マツオカは、城を訪ねていた。形だけの衛兵に軽く会釈をして、城門を抜ける。
何故、自分はここにいるのだろうか。
半年に一度の定期便は、夕方には港を出る。この船を、乗り過ごすわけにはいかなかった。
だからこそ、ふた月の内にはアリアハンを発つ決心を付けた。
余計な宝飾は売って路銀に換え、信頼できる後輩に教会のことも預けた。
旅を決めてからは、あっという間だ。
それは、自分が臆病だからなのだろう、マツオカはうっすらと自覚している。
決意を鈍らせる前に、離れてしまいたかったのだ。
この記憶が薄れる前に、会いに行かねばならない人が出来たのだ。
急ぐ旅になる、はずだった。ならば、何を待っているのか。
早まっても埒が明かないから、遅めても支障が無いから?
いずれ理由付けたところで、それは答えではないと判ることなのに。
城門を三、四歩だけ進んだところで、中庭の訓練場から剣の打ち合いが響いて来る。
マツオカは足を止めた。
数分ほど、そうして立ち尽くしていただろうか。剣戟の音が鳴り止むことはなかった。
マツオカが、それ以上、敷地内に歩を進めることもなかった。
唐突に、マツオカはくるりと背を向けて、城外へと向かい歩き出す。
先ほどと同じ門衛に会釈をして、同じように城門を抜ける。
そのまま、元来た道を引き返して行った。
太陽は城の一番低い尖塔に掛かり始めている。
アリアハン騎士団副長・ニノミヤは、訓練場の隅で二人の手合いを冷静に分析していた。
一試合を三分ほどと換算すると、実質二十回は打ち合っている計算になる。
打ち合い毎に勝敗を付けるならば、ニノミヤの目からは、ヤマグチの方が有利であると見えたし、明らかに、ナガセのほうが体力の消耗が激しいはずだ。
その回の打ち合いの末、ナガセの練習用の片手剣が弾き飛ばされ、地面に落ちる。
「……もう一回」
しかし、ナガセは手を休めなかった。素早く剣を拾い上げ、無言で待つヤマグチに向き直る。
よく精神力が続くものだと、ニノミヤは感嘆してしまう。
粗いが、一撃の重さで相手の剣を弾こうとするナガセと、技でそれを受け流すヤマグチ、という構図。
珍しい絵だ、と思った。普段から、二人の訓練を度々目にしていた(双方とも剣を交えたことがる)ニノミヤである。
定期の訓練ならヤマグチの手前、剣の平刃を使って受ける場面であっても、今日のナガセは、無理やりに刃を振り切ってくるのだ。防御を考えずに、ひたすら前へ前へと押してくる。
相当、勝ちたいのだろう、と見えた。
何度目かの鍔迫り合いを、ヤマグチが力で押し返す。
わざと負けてやるなどと姑息な考えは、毛頭無い。
だが、迷いはしているようだった。ここでヤマグチが勝ったとして、ナガセの決意は揺らぐだろうか、気持ちは収まるだろうか。収まらないだろう、から最初の自問へと帰着するループは断ち切れない。
それでも、勝たせるわけにはいかない。
もはや騎士団長としてでなく、彼の剣の師という立場での意地が、ヤマグチにある。
そこにハンディがあるとしたら、考えあぐねて集中しきれないヤマグチの今の状況だろう。
軸足で踏み込んだナガセの左手が、不自然に動いたことまで気が回らなかったのだから。
「“打て”」
やはり不自然な言の葉が、至近距離のナガセから発せられたことにまで、気が回っていなかった。
それを勘繰るには、一瞬、反応が遅かったのだ。
「“炎の礫”!」
「何!?」
下級の炎魔法、メラであった。
ナガセは、左手を素早く突き出し、炎の魔法を放ったのだ。
とはいえ、下級で魔力も弱い。直撃したところでダメージは微々たるもの。
しかし、鍔迫り合うほど短い、この距離間だ。
ヤマグチは反射的に両手剣で、火球を受け止めていた。
かすかに空気を伝わる衝撃の後、炎は瞬く間に散って溶ける。
ナガセが一歩踏み込む隙を作るには、充分の間。
副長(であるが故か)・ニノミヤが、腰を浮かしかける。
騎士団長の両手剣は、ナガセの片手剣の刃先を、止め切れない。
ニノミヤは、半ば信じられない想いで、その手合いの決着を見た。
喉元の急所から柄幅二本ほどの位置で、ナガセの練習用の剣は、ぴたりと固まっている。
――勝負あった。
信じられないのは、実は手合い中の二人とて、全く同じ気持ちであった。
ナガセの勝負をつけた刃先が、静かに地に向く。
先に声を出したのは、ヤマグチである。
「……魔法、かよ」
「あ、ええと。グっさん、魔法使うなとは言わなかったから」
「入れ知恵されたな。どっちだ。炎ってことは、シゲの野郎か」
「う、あの……」
ヤマグチは自分の推測が正しかったことを理解した。言葉に詰まったナガセを恨めしげに睨む。
しかし半日、だ。
わずか半日足らずで、魔法の練成からコントロール、発動に至る一連、完璧に放てるまで訓練し続けたのだろうか。
少なくとも、数週間前にヤマグチが見た限りでは、ナガセは魔法を使いこなせていないはずだった。
(そもそも、彼は魔法が苦手だから、剣の訓練を始めたのではなかったか?)
「……やっぱ、ダメでしたか?」
一体、何が彼の魔力を動かしたのだろう。
「いや、俺の負けだ」
ヤマグチは、一瞬、ナガセの底知れぬ潜在能力を垣間見てしまった気がした。
下級の魔法にも関わらず、否、そう思わずにはいられなかったのだ。
今、自分は負けたことを嬉しくさえ感じるような、後腐れのない笑みをしているに違いない。
ナガセに覚らせないように苦笑で誤魔化しておき、先に模擬剣を収める。
「お前の勝ちだよ、ナガセ」
「え? あの! じゃ、オレ、旅に出ても……」
「さっさと港に行け。あの一匹狼、船から引きずり下ろして来い」
ナガセは満面の笑みでうなずき、次の言葉を待たずして、すぐにその場を駆け出して行った。
彼の姿が視界から消えるのを見計らって、ヤマグチは後腐れの無い笑みに戻してしまう。
「隊長」
すぐ近くにまで歩みを寄せていた副長・ニノミヤは、どちらかと言えば渋い表情だ。
負けたはずなのに、久しぶりに気分が高揚しているヤマグチは気にならなかった。
「負けたな」
「あれは負けには入りませんよ。魔法なんて……聞いてない」
「使うなとは言わなかったからなぁ」
結果的に、勝負はついてしまっている。
「本当に……辞めるんですか」
ニノミヤの渋い顔の原因は、そこにある。
副長は、ナガセとの手合いの直前に、現隊長の魂胆を知った。
国宝の捜索に赴くというヤマグチが、隊長職まで退くのに最後まで反対していた。
つまり、同時に、ことの約束を取り次いだのである。
“ナガセに負けたら、隊長を退く”、と。
九割は負けない賭けであったはずなのに、ニノミヤは一割に負けてしまったのだ。
人事異動は、とっくに発令されていた。
「だから、隊長をお前に任せるって言ってんだろ? お前が一番、隊長に向いてる」
「もう騎士団に戻ってこない、なんてことは……」
「ない。俺はここに骨を埋めるつもりでいる」
きっぱりと言い放っておきながら、恥ずかしいことを口走ったと後悔するヤマグチである。
咳払いをしてから、提示される妥協案その一。
「だから、それまで……まぁ、いつになるかは分かんねぇけど。俺が戻ってくるまで、代わりに騎士団を率いてて欲しいんだよ」
「……副長の方が、自分の性に合ってる気がするんですけど」
意外にもと言うか、結構、頑固者である。
この青年は、自身を過小評価しすぎる傾向があるのだ。
ヤマグチが溜め息を吐こうとすると、慌てて考えたニノミヤの、苦肉の妥協案その二。
「んー……えー……じゃあ、隊長代理! 隊長代理ということで、お願いできますか?」
「代理? 代理ねぇ。あんまり聞かねぇな」
「隊次長」
「……どう転んでも隊長は嫌ってことか?」
ニノミヤの本日初の笑顔は、何故か引きつっていたりする。
「だって隊長が戻ってきたら、オレ降格扱いになるの嫌ですもん」
「あ!? そっちが本音か!」
この後、さらに丸一刻、ヤマグチ隊長の訓練(特別メニュー)が新隊長に課せられたのは叙述するまでもない。
何故、自分はここにいるのだろうか。
半年に一度の定期便は、夕方には港を出る。この船を、乗り過ごすわけにはいかなかった。
だからこそ、ふた月の内にはアリアハンを発つ決心を付けた。
余計な宝飾は売って路銀に換え、信頼できる後輩に教会のことも預けた。
旅を決めてからは、あっという間だ。
それは、自分が臆病だからなのだろう、マツオカはうっすらと自覚している。
決意を鈍らせる前に、離れてしまいたかったのだ。
この記憶が薄れる前に、会いに行かねばならない人が出来たのだ。
急ぐ旅になる、はずだった。ならば、何を待っているのか。
早まっても埒が明かないから、遅めても支障が無いから?
いずれ理由付けたところで、それは答えではないと判ることなのに。
城門を三、四歩だけ進んだところで、中庭の訓練場から剣の打ち合いが響いて来る。
マツオカは足を止めた。
数分ほど、そうして立ち尽くしていただろうか。剣戟の音が鳴り止むことはなかった。
マツオカが、それ以上、敷地内に歩を進めることもなかった。
唐突に、マツオカはくるりと背を向けて、城外へと向かい歩き出す。
先ほどと同じ門衛に会釈をして、同じように城門を抜ける。
そのまま、元来た道を引き返して行った。
太陽は城の一番低い尖塔に掛かり始めている。
Level 04+a. アリアハン城(訓練場)の3人
ヤマグチが、昼過ぎに城にやって来たナガセと、訓練場の一角を借りきってから、既に一刻。アリアハン騎士団副長・ニノミヤは、訓練場の隅で二人の手合いを冷静に分析していた。
一試合を三分ほどと換算すると、実質二十回は打ち合っている計算になる。
打ち合い毎に勝敗を付けるならば、ニノミヤの目からは、ヤマグチの方が有利であると見えたし、明らかに、ナガセのほうが体力の消耗が激しいはずだ。
その回の打ち合いの末、ナガセの練習用の片手剣が弾き飛ばされ、地面に落ちる。
「……もう一回」
しかし、ナガセは手を休めなかった。素早く剣を拾い上げ、無言で待つヤマグチに向き直る。
よく精神力が続くものだと、ニノミヤは感嘆してしまう。
粗いが、一撃の重さで相手の剣を弾こうとするナガセと、技でそれを受け流すヤマグチ、という構図。
珍しい絵だ、と思った。普段から、二人の訓練を度々目にしていた(双方とも剣を交えたことがる)ニノミヤである。
定期の訓練ならヤマグチの手前、剣の平刃を使って受ける場面であっても、今日のナガセは、無理やりに刃を振り切ってくるのだ。防御を考えずに、ひたすら前へ前へと押してくる。
相当、勝ちたいのだろう、と見えた。
何度目かの鍔迫り合いを、ヤマグチが力で押し返す。
わざと負けてやるなどと姑息な考えは、毛頭無い。
だが、迷いはしているようだった。ここでヤマグチが勝ったとして、ナガセの決意は揺らぐだろうか、気持ちは収まるだろうか。収まらないだろう、から最初の自問へと帰着するループは断ち切れない。
それでも、勝たせるわけにはいかない。
もはや騎士団長としてでなく、彼の剣の師という立場での意地が、ヤマグチにある。
そこにハンディがあるとしたら、考えあぐねて集中しきれないヤマグチの今の状況だろう。
軸足で踏み込んだナガセの左手が、不自然に動いたことまで気が回らなかったのだから。
「“打て”」
やはり不自然な言の葉が、至近距離のナガセから発せられたことにまで、気が回っていなかった。
それを勘繰るには、一瞬、反応が遅かったのだ。
「“炎の礫”!」
「何!?」
下級の炎魔法、メラであった。
ナガセは、左手を素早く突き出し、炎の魔法を放ったのだ。
とはいえ、下級で魔力も弱い。直撃したところでダメージは微々たるもの。
しかし、鍔迫り合うほど短い、この距離間だ。
ヤマグチは反射的に両手剣で、火球を受け止めていた。
かすかに空気を伝わる衝撃の後、炎は瞬く間に散って溶ける。
ナガセが一歩踏み込む隙を作るには、充分の間。
副長(であるが故か)・ニノミヤが、腰を浮かしかける。
騎士団長の両手剣は、ナガセの片手剣の刃先を、止め切れない。
ニノミヤは、半ば信じられない想いで、その手合いの決着を見た。
喉元の急所から柄幅二本ほどの位置で、ナガセの練習用の剣は、ぴたりと固まっている。
――勝負あった。
信じられないのは、実は手合い中の二人とて、全く同じ気持ちであった。
ナガセの勝負をつけた刃先が、静かに地に向く。
先に声を出したのは、ヤマグチである。
「……魔法、かよ」
「あ、ええと。グっさん、魔法使うなとは言わなかったから」
「入れ知恵されたな。どっちだ。炎ってことは、シゲの野郎か」
「う、あの……」
ヤマグチは自分の推測が正しかったことを理解した。言葉に詰まったナガセを恨めしげに睨む。
しかし半日、だ。
わずか半日足らずで、魔法の練成からコントロール、発動に至る一連、完璧に放てるまで訓練し続けたのだろうか。
少なくとも、数週間前にヤマグチが見た限りでは、ナガセは魔法を使いこなせていないはずだった。
(そもそも、彼は魔法が苦手だから、剣の訓練を始めたのではなかったか?)
「……やっぱ、ダメでしたか?」
一体、何が彼の魔力を動かしたのだろう。
「いや、俺の負けだ」
ヤマグチは、一瞬、ナガセの底知れぬ潜在能力を垣間見てしまった気がした。
下級の魔法にも関わらず、否、そう思わずにはいられなかったのだ。
今、自分は負けたことを嬉しくさえ感じるような、後腐れのない笑みをしているに違いない。
ナガセに覚らせないように苦笑で誤魔化しておき、先に模擬剣を収める。
「お前の勝ちだよ、ナガセ」
「え? あの! じゃ、オレ、旅に出ても……」
「さっさと港に行け。あの一匹狼、船から引きずり下ろして来い」
ナガセは満面の笑みでうなずき、次の言葉を待たずして、すぐにその場を駆け出して行った。
彼の姿が視界から消えるのを見計らって、ヤマグチは後腐れの無い笑みに戻してしまう。
「隊長」
すぐ近くにまで歩みを寄せていた副長・ニノミヤは、どちらかと言えば渋い表情だ。
負けたはずなのに、久しぶりに気分が高揚しているヤマグチは気にならなかった。
「負けたな」
「あれは負けには入りませんよ。魔法なんて……聞いてない」
「使うなとは言わなかったからなぁ」
結果的に、勝負はついてしまっている。
「本当に……辞めるんですか」
ニノミヤの渋い顔の原因は、そこにある。
副長は、ナガセとの手合いの直前に、現隊長の魂胆を知った。
国宝の捜索に赴くというヤマグチが、隊長職まで退くのに最後まで反対していた。
つまり、同時に、ことの約束を取り次いだのである。
“ナガセに負けたら、隊長を退く”、と。
九割は負けない賭けであったはずなのに、ニノミヤは一割に負けてしまったのだ。
人事異動は、とっくに発令されていた。
「だから、隊長をお前に任せるって言ってんだろ? お前が一番、隊長に向いてる」
「もう騎士団に戻ってこない、なんてことは……」
「ない。俺はここに骨を埋めるつもりでいる」
きっぱりと言い放っておきながら、恥ずかしいことを口走ったと後悔するヤマグチである。
咳払いをしてから、提示される妥協案その一。
「だから、それまで……まぁ、いつになるかは分かんねぇけど。俺が戻ってくるまで、代わりに騎士団を率いてて欲しいんだよ」
「……副長の方が、自分の性に合ってる気がするんですけど」
意外にもと言うか、結構、頑固者である。
この青年は、自身を過小評価しすぎる傾向があるのだ。
ヤマグチが溜め息を吐こうとすると、慌てて考えたニノミヤの、苦肉の妥協案その二。
「んー……えー……じゃあ、隊長代理! 隊長代理ということで、お願いできますか?」
「代理? 代理ねぇ。あんまり聞かねぇな」
「隊次長」
「……どう転んでも隊長は嫌ってことか?」
ニノミヤの本日初の笑顔は、何故か引きつっていたりする。
「だって隊長が戻ってきたら、オレ降格扱いになるの嫌ですもん」
「あ!? そっちが本音か!」
この後、さらに丸一刻、ヤマグチ隊長の訓練(特別メニュー)が新隊長に課せられたのは叙述するまでもない。