OPENING

 アリアハンは、周りを海に囲まれた大陸未満、島以上な一国である。
 この国は資源も食材も豊富で、モンスターも比較的弱く、気候は総じて穏やかで、かつ一年のうちには色彩豊かな四季が巡ってくる。
 おまけに島領地なので、かれこれ100年間ほど、戦争と無縁の時代が続いている。

 平和で住みやすい国ではあったが、故に、外交が極端に少なかった。
 なにしろ、一番近い友好国(ロマリアという王国)に船で行くのに、二ヶ月もかかるのだ。
 形だけの、半年に一回の大陸行き定期便。
 変わらない人波、何気なく過ぎる日常が、最高の贅沢だと言う。

 その均衡が破られたのは、少なくとも彼の中で変化が起きたのは、今より数年前のこと。
 十色の考え方を持つ四人が、一人、また一人と、集まったときからだ。

 あの日からだろうか、彼は、いつも不思議に思うようになった。
 海の向こうには、もっと大きな陸地、珍しい風土、古今東西の文化が山ほどあるというのに。
 ……オレはココで、何を待ってるんだろう、と。
Level --. ルイーダの酒場の3人
「……ってわけ。ね? 海の向こうに行ってみたいなーとか思わない?」

 真昼間の酒場のカウンター。
 サービスで出されたミルクを前に、青年がひとり頬杖をついている。
 ミルクを出されるような年齢には到底見えないのだが、何故だか、それもそれで違和感が無いのだから、彼の空間は不思議である。

「なになに? 生粋のアリアハンっ子とは思えない発言じゃん」
「ちょっとマボ、真剣に考えてよー!」

 青年は途端に口を尖らせる。
 快活に笑ったのは、カウンターの向かい側、バーテンダーだ。

「オレは別に思わないねェ。行く必要も無いし」

 手持ち無沙汰な手でグラスを磨き、ことりと並べる。
 青年はまだ何か言い足りなさそうな様子だったが、表情を明るく変えて、今度は奥カウンターに向かって声を投げた。

「じゃータイチくんは? 外国行きたいよね?」
「ん? つーか、行ったことはあるよ。そもそも俺、向こうから来たんだもん」

 さも当然とばかりに、奥で整理整頓をしていたウェイターは答えてみせた。
 青年が点目になり、大声で何かを叫び、椅子から転げ落ちるのは時間の問題だった。

「ぅ、えええッ!?」

 奥カウンターに積み重なる皿の山が、虚しくもガラガラと崩れていく。

「うわ! 何してんのよ」
「ちょっと……皿落とすなよ!」

 カウンターの二人が同時に非難の声を上げる。
 が、今の彼に、それらの文句が届いているはずもなかった。
 点目がいつのまにやら、キラキラに輝いている。

「どこどこっ? どんなところ? アリアハンより広い? どんなヒトが住んでんの? えっと……モンスターとか、動物とか、植物は? 寒いの、暖かいの?」
「あーもう、一度に聞くなッ!」

 質問の応酬。皿を拾い集める手も仕方なく止まる。

「……モンスターはアリアハンのが弱いかな。でも結構フツーの町ばっか。他に変わったとこって言えば……イシスとか、かなぁ」
「あー、オレ知ってる! “砂の海”の中にある国でしょ?」
「“砂漠”って言うんだよ。家が全部石造りでね、王様が女のヒトなの。女王様ってやつ?」

 本当に楽しそうに話を聞くものだから、つられて口を出してしまったが、はた、と我に返ったらしい。
 ウェイターは、いそいそと止まっていた皿拾いを始めた。
 青年は当然、聞き足りないといった表情だ。

「大体、何でそんなに外国行きたいんだよ。アリアハンほど良い国は外に無いと思うけど」
「右に同じー。わざわざ危険冒してまで、行く価値あんの?」

 バーテンダーの冷静な一言に、大声で「あるッ」と断言する。

「確かにアリアハンは良い国だよ? ……と思うけどさー……やっぱり、自分の目で見てみたいし、聞いてみたいよ」

 青年はカウンターテーブルに寄りかかった。
 酒場の壁に掛かった世界地図のタペストリーを見上げる。
 そのうち、アリアハンは、海の真中にぽつりと浮かぶ、比較的大きめの“島”だ。

「世界は、こんなに広いのに」

 左には山と砂漠と平原の占める大きな大きな、連なる大陸。右には、縦に長い大きな大きな大陸。
 アリアハンと同じくらいの島国もあれば、もっと小さな群島もちらほら。
 星の数ほどの人間と動物、そして魔物が住んでいるだろう、この世界“ミッドガルド”。
 アリアハンの10倍、20倍……こころもち100倍の広さはある。

「……俺も旅に出よっかなー、父さんみたいに」

 ぽつりと漏らした本音混じりの独り言に、派手なスクラップが音を立てた。
 奥のウェイターが拾い上げたばかりの皿を、またまた盛大に散らかし、手前のバーテンダーが、拭き損じたグラスを手から滑らせたのだ。

「……はぁ!? 無理無理! ってゆか、オルテガさんは、あんたみたいに放浪したくて旅に出たワケじゃないっしょ」

 のっけから反対された上に、早口でまくしたてられては、バックの騒音に文句を言うヒマも無い。
 黙り込んでしまった青年に、ウェイターは皿を拾うのも諦めて苦笑する。

「俺は、まぁ別に良いと思うけど……旅するにしても、せめて剣か魔法くらいは使えないとな」
「そうッ! モンスターなんて、すっげェ強いのもいたりすんのよ? せめて兄ぃから一本取るぐらいの腕が無いと、無理だね!」

 バーテンダーは勢いに乗って、お城勤めの兵士をしている“知り合い”を、話に挙げた。
 “知り合い”である彼は、戦士としての技量で言えば、確実にアリアハン大陸一の腕前である。

「グっさんから、一本取れば良いの?」

 不思議そうに聞き返した青年の目が、何かを見つけている。

「良いの……っていうか、そんくらい剣が使えないとダメってことよ」
「そういえば、ヤマグチくんって元は冒険者だもんね」

 少ない情報をかき集めて、進展させる。
 冒険の旅に出るに当たり、今、自分に足りないものは、モンスターを倒せるだけの戦力だ。
 お城勤めの“知り合い”と、互角に渡り合えるだけの戦力。

「剣かぁ……」

 彼とて、武器はあまり好きでは無い。
 人を襲う凶悪なモンスターとは言え、戦わずに済むならもっともだ、と思っている。
 しかし、旅をする上ではそんな理屈が通用しない場面もあるということも、解っていた。

「かと言って、魔法はダメなんだしなー」
「……先に言うなんてひどいッスよっ」

 意地悪そうに笑ったウェイターと、そして相槌を打つバーテンダー、二人とも、多少ではありながら魔法を扱う心得を持つ。
 特に後者は、幼馴染として共に育ってきた中、確実に魔法を習得してきたのを、隣で見ている。
 ところが、生まれつきの才能の有無なのか、センスの有無なのか、この青年、“魔法”に関してはてんでダメだったのだ。

「父さんはバリバリ魔法使ってたらしいけど……はぁ。遺伝しなかったのかなぁ」
「ふーん、魔力って遺伝なの? 聞いたことねーよ」

 固形石鹸をお手玉するウェイターの、トゲがぷすり、三度刺さる。
 それに反論すら出来ず、だが文句を探すような気配も纏わず、青年は長い溜め息を吐いた。

「……だって、父さんは剣も魔法も使えて、強くって、でも優しくって、みんなから頼りにされてて……」

 尻下がりの言葉が唐突に切れる。
 不意に、カウンターから彼の頭が見えなくなった。
 頬杖を崩した腕に、顔がうずくまっている。

「オレ、本当に父さんの……」

 ごん。

 洗剤だらけのアルミ盆が、フリズビーのごとく青年の頭を直撃する。
 泡だらけの頭を押さえて、それこそ“泡を食った”ような顔を上げると、器用に弾道を避けたバーテンダーと、何だか怒っているらしいウェイターが視界に入る。
 その強い目つきと来たら、無意識に謝ってしまうんじゃないかと思うほどだ。
 思わず息を呑む、が、強張っていた心の枷が、途端に解けた。

「……そんなことか」

彼にとっては重大な悩みを“そんなこと”で一蹴され、青年はむくれるより前に呆けてしまう。

「別にいーんじゃないの? お前は確かにオルテガさんの息子だけど……その前に、“ナガセ”だろ」
「え……え?」

 いまいち飲み込めていない青年が首を二度傾げると、横からシェイカーで殴りを入れつつ、バーテンダーが身を乗り出す。

「もーだからッ、オルテガさんと同じコトしなくても、同じ風にならなくてもいいの! ナガセはナガセ! 魔法使えないんだったら、オレとかタイチくんとか、リーダーとかが、後ろでバシバシ使っててやるから」

 何で俺も入ってんだよ、と奥カウンターから笑い声が響く。

「マボ、それってつまり、一緒に来てくれるの?」
「あ?」

 悪意の無い、純粋な問いかけである。
 バーテンダーは、わざとらしく二、三度咳き込んで見せる。
 決まりきった答えでも、今の彼には通用するのを分かっているが、それでもしっかり演技掛かって。

「それとこれとは、べ……」
「よし、うん、決めたッ!」

 がたんごん、床に備え付けの一本足丸椅子が、まさか、根元から折れた。
 本人は気付いていないだろうが、その馬鹿力だけは天性だ。

 店を壊すな。
 ヒトの話は最後まで聞け。

 無言の二人の意見が合致したか、二枚目のアルミ盆を飛ばそうと力を入れたウェイターは、だが意図的に空振りさせてしまった。
 景気良く立ちあがった青年の目に、闘志が溢れているのを見てしまいさえしなければ。

「じゃーオレ、剣、教えてもらう! んで絶対にグっさんから1本取る!」
「だーかーら、無理だっ……」
「そしたら、旅に出る! 父さんとは違う目的だけど、でも冒険に行く!」

 たどたどしい決意表明に、カウンター向こうが二者二様に顔を見合わせる。
 バーテンダーは「だから、ヒトの話は最後まで」と言いかけて、肩で息を吐いた。

「ま、そのどっから沸いてくるかわかんない好奇心だけは貴重だよな」

 どこから訂正しなおそうか渋い表情で、けれど、どこか安心したように微笑んで、青年と最も長い付き合いである幼なじみのバーテンダーは、グラスを拭き始める。

 あれは、きっと本音だ。
 ウェイターは楽しそうに目を細めた。ここに居ると、笑いを押し殺すのに慣れる。

 二人を満足げに眺めた青年は、ふいに喉元まで出かかった言葉を、ジョッキミルクの一気飲みで流し込んだ。今は、まだ言えない密かな願い。
 やがて二年後まで心にしまわれる、もうひとつの決意。これは彼だけの表明。

 ――そして、そのときは一緒に、アリアハンの5人で。

 青年、ナガセが旅立つ日の、二年前の朝のことであった。
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