、城の周囲に堀と運河を巡らせてあって、街中からは少し離れた位置にあったからだ。
さて、とりあえずどちらかに歩き出そう。
ナガセが足を進めて振り向いた、その第一交差点のところである。
向かいの角から歩いてきた人影に気付かず、ナガセはそのまま突っ込んでしまったのだ。
得てして言うなら、見も知らぬ街人に、無防備に体当たりかましたのだった。
ぶつかった拍子に、相手の持っていた麻袋が落ちてしまった。石畳の地面に硬貨が散らばる。
「あああ! ご……ごめんなさい!!」
ロマリアの国内通貨だろうか。
見たことのない複雑な文様と、見たこと無い光沢を放つ珍しい硬貨ばかりだった。
銀と似た質感だったが、それよりも光の色に近く、少し重い。
とは言え、そんなことをじっくりと考えている余裕はない。
幸いにも、人混みのど真ん中では無かった。
ナガセは急いで散らばったコインを拾い集める。
「いや。こっちこそ、ごめんよ。急に角から出てきてしまって」
小柄で細身だったが、声で、ぶつかった相手が男性だったことが分かった。
なめし革の青い帽子と、おそろいの色の外套に、木綿の服。
首元にはくるくると濃紺色のマフラーを巻きつけていて、顔のラインまで隠れている。
「君は旅の人だね?」
「はい、アリアハンから……」
「え、アリアハン!?」
男性は目を丸くして、ナガセをまじまじと見つめ返してきた。
何故だか、少々緊張する。
「本当に?」
「あ、えと……はい。僕、アリアハン出身なんです」
「へぇ……それは嬉しいね。友好国だけど遠すぎて。さすがに王都までは、滅多にアリアハンの人たちは来ないからさ」
ロマリア王国とアリアハン王国が友好関係を結んだのは、かれこれ五十年ほど前の先々代王の時代にまで遡る。
以来、着実に友好を深めては来ているのだが、何せ距離があるために、転移魔法でも使わなければ、王族同士の会食もままならない。
「歓迎するよ。ロマリアへようこそ。あ、そうだ……せっかく来てくれた旅の方だし」
と、男性は拾い集められた国内通貨の一枚を、ナガセの掌に握らせた。
「拾ってくれてありがとう。一枚あげるよ」
「え。い、いいッスよ! ぶつかった僕が悪いんですし」
「人の好意は素直に受け止めるもんだよ?」
にっこりと微笑みの圧力をかけられ、ナガセは肩をひっこめるように受け取った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。一人旅?」
「いえ、僕を入れて五人です。あ、今、宿屋探してるんです。えっと、なんか冒険者がたくさん来てるらしくって、どこも満室で……」
「ああ、今は……そうか。そうだよねぇ。そっか。それは悪いことしちゃったかなぁ」
一人うなずいて納得する男を見て、ナガセは首を傾げた。
ロマリアに冒険者が多くて宿屋が満室なのは、この男性、個人のせいではないと思うのだが。
「うん、よし。それなら、ここから脇道を入って……」
男は、ナガセの持っていたガイドマップの右端辺りに丸を付ける。
「街の東区域の、共同井戸の近く。緑色の屋根の三階建て。ここから、ちらっと見えるでしょ? あそこも、宿屋だよ。空き部屋あるかもね」
「本当ッスか!?」
「今、君にあげたコイン。それを宿の人に見せてあげてくれる? 紹介された、って言えばきっと良くしてくれると思うよ」
穴場なんだよ、と笑った青いマフラーの親切な男は、手を振って、メインストリート北の人混みの中へ早々と消えて行った。
シゲルは知人と別れた後、カジノ内部を歩いていた。
ロマリアの名産品の一つが、近郊の農場で造られる上質なワインであることを知っている。
敷地内のバーカウンターで一杯戴いてから宿へ戻っても、遅くはならないだろう、と思ったのだ。
賑わう人波を避けながら、酒場の看板を目印に歩いていると、
「リーダー」
どこからか聞き覚えのある声が投げかけられた。
シゲルは足を止めて、出処を探し辺りを見回す。
「こっちこっち」
「ああ、タイチか」
やや上階のフロアのテラスから、タイチがやって来た。
エントランスまでは一緒だったのだが、お互い“仕事”と称して別行動していたのだ。
同じパーティーの仲間であれ、ごく個人的な仕事には干渉し合わない暗黙の了解。
とは言うものの、シゲルには大方、タイチの仕事が見当付く。
「どうや? 勝ったんか?」
「……全然だめ! 子供の小遣い分ぐらいしか増えてない。テーブルゲームだったらもうちょっと勝てるんだけどねぇ、ここ置いてないから」
「悪どいやつやなぁ……」
シゲルはバツの悪い苦笑を浮かべる。
タイチがテーブルゲームを選ぶのは、自身の持てる技術が最大限活かされる賭け事だと分かっているからだ。
彼は本来、シゲルと同じで賭け事自体にはあまり興味がない性質のはずなのだが、確実に勝てる暇潰しで小金を稼げるならば、話は別。
つまり本当の意味での、“仕事”なのである。
あまり調子に乗り過ぎるのもどうかとは思うのだが、小癪にこれで引き際も心得ているらしい。
「一杯ぐらいだったら奢れるよ?」
何かしら裏の見え隠れする、タイチからの誘いである。
おそらく中途半端に勝った分を、ヤマグチに見つかる前に処分してしまおうという算段だろう。
「お。そりゃありがたい……けど、僕もちょうど今、奢り損ねたとこなんや」
「え、嘘。まさか奢ってくれるの? こんな状況二度と無いかも」
「失敬な。商人さんはこう見えて意外と太っ腹やで」
金銭勘定に特に厳しいだろう二人が、珍しく、奢り合いというレアな意見を一致させた。
遠い異国の地にあって、旅の恥はかき捨て、というやつだろう。
バーカウンターに向かおうとするシゲルを、ふと、タイチが思い付いたように呼び止めた。
「あ、そういえばリーダー。財布、大丈夫?」
「は? 何を突然。うん、持っと……る?」
言いかけて、シゲルは懐を探る手をビタリと止めた。
「……あれ?」
ぱたぱたぱた、と、右ポケット、左ポケット、戻って右ポケットを叩いてみる。
「え、あれ? あれ? お? おお?」
「あー……やっぱり」
「やっぱり、て……タイチ、どーゆーことや!」
解れ、と顔に貼ってあるような、ほのかな微笑みが返ってきた。
いや解る、とシゲルはとりあえず微笑みを振ったが、すぐに我に返る。
スラれたのだ。
確かに、混みに混んだ格闘場内。
何度かすれ違いざまに身体を打ち付けた人もいたような気もする。
気もするが、そんな細かいことまで、覚えているはずがない。
「さっきから盗賊っぽい人らがコソコソ動いてたから、もしかしたらってさ」
「ちょ……そんなら教えてくれたって!」
「教えてもリーダー、どうやって撃退すんの。無理でしょ」
きぱりと無下に言い返され、シゲルの目尻には涙が光った。
「いや……それも、そやけどな……」
「三、よn人のグループで動いてたみたいだから。ギルドに属してるんじゃない?」
ギルド、とは仕事を請け負う上で同じ志を持った者たちが集まって形成される、単にパーティーと言う規模よりも二回りほど大きな組織、言ってみれば組合のことだ。
非公式な団体から、公的に国から援助を受けている団体まで、ピンからキリまである。
もちろん、盗賊ギルドは何処の国でも完全に違法ギルドだ。
ただし、実際のところは何処の国にも秘密裏に存在し、騎士団すら黙認している節もある。
裏社会において割合としっかりした縄張りの線引きをし、獲物の配分から盗品を流すルートまで、実は徹底した管理をしているのだ。
皮肉なことに、盗賊ギルドがあるからこそ盗賊が真昼間から横行しない街が出来上がる。
「ふむ。ギルドにな……つまり、この辺を活動区域にしてる盗賊団か」
おそらくこの近辺で活動する盗賊団、となれば探し出すのは最終的には一つのギルドとなるだろう。
「たぶんね」
「……ちなみに、ロマリア方面のギルドに知り合いとかおらんの?」
「いても、別のギルドだと思うよ。盗賊のギルドってめちゃくちゃガード固いんだから」
シゲルは肩をすくめた。
盗賊ギルドに伝手があれば、盗品の情報、例えば、たった今盗まれた愛すべき我がサイフ含め、アリアハン城から盗まれたレッドオーブの行方もあるいは知ることが出来たかもしれないのだが。
目下、考えるべきはそこではない。
「僕の……なけなしの250Gと祈りの指輪(時価3000G)を盗んだ罪は重いで……」
万一の為(保身)を思って財布に忍ばせておいた、ヘソクリ代わりの貴重な魔法道具。
250Gはともかくとしても、あれをおいそれと盗まれるわけにはいかない。
奪還に燃えるシゲルの、怒りのオーラに圧されてか、さすがのタイチも茶化しに来なかった。
「で、どこのどいつや盗人は。お前のことや。“鷹”で目星付いとるんやろ?」
「あ、あれ……? バレてた?」
わざとらしく笑ったタイチが、左手を目線の高さに掲げる。
すいと、何かの気配が手元に降り立った。
魔力を操る者が、その眼をこらさなければ見えないほどの、限りなく薄い魔法の気配。
探索補助の呪文の一つ、“鷹の眼”である。
魔法で作り出した鳥を遠隔地に飛ばし、その視界を共有することが出来る。
本来は、主に付近の偵察や、マッピングの情報収集に使用するのだが、自在に動かせるようになれば尾行も見張りも可能、と言う便利で厄介な汎用呪文だ。
「タイチの“鷹”は嫌味なくらいに気配が無いからなぁ。逆に目立つ」
「……褒め言葉なの、それ?」
「勿論」
シゲルが満面の笑みで即答する。
タイチは、余裕のあるシゲルを軽く睨みつけると、溜め息交じりに“鷹”を放した。
「そんだけ気配感じるの得意なら、スリぐらい気付けそうなもんだけど」
「……」
それとこれとは話が別だ、とシゲルは思ったが、さすがに今言い返すとスリ探しに協力してくれなくなりそうなので、泣く泣く無言を貫いた。
気付けなかったものは仕方が無い。
魔力の感知とは意味合いの違う、盗みの技術に関しては無知なのだからどうしようも無い。
カジノの人混みの真上を縫うように、魔法で作られた鳥は迷わず目標へと飛んで行った。
“水鳥集う枝”と書かれた看板が、申し訳程度に翻る小さな宿場だった。
メインストリートから脇道に三本ほど入った、入り組んだ住宅街近くの路地。
宿屋と知らされなければ、それと分からない門構えをしていた。雑貨屋の玄関のようだ。
ノブ付きのドアを開けると、確かに小奇麗なカウンターが備え付けられている。
街で出会った男に言われた通り、ナガセがコインを見せると、店主は少し驚いて(いわく、宿屋と知って訪れる旅人は珍しい、とのこと)宿帳を取り出した。
本当に、宿屋だったらしい。
「野宿にならなくて良かったな」
ヤマグチの言葉に、ナガセも大きく同意した。
あの男性にお礼を言わなくては、と思ったが、ロマリアは大きな街だ。
冒険者として、定住せずに次の目的地へ発つまでの、このわずかな期間に、再び会う機会が訪れるのだろうか。
いや、もう会うことはないのだろう、と考えると、冒険者となってから初めて味わうような、少し寂しい気分になった。