OPENING

「そんだけ? ちょっと勘弁してよー。あと2ゴールド! 助けると思ってさぁ」

 メインストリートから徒歩20分、町の至って隅っこに、見た目怪しげ中身は以外にもすっきり普通、とは言え油断はできない面構えで、どこか異空間な雑貨店があった。
 おなべのフタから料理本まで、品揃えはまさにアリアハンきって(自称)。そんな日用雑貨店が、実は知る人ぞ知る世界屈指の“魔法道具”専門店だと、……知って利用する人間は何人いてくれることやら。

 カウンターにばらばらと出された貴金属、骨董品々を挟んで睨み合うこと、粘ること。
 売り手と買い手の飽くなきバトルは、開店直後から、既に小一刻ほどが経過していた。
 と、ぷは、と、ついに先に息を吐いたのは、買い手側の店主の方だ。

「……あかん! いくら何でも、そんだけは出せん。マツオカ、全部で532ゴールドや」
「けちーかいしょーなしーひとでなしー」
「こっちも商売やからなぁ、堪忍や」

 多少の罪悪感はあるが、もって正論でもある。
 口を尖らせる売り手、マツオカを前に、異国訛りの店主は苦笑いで返すしかない。
 銀貨五枚、銅貨三枚、鉄貨二枚。
 カウンターに積み重ねたのを確認させて、革袋に一抱えずつ入れてやる。

「ほい、532ゴールド。間違いないな?」
「あれー? 1ゴールドたりなーい」
「わざとらしい嘘吐くなや。グっさんが後ろから追っかけて来るで」

 顔を引きつらせて、半笑いで「まさか」とつぶやく彼の目が泳いだ。
 実にわかりやすいリアクションで助かる。
 店主はカウンターの上に無造作に並んだ品物をひとつ、つまみ上げて、改めて眺める。

「にしても、突然どうしたんやぁ? 今んなって教会のモン売りに来るて」
「……ちょっとね。まとまった金が欲しいの。どうせいつか売るつもりだったし……」

 “ゴールド”が世界通貨と言えど、貨幣価値は地域によってまちまちだ。
 しかし、これだけあれば、ここアリアハンでは半年は食うに事欠かないだろう。

「まとまった金? せやったら、その指輪売ってくれたらええのに」
「リーダー」

 これは売れないの、といつものように突っかかってくるものだと思っていた。
 リーダー(勿論あだ名だろうが)、いわく店の主人が指差したのは、マツオカが身につけていたブレスレットだった。正確にはブレスレットではなく、その鎖に通してあるのは、サイズの合わない指輪。切り出し角張った橙色の宝石が、中央でちかりちかりと閃いている。

 それが売れないことを知って、冗談半分のつもりで。
 あっさりと引き下がったばかりの店主が、何となく視線を感じて顔を上げると、だが、マツオカはいつになく神妙に顔色をうかがって来た。

「正直なとこ……いくらぐらい出してくれるの」
「……本気か?」

 買値を聞いてきたのは、初めてだ。
 素直に含んだ驚きで、店主はマツオカを見返した。
 手放せないけど手放したくないけど、場合によっては仕方ない、と言うかのような奇妙な表情。

「……4000、いや5000出すわ」
「うん……わかった。考えとく」

 それ以上何かしらを探られるのを嫌がったのだろう、マツオカは短く頷いた。
 革袋を懐に収める間もなく、早々にシゲルに背を向け、玄関の戸に手を掛けたところで立ち止まった。念を押される。

「あ、オレがここに来たこと……アイツにはヒミツね、絶対ね」
「わかっとるよ。はよ行き、遅刻する」

 こちらも短い、そっけない返事。
 深入りして来ないのをありがたく思いつつも、端で理由を尋ねられたい、のではないのだろうか。
 店主がぼんやりと考えを巡らせるうちに、帰りの呼び鈴が空気を揺らす。

 かん、からん……かん

 つまんだままの貴金属を、陽光に透かす視線の先に、マツオカの心象を追っていた。
 カウンター上に、ことりと置き戻した音をおまけに、店主は溜め息をひとつ吐く。

 このことを自分が、そして彼の近い知り合いが明かさないのならば、マツオカは、“アイツ”と呼べるただ一人の幼馴染には、きっと最後まで言えない。
 誰もいなくなった店内に、大通りの雑踏がいやに大きく響き出す。

「……嵐の前の静けさ、かあ?」

 いつか誰かが言っていたようなセリフに、一人ほくそ笑んだ。
 辺りには宣言どおり、静けさが戻った。
Level 00. アリアハンの5人
「それにしても、よく続いてるよなー。二年……くらいだっけ?」
「一年と363日、ですっ」

 ナガセは妙に細かに、声を張り上げる。
 そんな彼の目前に置かれるのは、何のことはない、二年前から変わらないジョッキのミルクである。

 今日もいつものように、ナガセはルイーダの酒場のカウンター席で、とある人を待っていた。

 さかのぼること二年前、旅に出ると盛大に宣言して以来、四捨五入で二年間、毎週、土の日、ミルクの日。
 ナガセは欠かさず酒場にやってくる。
 ミルクの日は、すなわちナガセが野望(体よく言うと夢と希望)に一歩ずつ、近づく日でもあった。

「今度ー、岬の洞窟に腕試しに行こう、って話なんすけど」

 矢庭に話を切り出したナガセは、少し誇らしげに見える。

「ほーヤマグチくんも大きく出たもんだね」
「でしょー! オレもちょっとは剣、上手くなったのかなぁ。あ、タイチくんも一緒に来る?」
「店やってるからダメ」
「えー、行きましょうよ。一日くらい休んでも、誰も文句言わないって」

 わざと返した皮肉な言葉にではなく、ナガセはつまらない、とむくれる。
 ルイーダの酒場の店長・タイチは牛乳パック片手に、自然と笑みをこぼした。
 ミルクはもうサービスになってしまった。タイチは、ナガセからミルクの代金を取ったことは一度も無い。メニューに載っていないミルクに、値段なんて付けられないのだし(というのが目下、店長の言い訳である)。

「ああ、良かった。ここにいたんだな、ナガセ」

 表戸からの聞き覚えのある淡い声に、ナガセは口元を緩ませる。

「グっさん」
「おはよー、ヤマグチくん」

 準備中の看板を丁寧に退けて、男は軽く手を挙げる。
 古びた木造の店内に似つかわしい、使い込まれた鋼の鎧と、えんじ色のマント。
 ヤマグチと呼ばれた男は、見た目、戦士であることには違いなさそうだ。

「もー約束すっぽかされてるのかと思ったじゃん!」
「あー……そのこと、なんだけどな」

 ナガセの嬉々とした声の後、ヤマグチのバツの悪そうな言葉が付け加わる。
 当然、その先の台詞を薄々予想出来たウェイターは、さらにその先に起こり得るであろう事態を見越して、肩をすくめた。
 のち、事態を起こす張本人ナガセは、二人をきょろきょろと見比べるばかり。

「……悪い。今、ちょっと城が忙しいんだ。剣、教えるの、また今度な」
「へ? ……えええッ!?」

 あーうるさい、と愚痴を残して、タイチはそそくさとモーニングの皿を洗い始めた。
 ヤマグチは申し訳なさそうに彼の様子を見やる。

「本当にごめんな。埋め合わせは絶対するから」
「“勇者さまの息子”の御指名を蹴るんだから、余程のもんなんだろーな」

 タイチが逆襲と言わんばかりのニヤリ笑いで、ヤマグチを一瞥した。
 城内の事件、あるいは事故に関しては、私事公事どちらにせよ、極秘だ。教えられるはずが無いし、彼が口を滑らせる確率もゼロに等しい。

「……なんか、お城で事件でもあったの?」

 だが、ナガセが興味を持って疑問をぶつけるのには、材料は十分だったようだ。
 ヤマグチは苦笑する。

「まあ……たいしたことじゃないんだ。一週間もあれば片付くと思う。」
「一週間……長い!」

 仏頂面のナガセの肩をぽんぽんと叩くと、タイチは、いつのまにかカラになっていたミルクのおかわりを無理やり注いでやる。

「はいはい、そー言うなって。代わりに魔法か何か教えてやるから」
「え! マジっすか! やったあ!」
「……お前が使えるかどうかは、別な」

 呆れる暇もないタイチの胸中は、「実は今までも何度か教えていたんだけど」と複雑だ。
 魔力タイプが合わないのか、はたまた生来の気質なのか。
 威力の無さはともかくとしても、ナガセは、どうも忘れやすいタイプらしい。
 そんなタイチの心内を知ってか知らずか、二杯目のミルクに嬉々として手を付け出すナガセと、何故だか浮かない顔で、二人の様子を観察するヤマグチは対称的である。

「なあタイチ……昨日、お前どこも行ってない、よな?」

 ごくごく自然に、だが突然に振られた本筋とは食い違う話題。
 タイチは不信に思いながらも、言葉を選ぶ。

「店やってたよ、何で?」
「いや、別に……そうだよな。なら良いんだ」

 一人納得して、話を反らしながらも、どこか疑いを持った不安定な声だった。
 気にならないわけは無いが、面と聞くには、彼はガードが固すぎる。
 タイチは話を一端切ることしたようだ。

「……何か飲む? お酒は出せないけど」
「どのみち、今、勤務中だっての!」

 一瞬は頑なになったはずの空気が、すぐに、柔らかく変わった。たいした話では無かった、かのように。(だからこそ、やはり彼はガードが固いのだ。)
 その雰囲気を崩さぬうちに、色んな「悪いな」を繰り返してから、ヤマグチは颯爽と踵を返す。

「用はそれだけ。じゃあな。今度また、ちゃんと寄ってくから」

 PS.最後の伝言は、ナガセへの自主錬通達だった。
 マツオカは、通りの角をメインストリート方面へと、せかせかと小走りで曲がる。
 その手に擦れるのは、しまい損ねた革袋。真新しい金属音が、小刻みな手になじむのを待っていた。

 大通りの街門近く、ルイーダの酒場が見えてくる。
 時間を気にしながら顔を上げたとき、ちょうど酒場を出てきたところのヤマグチと、目が合った。

「あれ、兄ぃ?」
「よぉ、マツオカ。出勤か」

 辺り障りの無い挨拶ですれ違ったヤマグチを、“兄ぃ”と親うマツオカの笑い目が追う。

「ん? 何? 寄ってかないの?」

 指差した目と鼻の先に、たった今、彼が出て来たばかりの、ルイーダの酒場の立て看板。
 ヤマグチは恨めしそうに頭を振る。

「お前ら……だから勤務中だっての。昼間っから飲めるか」
「ナガセは飲んでんじゃん」
「そりゃミルクはな。しかも年中だろ」

 そう言って、笑いつっこんでおきながら、会話の端々だけ真剣な目が気になった。
 適当に返した相槌のあと、しばらく黙ったマツオカが、ぽつりと伺う。

「……何かあった?」
「あ? いや何も。ついでに寄っただけ」

 嘘だ。
 本当なら隠すのが上手いはずの彼が、表立って動揺するほどの、嘘だ。
 ところが、そのマツオカに釘を刺すように、冷静な顔のヤマグチが聞き返してくる。

「お前は? どうなの、ここんとこ」

 普通ならば、単なる世間話で済むはずの問いに。

「へ? ……んや、別に何もない。至ってふつーよ。こう何も無いとつまんないねぇ」

 マツオカはどきりとした心拍を、笑えていない声で、内心必死に抑えていた。
 焦りのあまり、無意識に力を込めた革袋、かすかな金属の合わさる音。
 気付かれただろうか。

 どちらにせよ、幸いにも、ヤマグチがそれ以上尋ねてくることは無かった。

「そうか。じゃ、俺、仕事だから。またな」
「うん、また帰りにでも寄ってってよ」

 それだけ当たり前のように交わして、ヤマグチは通りを歩いて行った。
 後ろ姿が、大通りの増え始めた人波に紛れていく。
 にわかに射してきた朝日が、見送るマツオカのコートを湯たんぽほどに温めたころになっても、ヤマグチが戻ってくる気配は、無さそうだ。
 ほっと、息を吐く。

「……明日まで、バレなきゃいいんだから」

 明日まで。
 繰り返しつぶやいて、握り締めた手の中にある革袋と、その内のコインの感触を確かめる。

 半年に一度の定期船の寄港日が、明後日の夕方に迫っていた。
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