PRELUDE

 終点は、意外にも呆気なく唐突に訪れた。

 すっかり魔物の気配の失せた裏通路を進み、二つほどフロアを通り過ぎて、
 最後に細い地下への階段を下りると、すぐに、そこはもう目的の部屋だったのである。
 半刻どころか、十数分も経っていないかもしれない。

 備え付けられていた木製の扉は、とうの昔に敷居の役目を放棄したらしい。
 朽ちたか破壊されたかで、蝶番部分をわずかに残すのみだ。
 先のフロアから、青い光が漏れてきている。
 照明呪文の白光の中にあってもなお鮮やかな青は、まず、松明の灯ではありえまい。

 最奥の部屋は、不思議な空間であった。

 石が低く積み上げられた真四角の囲いの中に、青い光を放つ池が作られている。
 池、とは言ったものの、実際、囲いの中身は水ではなかった。

「すっごい。これ……水じゃないッスよね?」

 そのまま地底に吸い込まれそうなほど真っ青な霧が、フロアの中央に据えられた石囲いの中を濃い密度で渦巻いている。
 中心の目に近づくほど青は色濃さを増しており、底が見えない。
 石囲いの高さから推定する池の深さとは、釣り合わないのだ。
 さながら、深い海の底をそっくりそのまま真四角に切り取ったような空間である。

「“旅の扉”だよ」
「たびのとびら?」
「大昔の大陸間移動手段や。地中深くを流れる魔法気流を利用しとるらしいわ。ま、このアリアハンのは不安定になってしもて、封印してたんやけどな」

 ナガセは青い水溜りに、そっと手を伸ばしてみた。
 触れた位置から波紋が広がり、渦を揺らめかせる様は本物の水そのものだが、水に濡れる感覚はなく、熱くも冷たくもない。
 目の前を過ぎる霧の粒子が、手の甲に当たって飛散していった。緩い風が吹いた感触だけがある。

「移動手段……?」

 もしや、ロマリア方面へ地下深く、海底トンネルでも続いているのかと思ったが、それにしては船などの乗り物が存在しない。
 隣のマツオカが首を傾げる。まさか歩いて行ける距離でもあるまい。

「大陸間って。まさか、こんなので海越えるってこと?」
「うん。うん、上手く乗れば、の話やけどな」
「……何よ。その“上手く”ってのは」
「あのな……僕、言うたやん、今」

 シゲルがいやに不透明な眼で、にっこりと微笑みかけた。

「“不安定”になってしもた、て」
「……」

 旅の扉に、今まさに飛び込もうとしている若葉冒険者に、何という事実を告げるか。
 無言で固まったマツオカが、そろりと背後の様子を窺う。
 戦時下の波止場で今生の別れを迎えようとする旅行者に手を振る、三人がいた。

「……ねぇ、何。まさかオレがトップバッターなわけ?」
「お前、最後に残ったら絶対飛び込まないだろ」

 図星であった。
 言葉に詰まったマツオカの数秒間は、沈黙なだけに長かった。

「ちょ……まぁ、ちょっと待とうよ。“旅の扉”、オレ初体験なワケじゃない。こーいうのは経験者が見本を見せてから、ってのが有り体の……」
「さっさと、行け!」
「ぎゃー! 蹴るな! って、うっそ!?」

 マツオカ、完全に不覚を取った形で、低い石囲いで足を滑らせた。真横に倒れる。
 そこが石の床であれば、倒れていたはずだった。
 が、何せ石囲いの中は、魔法気流に満たされた異空間、“旅の扉”である。

 あーれー(実際は文句を散々口走っていたのだが、言葉にならなかったようだ)……と、旅の扉の渦に、恨みがましい声が吸い込まれていく。
 その声が徐々に遠のいてゆくのと同時に、青い霧に巻き込まれて、視覚的にも遠のいてゆく。
 ふっと、数瞬の後、マツオカは何とフロアから忽然と消えてしまったのだ。

 その驚愕の事態。
 ナガセは突然の出来事に、固まってしまった。

「え!?……き、き……消えた! マツオカくんが!?」
「そりゃー“旅の扉”だからねぇ」
「何でそんな落ち着いてるんスか! マボどこー!?」

 石囲いの中を慌てて覗きこむが、マツオカの姿はない。
 相変わらず、青い霧が渦を巻いているだけである。
 目の泳ぐナガセの首根っこを、タイチががしりと掴んだ。

「よしナガセ。覚悟決めようか」
「何スか、それっ。何の覚悟!? え、オレら今から何……」
「こんなの俺だって使いたくない……てゆか先行ってよ」

 精神集中したタイチが先にナガセを蹴り飛ばそうとしたが、

「あああ! ちょ、ずりィ……タイチくんのバカーー!!」
「おわッ!? てめぇあとでぶっ飛ばす!!」

 間一髪、フードの端っこを引っ掛けたナガセが、結局タイチを道連れにした。
 どーあー……(でも少々楽しそうだ)と、二人して旅の扉に消えていく。

 シゲルとヤマグチ、その様子をいやに冷静に観察し終わって、はたと目が合った。
 双方の眼が、お先にどうぞ、いやお先にどうぞ、と激しく遠慮し合っている。

「い、いや。あ、あの。あのなぁ。僕は、どうも……こーゆう、“旅の扉”ちゅー類のもんは、あまり好きではな……」
「分かってる。分かってるから、とっとと行け。先が支える」

 ギャー……(暴力に訴え出るんか卑怯やー)と、シゲルの断末魔の叫びが、旅の扉に吸い込まれて消えた。
 さて、自分を除く全員がフロアから姿を消したことを確認すると、

「……“旅の扉”好きなヤツなんて、いねぇっつの……!」

 最後に残ったヤマグチが、ちょっと涙目で悪態吐いて気流に飛び込んだ。
Level 07+c. 天の森の1人-(3)
 ナガセは森を歩いていた。
 点々と続く木漏れ日が、歩みを引っ張っている。

 近頃、ナガセはよく“森”の夢を見るのだ。

 もっとも、森の夢を見ている間の自分には、これが夢だという認識は無い。
 朝になって、目を覚ましてから何となしに気付く。
 ああ。また、森の夢を見た、と。

 森を歩きながら、ナガセは扉を探している。
 “扉”とは抽象的な意味で、実際に取っ手の付いたドアを探しているわけではない。
 森から抜け出すための出口、その目印のようなもの、あるいは境界線かもしれない。

 言わば、次の世界が現れるのを待っている。
 あちらから来るのを待つ、とは何とも受身な探索ではある。
 しかし、今のナガセには、自ら扉を見つけ出して、次なる道を選ぶ力はどうも無いようなのだ。

 森が単なる通過点でしかないことを、ナガセはいつからか知っていた。
「何故、アリアハンとの“旅の扉”を封印したのです?」

 ナガセは、先を歩く戦士に向かって、そう問い質した。
 薄暗い針葉樹の森を、“四人”は獣道沿いに歩いている。
 長い僧服は自身のステータス。と言っても、足下の小枝に引っかかるのが毎度面倒だ、と思う。
 (……僧服を身に付けているオレは、“今”、“誰”だ?)

「大した理由じゃない」
「洞窟の入り口をギタギタに破壊までしておいて、大した理由でもない、と?」
「……黙ってたのは悪かったよ」

 先頭の戦士が立ち止まり、振り向いた。
 逞しい体つきを軽装備と経験とで補う、壮年の猛者だ。
 無計画ではないと分かってはいたが、ナガセは時折、この男の考えが読めない。
 (“いざないの洞窟”を封じたのは、この人?)

「ただ、“旅の扉”を使って移動するのは、何も人間だけじゃないと思って……な」

 本来、モンスターは本能的に“旅の扉”を避ける。
 地底の世界を祖とする魔物が、地底の魔力に還ることを嫌うからだ。
 だが、その本能を抑え付けることが出来るほど自我の強い魔物ならば、簡単に“旅の扉”を越えることが出来てしまうだろう。
 そう、例えば、私たちがこれから戦おうとしている、“脅威”などは。
 (そういえば、あの影のモンスターは、元々はアリアハンにいるはずのない魔物だった。)

「誰だって、自分の故郷は可愛いさ」

 祖国アリアハンを、脅威から少しでも遠ざけようとする意志。
 とは言うものの、全世界を見渡せば、点在する“旅の扉”はそれこそ星の数と同等だ。
 たかが辺境のひとつを封じたところで、脅威の手が止まるとは到底思えない。

 そういうことだ。彼の泳ぐ眼を見れば、本当のところの理由も察しが付く。
 (あ、この人。冒険者風の格好だけれど、アリアハン出身だったんだ。)

「まぁ、故郷って言うか。要するに、可愛いのは御子息のコトでしょう」

 笑いながら揶揄したのは、ナガセにやや遅れて追い着いた魔法戦士だ。
 (あれ? どこかで見たことがあるような……)

「あの子も、“銀の魔力”を持っている」

 故にか、“脅威”を察することも、それに立ち向かうことも、いずれは運命となる。
 ナガセは小さく頷いて、魔法戦士を隣に、再び歩き出す。
 (えーと……誰かに似ているような……あー、誰だったっけかなぁ?)

「普通は遺伝しないものなのだがな、“銀の魔力”は……運命なのか、神の悪戯なのか……」
「だとしたら、酷い神も居たもんだ」

 そう言い放った魔法戦士は、ナガセの顔色を軽い調子でうかがっている。
 仕方なく軽く睨みつけてやると、逃げ出すように肩をすくめた。
 神を信仰する僧侶の前で神を冒涜しておきながら、悪びれた様子もない。
 とことん良い性格をしている。ナガセは苦笑する。
 (でも、この僧侶さんは、そんなに怒ってないんだよな。)

「……ウエクサ。俺がもう少し信仰心の篤い僧侶だったら、死の言霊飛ばしてるぞ」
「信仰心が薄いこと知ってるから言うんだよ」
「失礼な。俺がいつ神を冒涜したって言うんだ」
「つい五分前、スライム相手に面倒くさいってバギクロス放った奴とは思えない発言だな」

 棒読みで一気にまくし立てた嫌味に、ナガセはぴくりと眉を動かす。
 (……何だか、オレたちみたいだ。)

「……何か言いたそうだな、ヒガシ」
「いや。お前が次のアリアハン王だと考えたら、眩暈が……」

 ヒガシ、と呼ばれたナガセは、大げさに肩を落として見せた。
 (あ! やっぱりどこかで見た顔だと思った――この戦士さん、王様だ!)

「おい、何してんだ……ロマリアに着く前に日が暮れるぞ」

 一行の先頭を歩いていたもう一人の魔法戦士が、ナガセたちの歩が遅いのを気にして戻ってきた。
 つまらない言い争いだったと知るや、呆れ顔で溜め息を吐く。
 (あれ? 王様、ちょっと今より若い?)

「こんなパーティーで魔王と戦うのかと思うと、先が思いやられるな」
「言っておくが、お前も“こんなパーティー”の一員だぞ」
「……俺はともかく、あの方を入れるのは失礼だろう」
「いや十分入ってると思うね」

 こっそりとつぶやいて、背中向こうの気配に遠慮する真面目な魔法戦士、
 なるほど、一応のところ、このパーティーにおける常識人らしい。
 (この人は見たことがないけれど……同じパーティーなのかな)

「まぁ確かにちょっとばかり変人だと思うが」
「……全部聞こえてる」

 背中向こうの屈強な戦士、とっくに気配を殺してナガセたちの輪に近づいていた。
 ナガセたちは一斉に真面目な顔で、素知らぬふりをして見せる。
 こんなときにだけ、チームワーク抜群なのである。
 (……あれ?)

「帰ってもいいんだぞ」

 と、戦士がぽつりと口にした。
 説教の延長線上、ではなかった。嘘で固めた本心だ。
 (……見覚え、あった、ような。この、戦士さんは……え?)

「帰るわけないでしょう」
「しかし……」
「勝手についてきてるのは俺たちの方ですから」
「そうそう。それに、世界を救うなんてイベント、そう簡単に体験できないしね」

 ナガセの強い決意を込めた返事に、二人が続く。
 戦士は、少し安堵した様子で、だが変わらず厳しい表情で口を開いた。
 (……オレは、この人を知っている?)

「……世界の多くの人々は、未だこの脅威の名さえも知らない。打ち勝ったところで、何の栄誉も褒美もないだろう」

 実体の不確かなものに挑むなど、どんな勇敢な冒険者であれ躊躇する。
 いつか必ず脅威が目に見えて台頭する日が来たとしても、その時には既に遅いのだ。
 四人には、分かっている。
 猶予はない。
 (そうだ。)

「それでも、この旅についてきてくれるのか?」
「愚問ですね」

 分かっているからこそ、この旅を続ける。
 そして一刻も早く、終わらせなければならない。
 丘の林の向こうに街の明かりを見つけて、ナガセが一行を促した。
 (――思い出した。)

「さて……それでは参りましょうか。オルテガ殿」
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ザキ:即死呪文。死の言霊で対象の息の根を一瞬にして止める。
バギクロス:風の最上級呪文。猛烈な嵐の刃で敵グループを攻撃する。