「――そっちに逃げたそうだぞ!」
「西六番街だ!」
「ダオスタ橋の方へ回り込め!」
両手に抱えた紙袋で遮る、背後の細い路地裏。
はらはらと、マツオカ以上に落ち着き無く事の行く末を見守っているのは、路地裏で縮こまるスリ団員の三人である。
「だ、だいじょうぶですやろか……?」
「あー……うん、まぁ余程のことがない限り、大丈夫だと思うんだけど」
「撒いてきたよぉ」
と、暢気なタイチの声が真上から降ってきた、かと思った次の瞬間、タイチ本人が真上から降ってきた。
この登場の仕方、そろそろ止めて欲しい。マツオカは二回目にして思い始めている。
「……だ、大丈夫だったの? アシとかつかない?」
「だいじょーぶ!……たぶん!」
「たぶんなんだ」
案外と正直なタイチの発言に、かくりと項垂れるマツオカ。
「こんなんで誤魔化せるかなぁ……」
「ちゃんと、あの財布の入った麻袋も橋の近くに引っ掛けておいたよ。リーダーに言われた通り、目に付きやすいところにね」
「あ、そうだリーダー! リーダーは? 一緒じゃないの!?」
「もう少ししたら来るよ……そんな血相変えなくても大丈夫だって」
いや別に血相変えてるわけでも心配してるわけでもないんだけどあのひと鈍くさいしさぁ、と、一気に言い切ったマツオカの心配を余所に、タイチが「あ、来た」と指差した通りの向こうから、当のシゲルがヨタヨタと歩いてきた。
壁をかろうじて支えにしながら、肩で荒く息を吐いている。
「……しっ……死ぬ……もう走れん……」
「運動不足だねぇ、リーダー。魔法商人でも体力は必要だと思うよ?」
ようやく二人(とスリ団の青年たち三人)のところまで這い寄ると、座り込んでしまったシゲルに、マツオカは律儀に癒しの呪文を唱え始めた。
タイチが、その光景を眺めながら意地悪気に笑う。
「優しいねー、マツオカくんは」
「いや……だってしょうがないでしょ。歩いて宿まで帰ってもらわなきゃならないんだから」
それとも負ぶっていくの、とマツオカが倍返しの睨みを利かせてきたので、確かに、さすがにそれは勘弁したいと素直に謝っておく。
あばれざる(意訳:ナガセ)やごうけつぐま(意訳:ヤマグチ)ならともかく、タイチは見た通りの評価のままに、腕力には全く自信がないのだ。
パーティーのドライな優しさに、シゲルは苦笑する。ようやく息の落ち着いてきたところで、タイチに確認を取る。
「手筈通り?」
「うん。けど、アレで良かったの? 俺、逃げ回ってただけだよ?」
「麻袋は回収してったんやろ? それで十分や」
シゲルは、周囲の人々に「コロッセウムに泥棒が出た」「西の方へ逃げた」などという情報を散開させながら、それとなく騎士団へ通報したのだ。
タイチは大仰に逃走劇を演じ、最終的に西の川に架かった橋の欄干から、身を投げた――フリをして、追っ手の警ら隊を撒いた。
これみよがしに橋の袂に、盗んだ財布の入った麻袋を引っ掛けて。
結果、警ら隊は盗品だけを取り戻して、いそいそと撤収したわけだ。
何やら腑に落ちないが、シゲルが十分だと、そう言うのなら、そうなのだろう。
タイチは一応、結論付ける。
「あの……」
大層に控えめな声が掛けられて、タイチたちは、一瞬それがスリ団三人のものとは気づけなかった。
路地の壁際に神妙に正座して、こちらの応答を窺っている。
「ああ。ま、これで今回の盗みの件は上手く行きそうやから。心配せんでええよ。君らはどうする?」
「どうする、か? ですか?」
「そう。ムオルに帰るか、ロマリアで暮らすつもりなら、職探さなあかんやん」
現実を見据えられては、元スリ団の青年三人が互いの顔を見合わせた。
故郷に帰るという選択肢が一番良いのではないだろうか、とマツオカは何の気無しに思っている。
身ひとつでロマリアに出てきたところで、できる仕事といえば限られてしまう。
「盗賊続けるのは無理だと思うよー、こーんな鈍くさい人にバレちゃって捕まってたら身が持たないよ?」
「……うん、そういう問題じゃないよね、確実にね」
マツオカがぼそりとつっこむが、職業盗賊のタイチには無意味であった。
だが、盗賊を続けるのは無理だという考えは、三人の青年たちも一致していたらしい。
「盗みは……もうしません。けど、ムオルには帰りません」
「元々、故郷は捨てるつもりで三人で出てきたんです。ロマリアでがんばります」
「……別に捨てなくてもいいと思うけど」
せっかく在る故郷なのだから、横に置いておくくらいの感覚で良いと思う、仮物の故郷を造ったタイチの素直な反応だった。
それは、マツオカも同じ思いである。
故郷と言われれば確かに思い浮かぶのは、アリアハンだが、厳密には出身が違う二人にとっては、郷愁の何をもって故郷と定義するのか、ただの居住地とするのか、線引きが曖昧なままだ。
そして、おそらくヤマグチも、この感情を共有できるはずだ。
ナガセは違う。彼には、故郷と自らの内に定義される確固たるものがアリアハンにある。
シゲルは、果たしてどうなのだろう。
この三人の青年たちと同じように、故郷を持ち、かつ自ら故郷を捨てて来たのだろうか。
タイチもマツオカも、ムオルの世情を詳しくは知らないので、何とも言い難いのだが。
当のシゲルはそんな思いを知ってか知らずか、ロマリアでの若年層の就職口を真剣に探っている段階である。
「ロマリアで定住するつもりやったら、城の仕事でも斡旋できたかもしれんけどなぁ……この状況では無理やな。仕事探すんやったら、ルッカ紹介所でも行ってみたらどうや?」
「あ、紹介所ね」
「そう。胸張ってオススメは出来ん冒険者向けの仕事やけど……君ら三人なら、何とかなりそうやし」
冒険者、と聞かされた三人の青年たちの目は、星を見つけたように輝いた。
少なくともムオルからロマリアまでの短くない行程を旅してきているはずで、冒険者としては駆け出しではあるが、全くゼロからのスタートではない。
一旗揚げるという趣旨とは違ってくるだろうが、目指している方向性は近い気がする。
三人は、相談の末、ルッカ紹介所に掛け合ってみることにしたようだ。
「……ありがとうございました」
「ん?」
「あの、何から何まで……色々と」
すっかり恐縮してしまった青年たちに、シゲルは微笑む。
それは、知り合ったばかりの年若い元スリ団へ向けたものではない。
偶然にも同郷だった近しい弟分たちへの、遠い故郷を懐かしむような笑みだった。
「言うたやん。僕も、同じクチやってな」
「随分と肩入れしてたね」
意外なのか、当然の成り行きなのか分からないが、マツオカは半ば呆れたような口調で話しかけた。
スリ団――否、元・スリ団の青年たちをルッカ紹介所の入口まで案内すると「このご恩は一ッ生忘れませんっ!!」「再びお会いするときは必ずや恩返しを!!」「ガルーダの恩返しを!!」と口々もお礼を述べられ嘘か真か感激の握手とともに何度も頭を下げられ、そして三人とはつい先ほど別れたところだ。
夜は随分と更けている。街灯の少ない路地を、アリアハンの五人のうち三人は、宿へと向かって歩いている。
大通りの華やかな喧噪も、ひとつ道を隔てるだけで嘘のように遠ざかっていた。
町人の住宅らしき閑静な街並みが続くので、心なしか小声になってしまう。
「面白くなさそう」
マツオカの表情を見とめたのだろう、タイチが、こちらは面白そうに笑う。
二人の言葉数の少ないやり取りの間で、シゲルは少し困ったように苦笑する。
「何かすまんなぁ。面倒ごとに巻き込んでしもて」
「いや、そーいうんじゃないけど……何ていうか、リーダー、他人のこと、あんま興味なさそうだしさぁ」
マツオカはシゲルの本質を冷静に捉えているつもりだ。
柔和そうに見えて、到って乾いており、どこかで他人との関係に距離を保っている。
他人という枠外へ押しやった事象には自分からは決して干渉しないタイプだ。
商人、という職業柄なのだろうか、それは、客の事情に深入りせずに遠見のままで詮索する、独特の癖にも見える。
どう答えるべきなのか、シゲルが適当な相槌を探していると、
「……善意の人助け?」
それこそ、この魔法商人には似合いそうもない理由を、タイチが口にする。
「んん。まー善意ではあるけど。完全に、善意だけってわけでもないなぁ」
「え、そうなの?」
「カンダタ盗賊団、ちゅーの、ちょっと気になってな」
あの青年たちが属していたという、盗賊ギルドの名だ。
いわく、数年前は山賊まがいのごろつき集団だったものが、ここ最近で一大盗賊ギルドに成り上がって来ているとか。
巨大なギルドにのし上がったからには、何かしら理由があったはずだ。
「出来れば、本拠地か首領の情報でもポロっと出てきて欲しいとこなんやけど……」
「あっ!! ちょ……リーダー、まさか……」
妙に現実味のある、計画的なことを考えた口調だ。ぴんと来たタイチが慌てて頭を振った。
えへ、とばかりに可愛げの無い笑みを浮かべるシゲルと、タイチの寒暖差は激しい。
「派手に動いたら、何か行動してくれへんかな〜って」
「うっわ。ひでぇ……人のこと撒餌に使っただろ!」
シゲルもそれほど盗賊ギルドの慣習に詳しいわけでは無い。
しかし、巨大な盗賊ギルドの縄張りの中で、フリーの盗賊が大立ち回りを演じたとなれば、何かしらのアクションがあって当然、と予想したのだ。
タイチの反応を見る限り、おそらく推測は正しかったのだろう。
「ギルドと敵対するのとか、マジで嫌なのに……」
「広ーく取れば、お仲間やん。一応」
「全然違うし! 仕事がやりにくくなるんだよ!」
「契約不履行!」「このぼったくり商人!!」とかよく分からないが思いつく限りの悪口を放ったタイチは、ずんずんと先に立って歩いて行ってしまった。
タイチは怒っているようだが、自身の仕事がやりにくくなる、ということは、彼がロマリアでも盗賊よろしく泥棒家業をするつもりで、しかし大っぴらに活動はできなくなるということなのだろうか。
それならば、むしろ逆に安心するのだが、とマツオカはこっそりと胸を撫で下ろす。
シゲルが、そんな付属の成果までを策の内に考慮していたとまでは思わないが、ちらりと横目に入れた彼の表情は、いっそ清々しいほどの笑顔である。
本当のところ、真の狙いがどちらだったのかも分からない。
「何であの盗賊団が気になんの? 昔に比べて、勢力が強くなってきてることとか?」
「ああ……そうやね。それもある。けど」
その先に、何か続く言葉があったはずだが。声は返ってこない。
長い沈黙に耐えかねてシゲルを見ても、返答はない。
「……ま、言い訳か。結局、自分と同じような境遇の子らを、放っておけんかっただけやな」
続く返答ではなかったが、それもまた、シゲルの真意には違いなかった。
同じ境遇、と称した時の様相の一片ずつを拾い上げ、マツオカは細かく観察する。
「はーん。何つーか……意外」
「“意外”?」
「アンタにしては、青すぎる理由で旅立ってんだなぁ、って」
「何やそれ」
シゲルが噴くように笑った。
誰にだって、少年時代はある。手に掴めないものを夢中で求めようとする青年時代もある。
故郷を旅立った理由など、他人が思っているよりも、存外に軽いものかもしれない。
「僕かて、青春時代はあったんやで?」
「そりゃ分かるよ。けど、アンタ、謎多すぎんだもんよ。てっきりもっと」
と、言いかけてマツオカは急に口を閉ざした。先の言葉が、上手く思い当たらない。
……何を言いかけた?
自問する。
シゲルは、マツオカの少し前を速度を落とさずに歩いている。
彼は、アリアハンの古道具屋店主だ。
大陸東の出身で、ぶらり放浪途中下船に行き着いたアリアハンにて店を開いた。
知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない魔法道具の専門商人である。
魔法道具には少々詳しく、魔法の呪文もそれなりに使用できるらしいが、それだけだ。
一応のところ、それだけだ。
「てっきり、もっと、複雑な事情で旅立ったとか思てたんか?」
マツオカが適当な相槌を探せずにいると、シゲルはおもむろに立ち止まる。
数歩先で振り向いた魔法商人の表情は、闇に溶け込んで窺い知ることはできない。
そして、マツオカの中で、比較の基準点となったものを指摘されるのだ。
「それとも、お前の旅立った理由のほうが、重いんかな?」
“水鳥集う枝”の玄関口から仄かに灯りが洩れ、逆光となっている。
丁度のタイミングで宿屋から出てきたのは、ナガセだった。
遅かったので心配して待ってくれていたのだろう、先に着いたタイチを見とめると笑顔になり、続いて、こちらの姿を確認すると大きく手を振った。
マツオカは、思わずして振り返した手のやり場に困る。
アリアハンを出立して三日目を迎える、最初の屋根の有る宿。
おかえりなさい、と掛けられる言葉の違和感と心地良さに気を取られる。
マツオカは、ついにシゲルの問いに返答することができなかった。
「西六番街だ!」
「ダオスタ橋の方へ回り込め!」
Level 08+g. 東7番裏通りの3人と3人(3)
街の警ら隊が慌しく大通りを横切って行く様を、壁際のマツオカは落ち着き無く見送っている。両手に抱えた紙袋で遮る、背後の細い路地裏。
はらはらと、マツオカ以上に落ち着き無く事の行く末を見守っているのは、路地裏で縮こまるスリ団員の三人である。
「だ、だいじょうぶですやろか……?」
「あー……うん、まぁ余程のことがない限り、大丈夫だと思うんだけど」
「撒いてきたよぉ」
と、暢気なタイチの声が真上から降ってきた、かと思った次の瞬間、タイチ本人が真上から降ってきた。
この登場の仕方、そろそろ止めて欲しい。マツオカは二回目にして思い始めている。
「……だ、大丈夫だったの? アシとかつかない?」
「だいじょーぶ!……たぶん!」
「たぶんなんだ」
案外と正直なタイチの発言に、かくりと項垂れるマツオカ。
「こんなんで誤魔化せるかなぁ……」
「ちゃんと、あの財布の入った麻袋も橋の近くに引っ掛けておいたよ。リーダーに言われた通り、目に付きやすいところにね」
「あ、そうだリーダー! リーダーは? 一緒じゃないの!?」
「もう少ししたら来るよ……そんな血相変えなくても大丈夫だって」
いや別に血相変えてるわけでも心配してるわけでもないんだけどあのひと鈍くさいしさぁ、と、一気に言い切ったマツオカの心配を余所に、タイチが「あ、来た」と指差した通りの向こうから、当のシゲルがヨタヨタと歩いてきた。
壁をかろうじて支えにしながら、肩で荒く息を吐いている。
「……しっ……死ぬ……もう走れん……」
「運動不足だねぇ、リーダー。魔法商人でも体力は必要だと思うよ?」
ようやく二人(とスリ団の青年たち三人)のところまで這い寄ると、座り込んでしまったシゲルに、マツオカは律儀に癒しの呪文を唱え始めた。
タイチが、その光景を眺めながら意地悪気に笑う。
「優しいねー、マツオカくんは」
「いや……だってしょうがないでしょ。歩いて宿まで帰ってもらわなきゃならないんだから」
それとも負ぶっていくの、とマツオカが倍返しの睨みを利かせてきたので、確かに、さすがにそれは勘弁したいと素直に謝っておく。
あばれざる(意訳:ナガセ)やごうけつぐま(意訳:ヤマグチ)ならともかく、タイチは見た通りの評価のままに、腕力には全く自信がないのだ。
パーティーのドライな優しさに、シゲルは苦笑する。ようやく息の落ち着いてきたところで、タイチに確認を取る。
「手筈通り?」
「うん。けど、アレで良かったの? 俺、逃げ回ってただけだよ?」
「麻袋は回収してったんやろ? それで十分や」
シゲルは、周囲の人々に「コロッセウムに泥棒が出た」「西の方へ逃げた」などという情報を散開させながら、それとなく騎士団へ通報したのだ。
タイチは大仰に逃走劇を演じ、最終的に西の川に架かった橋の欄干から、身を投げた――フリをして、追っ手の警ら隊を撒いた。
これみよがしに橋の袂に、盗んだ財布の入った麻袋を引っ掛けて。
結果、警ら隊は盗品だけを取り戻して、いそいそと撤収したわけだ。
何やら腑に落ちないが、シゲルが十分だと、そう言うのなら、そうなのだろう。
タイチは一応、結論付ける。
「あの……」
大層に控えめな声が掛けられて、タイチたちは、一瞬それがスリ団三人のものとは気づけなかった。
路地の壁際に神妙に正座して、こちらの応答を窺っている。
「ああ。ま、これで今回の盗みの件は上手く行きそうやから。心配せんでええよ。君らはどうする?」
「どうする、か? ですか?」
「そう。ムオルに帰るか、ロマリアで暮らすつもりなら、職探さなあかんやん」
現実を見据えられては、元スリ団の青年三人が互いの顔を見合わせた。
故郷に帰るという選択肢が一番良いのではないだろうか、とマツオカは何の気無しに思っている。
身ひとつでロマリアに出てきたところで、できる仕事といえば限られてしまう。
「盗賊続けるのは無理だと思うよー、こーんな鈍くさい人にバレちゃって捕まってたら身が持たないよ?」
「……うん、そういう問題じゃないよね、確実にね」
マツオカがぼそりとつっこむが、職業盗賊のタイチには無意味であった。
だが、盗賊を続けるのは無理だという考えは、三人の青年たちも一致していたらしい。
「盗みは……もうしません。けど、ムオルには帰りません」
「元々、故郷は捨てるつもりで三人で出てきたんです。ロマリアでがんばります」
「……別に捨てなくてもいいと思うけど」
せっかく在る故郷なのだから、横に置いておくくらいの感覚で良いと思う、仮物の故郷を造ったタイチの素直な反応だった。
それは、マツオカも同じ思いである。
故郷と言われれば確かに思い浮かぶのは、アリアハンだが、厳密には出身が違う二人にとっては、郷愁の何をもって故郷と定義するのか、ただの居住地とするのか、線引きが曖昧なままだ。
そして、おそらくヤマグチも、この感情を共有できるはずだ。
ナガセは違う。彼には、故郷と自らの内に定義される確固たるものがアリアハンにある。
シゲルは、果たしてどうなのだろう。
この三人の青年たちと同じように、故郷を持ち、かつ自ら故郷を捨てて来たのだろうか。
タイチもマツオカも、ムオルの世情を詳しくは知らないので、何とも言い難いのだが。
当のシゲルはそんな思いを知ってか知らずか、ロマリアでの若年層の就職口を真剣に探っている段階である。
「ロマリアで定住するつもりやったら、城の仕事でも斡旋できたかもしれんけどなぁ……この状況では無理やな。仕事探すんやったら、ルッカ紹介所でも行ってみたらどうや?」
「あ、紹介所ね」
「そう。胸張ってオススメは出来ん冒険者向けの仕事やけど……君ら三人なら、何とかなりそうやし」
冒険者、と聞かされた三人の青年たちの目は、星を見つけたように輝いた。
少なくともムオルからロマリアまでの短くない行程を旅してきているはずで、冒険者としては駆け出しではあるが、全くゼロからのスタートではない。
一旗揚げるという趣旨とは違ってくるだろうが、目指している方向性は近い気がする。
三人は、相談の末、ルッカ紹介所に掛け合ってみることにしたようだ。
「……ありがとうございました」
「ん?」
「あの、何から何まで……色々と」
すっかり恐縮してしまった青年たちに、シゲルは微笑む。
それは、知り合ったばかりの年若い元スリ団へ向けたものではない。
偶然にも同郷だった近しい弟分たちへの、遠い故郷を懐かしむような笑みだった。
「言うたやん。僕も、同じクチやってな」
「随分と肩入れしてたね」
意外なのか、当然の成り行きなのか分からないが、マツオカは半ば呆れたような口調で話しかけた。
スリ団――否、元・スリ団の青年たちをルッカ紹介所の入口まで案内すると「このご恩は一ッ生忘れませんっ!!」「再びお会いするときは必ずや恩返しを!!」「ガルーダの恩返しを!!」と口々もお礼を述べられ嘘か真か感激の握手とともに何度も頭を下げられ、そして三人とはつい先ほど別れたところだ。
夜は随分と更けている。街灯の少ない路地を、アリアハンの五人のうち三人は、宿へと向かって歩いている。
大通りの華やかな喧噪も、ひとつ道を隔てるだけで嘘のように遠ざかっていた。
町人の住宅らしき閑静な街並みが続くので、心なしか小声になってしまう。
「面白くなさそう」
マツオカの表情を見とめたのだろう、タイチが、こちらは面白そうに笑う。
二人の言葉数の少ないやり取りの間で、シゲルは少し困ったように苦笑する。
「何かすまんなぁ。面倒ごとに巻き込んでしもて」
「いや、そーいうんじゃないけど……何ていうか、リーダー、他人のこと、あんま興味なさそうだしさぁ」
マツオカはシゲルの本質を冷静に捉えているつもりだ。
柔和そうに見えて、到って乾いており、どこかで他人との関係に距離を保っている。
他人という枠外へ押しやった事象には自分からは決して干渉しないタイプだ。
商人、という職業柄なのだろうか、それは、客の事情に深入りせずに遠見のままで詮索する、独特の癖にも見える。
どう答えるべきなのか、シゲルが適当な相槌を探していると、
「……善意の人助け?」
それこそ、この魔法商人には似合いそうもない理由を、タイチが口にする。
「んん。まー善意ではあるけど。完全に、善意だけってわけでもないなぁ」
「え、そうなの?」
「カンダタ盗賊団、ちゅーの、ちょっと気になってな」
あの青年たちが属していたという、盗賊ギルドの名だ。
いわく、数年前は山賊まがいのごろつき集団だったものが、ここ最近で一大盗賊ギルドに成り上がって来ているとか。
巨大なギルドにのし上がったからには、何かしら理由があったはずだ。
「出来れば、本拠地か首領の情報でもポロっと出てきて欲しいとこなんやけど……」
「あっ!! ちょ……リーダー、まさか……」
妙に現実味のある、計画的なことを考えた口調だ。ぴんと来たタイチが慌てて頭を振った。
えへ、とばかりに可愛げの無い笑みを浮かべるシゲルと、タイチの寒暖差は激しい。
「派手に動いたら、何か行動してくれへんかな〜って」
「うっわ。ひでぇ……人のこと撒餌に使っただろ!」
シゲルもそれほど盗賊ギルドの慣習に詳しいわけでは無い。
しかし、巨大な盗賊ギルドの縄張りの中で、フリーの盗賊が大立ち回りを演じたとなれば、何かしらのアクションがあって当然、と予想したのだ。
タイチの反応を見る限り、おそらく推測は正しかったのだろう。
「ギルドと敵対するのとか、マジで嫌なのに……」
「広ーく取れば、お仲間やん。一応」
「全然違うし! 仕事がやりにくくなるんだよ!」
「契約不履行!」「このぼったくり商人!!」とかよく分からないが思いつく限りの悪口を放ったタイチは、ずんずんと先に立って歩いて行ってしまった。
タイチは怒っているようだが、自身の仕事がやりにくくなる、ということは、彼がロマリアでも盗賊よろしく泥棒家業をするつもりで、しかし大っぴらに活動はできなくなるということなのだろうか。
それならば、むしろ逆に安心するのだが、とマツオカはこっそりと胸を撫で下ろす。
シゲルが、そんな付属の成果までを策の内に考慮していたとまでは思わないが、ちらりと横目に入れた彼の表情は、いっそ清々しいほどの笑顔である。
本当のところ、真の狙いがどちらだったのかも分からない。
「何であの盗賊団が気になんの? 昔に比べて、勢力が強くなってきてることとか?」
「ああ……そうやね。それもある。けど」
その先に、何か続く言葉があったはずだが。声は返ってこない。
長い沈黙に耐えかねてシゲルを見ても、返答はない。
「……ま、言い訳か。結局、自分と同じような境遇の子らを、放っておけんかっただけやな」
続く返答ではなかったが、それもまた、シゲルの真意には違いなかった。
同じ境遇、と称した時の様相の一片ずつを拾い上げ、マツオカは細かく観察する。
「はーん。何つーか……意外」
「“意外”?」
「アンタにしては、青すぎる理由で旅立ってんだなぁ、って」
「何やそれ」
シゲルが噴くように笑った。
誰にだって、少年時代はある。手に掴めないものを夢中で求めようとする青年時代もある。
故郷を旅立った理由など、他人が思っているよりも、存外に軽いものかもしれない。
「僕かて、青春時代はあったんやで?」
「そりゃ分かるよ。けど、アンタ、謎多すぎんだもんよ。てっきりもっと」
と、言いかけてマツオカは急に口を閉ざした。先の言葉が、上手く思い当たらない。
……何を言いかけた?
自問する。
シゲルは、マツオカの少し前を速度を落とさずに歩いている。
彼は、アリアハンの古道具屋店主だ。
大陸東の出身で、ぶらり放浪途中下船に行き着いたアリアハンにて店を開いた。
知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない魔法道具の専門商人である。
魔法道具には少々詳しく、魔法の呪文もそれなりに使用できるらしいが、それだけだ。
一応のところ、それだけだ。
「てっきり、もっと、複雑な事情で旅立ったとか思てたんか?」
マツオカが適当な相槌を探せずにいると、シゲルはおもむろに立ち止まる。
数歩先で振り向いた魔法商人の表情は、闇に溶け込んで窺い知ることはできない。
そして、マツオカの中で、比較の基準点となったものを指摘されるのだ。
「それとも、お前の旅立った理由のほうが、重いんかな?」
“水鳥集う枝”の玄関口から仄かに灯りが洩れ、逆光となっている。
丁度のタイミングで宿屋から出てきたのは、ナガセだった。
遅かったので心配して待ってくれていたのだろう、先に着いたタイチを見とめると笑顔になり、続いて、こちらの姿を確認すると大きく手を振った。
マツオカは、思わずして振り返した手のやり場に困る。
アリアハンを出立して三日目を迎える、最初の屋根の有る宿。
おかえりなさい、と掛けられる言葉の違和感と心地良さに気を取られる。
マツオカは、ついにシゲルの問いに返答することができなかった。
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