PRELUDE


 ぼん。

 裏通りからだろうか。
 空のゴミ箱の底を裏側から叩いた、打楽器のような音が上がった。
 薬草類を補充するため道具屋に立ち寄っていたマツオカは、両手に紙袋を抱えて、ルッカ紹介所から出てきたところだった。

「花火かぁ」

 マツオカは立ち止まり、辺りを窺う。発破の音は、賑やかなカジノ街の方角からのようである。
 陽もすっかり落ちた時間帯なのに、通りは多くの人でごったがいしている。
 夜が近づくにつれて人気を増す、なんて、アリアハンではごくごく限られた酒場周辺でしか味わえない光景だった。

「ロマリアってのは活気のある街ねぇ」

 しみじみとつぶやきながら、ガス灯の明かりを頼りにパンフレットを開く。
 宿屋までの道筋を、ルッカ紹介所の掲示板を見てメモしておいたもの。
 メインストリート沿いに数店舗立ち並ぶ大手の冒険者宿は、やはり何処も部屋を取れなかったようだ。
 水鳥集う宿、と印を付けた住所は、大通りから裏路地に三つほど交差点を過ぎる場所にある。

 ヤマグチとナガセは既にチェックインしているはずだが、あとの二人はどうだろう。
 二人とも夜型人間だからなぁ、と要らぬか要るかの心配を巡らせ、早速、宿へと足を急がせる。

 紹介所から出てすぐの、中央広場の喧騒が、否応なしに目に入る。
 同心円状に構える、マリア・コロッセウムの派手派手しい看板が目に入る。

「……」

 マツオカ、少しの間、立ち止まる。
 宿の方へ向かう足先を、きっかり90度折り曲げる。
Level 08+e. 東7番裏通りの3人と3人(1)
 ……ちょっと見に行くぐらいなら。

 折角、こんなに遠方のロマリア王国まではるばるやって来たのだ。観光しておくのも悪くないだろう。
 実は本当のところ、そっち目当てで、わざわざ一人で買い物に行ったというのは公然の秘密だ。
 とは言え、道理で、タイチには最初からものの見事に見抜かれていたようだが。

「……ん?」

 カジノのエントランスが望める位置まで歩を進めたところで、マツオカは再び立ち止まった。
 空気が妙に緊張している。
 確かに、広場は相変わらず休む暇も無い喧騒の只中にあって、それに間違いはないのだが、行き交う人々の視線が、ある一角に集中しているのだ。
 その近辺で、根負けして立ち止まる人もいる。

 何か、事件の匂いがする。

 興味本位から顔を向けようとしたマツオカだったが、はたと我に返り、青くなって首をぶんぶん横に振った。
 危ないところであった。
 自分から厄介事に首を突っ込もうとしている、この状況、今の自分の立場がナガセで、マツオカが傍観者だったら、真っ先に止めに入っているパターンではないか。
 アリアハンから旅立ってわずか数日にして同行者たちに感化されてきているなんて、まさか認めたくも無い。

「うん。見てない」

 ことにした。

 ひとしきり頷いて、マツオカは中央広場を迂回するように人ごみを避けていく。
 いやでもとりあえず、やっぱりカジノだけはちょっとばかり覗いて、それからさっさと宿に向かうことにしよう、と。
 歩き出して、だがすぐに、横合いで響いた盛大な爆発音に紙袋を手放しそうになってしまった。

「うっそ!?」

 近い。
 てっきり中央広場の北側で何か揉め事が起きていると思い、南側へと迂回していたマツオカは驚愕した。
 轟音が、自分のいた位置のすぐ真横から響いてきたからだ。
 目測を誤った。

 人だかりの出来ていた場所は確かに、中央広場の北側、大通りの続く道沿いだったのだが、実はこの中央広場、その周りを円く囲む道と、放射線状に伸びた道とが入り組んでいて、上空から眺めると丁度、蜘蛛の巣のように、細い脇道がたくさん張り巡らせてあったのだ。
 路地は全て、メインストリートから中央広場を横切ることなく区画を変えるための、抜け道になっていた。

 本日、たった数時間前にロマリアに来たばかりのマツオカが、当然その事実を知れるはずもなく。
 慌てて退避しようと、脇道から離れた背中に更なる発破音に、いよいよ危機感が募る。
 ただの喧嘩騒ぎではないようだ。

 明らかに花火では無い火薬の音、まさしく爆発音と言って差し支えない音と、数人の言い争うような、何やら聞き覚えのある声とが重なって聞こえる。
 ……何やら、聞き覚えのある声が聞こえる。

「……嘘ぉ。ほんっと勘弁してよ。いやいや冗談でしょうよ。まさか、そんなまさか、ロマリア到着初日で……」

 軽く現実逃避しかけるマツオカの意識を引き戻す、それはそれはとっても聞き覚えのある声が、真横の脇道、前方数mのところで、奇しくもこちらの状況に気づいてしまった。

「おおお!! マツオカぁー!! なんちゅーグッドタイミーング!!」
「あー……やっぱそう。やっぱそうなのね」

 噂の魔法商人、シゲルであった。

 何かしら事件に首突っ込む性質は、どうやらナガセだけのものではないらしい。
 次なる文句の一言でも投げてやろうかと溜め息吐いていたところ、突如、マツオカの真後ろに、何者かの気配が降って下りて来た。
 急襲、の二文字が頭を過ぎり、後ずさりつつ振り向くが、すぐにそれも見知った人影だと気づく。

「あー! マツオカ、ちょうど良いところに来たっ」
「おわ!? タイチくん? アンタどっから出て来てんのよ!?」

 こちらは、店舗の雨樋の上から軽い身のこなしで飛び降りてきた、タイチであった。
 雨樋、とは言うものの近辺の建物は軒並み店舗兼集合住宅なので三、四階建て、高さにしてざっと10mほどはあるのにも関わらず、であった。

 確か、二人はカジノへ行くと言って別行動していたはずだ。

「何、え? 何、この状況?」

 事情が飲み込めずにうろたえている矢先、一人の見知らぬ男が、路地裏から転がるように這い出て来た。
 相当慌てているらしく、中央広場の方角と見るや、通路を立ち塞ぐマツオカの方向へ猛然と駆けてくる。

「へ!? ちょっと……」
「マーツーオカー!!」
「……はい?」

 それこそ、地響きのような効果音が加えられそうな雰囲気だ。
 男の背後から、シゲルが、物凄い形相で、普段見かけないほどの超ダッシュをかけてくるのだから。

「そいつ逃がすなぁ!!」

 只ならぬ気配を感じたマツオカは、色々咎めたい気持ちを押し留めて、両手に抱えていた紙袋を路地に置いた。
 正直なところ巻き込まれたくは無いが、見て見ぬ振りが出来るほどマツオカは打算的な性分では無かったし、あれで一応、同じパーティーを組む仲間である。

 逃げる男と、追うシゲル。
 つまり足止めしろ、ということらしい。

「ええっと……“因果の流砂、光芒の堰堤を閉ざせ”……」

 適当な呪文を思い出して、印を切る。

「……“漆黒の枷となれ、絡みつけ”!」

 発動した魔法の効力が、不規則な石畳の目を縫うように黒い鎖となって、男の足に絡みつく。

「おー、上手い、ボミオス!」
「……誉めても何も出ないよー、タイチくん」

 マツオカが唱えた呪文・ボミオスは、相手の自由を奪う、魔力の蔦を作り出すものだった。
 街着の男は、術の蔦に足を取られ、「ニギャー!!」という踏ん付けられた猫の叫び声と共に、その場に転び込む。
 と、シゲルの背後のゴミ箱に隠れていた(がバレバレだった)二人組が、その様子を見て思わず叫ぶ。

「ああっ、ヨコーーー!!」
「アホ、今出たら100%負けるやないか!! 見捨てるっ!! オレはもー全部捨てて逃げるからな!!」
「んなっ……!? スバルくんのろくでなしー!!」

 あれはあれで楽しそうなので放っておこうと思ったが、どうやら、マツオカの足元でコロコロ転がっている男の仲間たちのようである。
 ボミオスに引っかかった男をAとするなら、BとC。三人組だったのだろう。
 シゲルはいきなり、その背後からの声に向かって振り向いた。
 今まで、ほとんど注視していなかったのに、突然、思い出したように振り向いたところ、その双眸が獲物を狙う眼だったので、余波でゴミ箱が派手に吹っ飛んだ。
 別に魔法商人だからと言って、呪文とかでは無い。

「……」
「いや……あの……」

 呪文とかではなかったが、隠れていた男B・Cも、何故だか金縛りに遭ったように動かなくなってしまった。
 ゴミ箱という偉大な物質は、男B・Cの精神的盾となっていたのだ。

「僕の……なけなしの……にひゃくごじゅうごーるど……盗ったのは、どっちかなぁ?」

 たぶん、今、鬼のシゲルと目が合っているのだろう。
 およそ、マツオカもタイチも状況を推測するしか無いのは、こういう時は一切触れないでおこう、と即座に目を逸らした同パーティーメンバーたちの、回避行動である。
 さしもの男たちも、おそらくただの一般市民では無いのだろうから、危機を肌で察しているらしい。

「え、え、え、ちょ……ちょっと、いやいや落ち着きましょうやお兄さん」
「そ……そうそう。まず、ここは穏便に話し合いを……」

 シゲルをなだめつつ、そのうちに這いつくばって逃げようと試みる男Bだったが、いつ投げたのやら、まだらくもの糸が周囲に散乱しているため、後ろへ一歩移動することさえもままならない。
 ゆっくり追いついたシゲルは、おもむろにしゃがみ込んだ。
 男Cと同じ目の高さになって、ぽんと、肩に手を置いた。
 きっと、清々しい微笑を浮かべているに違いない。想像しかできないが。

「爆弾石でええかな?」

 あ、先刻の花火の音、もしかしてこれのコト?

 うっすらと事の顛末を理解したマツオカは、あれを賑わいの象徴とした自分に少し腹が立った。
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