OPENING

「マボ、一日だけ待って」

 そう言われたマツオカは、何かしら勘付いてはいたものの、やはり呆気に取られた。

 一日も何も。もう定期船は出航の準備をしていて、夕刻、船はアリアハン城下・キャンベラ港を離岸するのだ。次に大陸行きの定期船が来るのは、半年後。待てと請われたところで、待てる状況ではない。
 ナガセはおそらく、全て承知している。
 分かっていながら、マツオカが旅立つ理由を聞かなかったし、まして出発を取り止めてなどとは、今の今まで一言も口にしなかった。

 そのナガセが、待てと言う。マツオカはすぐに反論を見つけることが出来なかった。

 良くも悪くも、オルテガの後を追っていた、ナガセだった。
 そんな彼が、今、一つの道を見つけようとしている。

「オレ、ヤマグチくんに勝って来るから。一日だけ、待って」
Level 04. ルイーダの酒場の2人もしくは3人
 早春の太陽がゆっくりと傾きアリア岬を掠めかかる時間帯のころ、アリアハンから、大陸最東端の港街・バハラタへの定期便が出航する予定になっている。

 マツオカは旅支度を済ませていた。
 シドニー通りは平日の幾分かと変わらぬ活気で、彼を迎えてくれる。
 営業時間外の昼前、ルイーダの酒場に挨拶にやってきて、マツオカは思わぬこと、いや、薄々予想はしていたようなことを聞くこととなる。

「夕方、ギリギリまで待ってやってくれんか?」

 常連のための裏メニュー・スペシャルモーニングを楽しむ、常連客シゲルの、眠気覚ましの一言である。

「ヤマグチに手合わせ申し込んだ」
「は……何で?」
「前々から約束してたんだってさ。ヤマグチくんに剣で勝ったら、冒険者になるって」

 タイチが、既に数分前から火にかけてあったのだろう一人分の水の入ったヤカンと、一組のソーサーとマグカップを準備している。詳しい話を聞きたいのなら、とでも言いたげな仕草である。
 マツオカは、タイチの勧めたカウンター席に座る羽目になった。

「ヤマグチくん、レッドオーブ捜索の任を受けたんだよ。知ってる?」
「今、聞いた」
「アリアハン出るんだって。で、ナガセも着いて行きたいらしいのね、その旅に」
「そのまたついでに……お前を誘おう思うてんやろうな」

 ナガセの「待て」という意図が、一周して戻ってきた。すなわり、旅は道連れ、を地で再現しようとしているのだ。
 納得してしまったマツオカであるが、はたと我に返って声を荒げる。

「そうじゃなくて! だから、大体さ、どうやって兄ぃに勝つって言うのよ。あの人、曲がりなりにも、アリアハン一の剣士でしょーが」

 切れることの無い愚痴文句は、単純な理由ひとつ。心配しすぎている自分を落ち着かせるため、なのだ。
 シゲルが、カウンター席でこれ見よがしに笑いをこらえているのが、ますますマツオカを苛立たせる。
 タイチは、カウンター向かいでコーヒーを淹れている。
 ある日のルイーダの酒場の、ごく平凡な、日常風景であった。

「なに」
「ん? サービス」
「……いらねぇ」

 ふてくされて、マツオカは淹れたてのコーヒーのマグカップを引っ手繰る。

「大体、間違いなく……アリアハン一の剣士でしょうが」

 冒険者だったヤマグチは、旅途中アリアハンに訪れた際、偶然にも城の傭兵として雇われ(その経緯には、たった今、ルイーダの酒場にたむろする三人も重要に関わってくるのだが余談として)、剣の腕を買われて、騎士団長にまで上り詰めた男なのだ。
 傭兵から騎士に転じるなど、異例中の特例なのである。
 そのヤマグチに、剣で勝とう、など無謀も良いところではないか。

「勝ちに行ったんだよ、あいつは」
「まさか。勝てるわけ……」

 ない、と言いかけてマツオカがタイチの方を見ると、彼は笑って、視線を移すように首をもたげる。
 マツオカの、三つ隣のカウンター席。コーヒーを啜るシゲルがいる。

「上手くいったら、ね」
「ま、ヤマグチの方も、本気でナガセを負かそうなんて思っとらんやろ」
「え? え? ちょっと、何の話してんの? まさか何か……」

 マツオカが、カウンター挟んで両サイドを交互に見やる。
 聞かぬ素振りで天井を仰ぐか、不敵に眼を瞑るかの表情、ナガセのために何か手を打ったのだろうことを確信する。

「まぁ、ちょーっと、な?」
「戦術ってのを」

 そう言えば、常日頃から策を講じるのは、抜け目の無い商人と盗賊の秘密会議であった。
 怪しげに笑う二人を前に、ヤマグチの無事を密かに祈るマツオカである。

「な、マツオカ。一人旅より、“皆旅”の方がええんと違うかな?」

 そして同時に、矛盾するナガセの勝利を願っている。
 シゲルとタイチの思うところに気づき、指摘されたマツオカは言葉を失った。
 席を立ちかける。マグカップの中身はほとんど減っていないのにも関わらず。

「……夕方まで待ってやって、マツオカ」

 こういうときの年長者たちは、時折、卑怯だと思うほどに、優しい口調になるのだ。
 マツオカは声を出せぬままに、目を落とした。
 仲間がいたら。一緒に旅ができたら。
 生来、自分にもあったのだと驚くような頑固さに、反発する嬉しさがマツオカを黙らせている。
 普通にぶつかって、勝てる相手では無い。
 ヤマグチが手加減したとしても、万に一つも無理。

 タイチはともかく、シゲルからもずばりと言われて、むくれるナガセは、だが真っ向正論なだけに何も言い返せない。

『じゃあ、何か無いの? 一日……一時間だけでも、驚異的に強くなる薬草とかさぁ……』
『そんな便利なんあったら、モンスターに襲われて亡くなる旅人は増えんよ』
『大体、それで勝っても一時しのぎでしか無いよね。お前は、納得すんの?』

 またもやの、立て続けな正論。

『でも……オレ、勝たなきゃダメなんです』

 約束を破るわけにはいかなかったのだろう。ナガセの性格をそれとなく察するシゲルである。

 自分で立てた目標を達成しなくとも、勝てずとも、いわゆる冒険者にはなれる。
 だが、目の前の壁にあるのは、単純な戦闘能力如何の問題ではなかった。この場合、必要なのは、勝てるぐらいの意志。意志の強さがなければ、ナガセが追いかける“冒険者”になどなれないのだ。

 だからこそ、シゲルは前夜、無謀にも挑戦状を叩きつけたナガセに対して口を挟まなかった。
 少々冷たい態度だとは思うが、負ければそれまでだ、と考えたのだ。

『ヤマグチくんに勝って、冒険に行くの、認めてもらいたいんです』

 最後で最初の高いハードル。逃げるわけにはいかない。

『……そうか』

 シゲルは心中複雑な想いで相槌を打つ。
 どちらを応援してやれば良いのか、選択できなかったのである。
 ナガセを勝たせてやりたいのも山々だが、かと言って、ヤマグチに手加減しろなどとは、忠告できるわけがなかった。
 ヤマグチが、(甘んじてか、抵抗してか)手合わせの挑戦を受けたのは、ナガセの気持ちを考えてのことだと、理解しているシゲルなのだから。

『みんなで、冒険に行きたいんです』

 ナガセがそうつぶやくのを、シゲルは静かに聞き流すふりをする。
 誰がどの道を選んでも、正解など有りはしない。
 せめて、ナガセ自身の力で決着付けるのを手助けしてやりたいところだが……

 手合いの約束時間は本日、白の七刻(正午ごろ)。あと二刻半ほどになろうか。
 足りない時間に焦ることも忘れ、ナガセはぼんやりとジョッキミルクを傾けている。
 それまで、話の成り行きを見守っていたタイチが、ふと口を挟んだ。
 何気ない、話題の転換点となるはずだった。

『なぁナガセ、そのヤマグチくんとの勝負って……“片手剣”なの?』
『……何のこと?』

 シゲルが、はっと目を見張る。
 その会話こそが、勝利への糸口であったからだ。
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