OPENING

 それは、ナガセが旅立つ二日前の、早過ぎる朝のことだった。

 外が騒がしい。
 ちょうどナガセの家の向かい側、通りを挟んで“ルイーダの酒場”が軒を構えているから、また、誰かがケンカでも始めたのかと思ったのだが、それにしては大勢の足音がありすぎる。
 音で騒がしいのではなく、気配で騒がしいのだ。

「……と、……ゆーことよ!」

 遠いが、朝の空間に反響して残る、耳慣れた声。
 マツオカだ。
 ナガセは毛布を跳ね除けた。
Level 01. シドニー通りの2人
 ルイーダの酒場の朝は、早くて遅い。
 休業日で無ければ、夜を越して明け方まで営業する、アリアハン唯一と言っても過言ではない深夜営業の酒場である。丁度、店の看板を片付ける頃に、東の空が明るみを増すのだから、普通の店舗とはまるで逆のタイムカードだ。

「タイチくーん、もう看板下げてもいいよね」

 最後の客のジョッキを寄せながら、マツオカはレジカウンターのタイチに声を投げる。
 ちょうど売上を計り終わったところのようだ。

「あーいいよ。片付けてきてくれる?」
「はいはいっ、と」

 テーブルの整頓をひとまず置いて、サイドの裏口から外へ。
 自然と一歩、二歩、不思議ステップでスキップすると、朝の風が心地よい。
 今日は、実は良い日なのかもしれない。
 折り畳んだ立て看板を引きずろうとして、ほど近い通りに感じる人の気配、マツオカは振り向いた。
 気のせいだと思っていた。(そうならば、良かった。)

「兄ぃ」

 十分声をかけられる位置に、突っ立っていた見覚えのある人物。
 ヤマグチだった。
 重いからと言って、いつもは身につけていない両手剣を、今日は珍しく携えている。
 表情が見えない。妙に嫌な予感がした。

「タイチ、いるか?」
「……」

 直感で、マツオカは口篭もってしまう。
 いないはずは無い、両者とも解りきっている無言の会話だが、すぐに別の声に割り込まれる。

「何やってんの、遅いマツオカ……」

 案の定、場の様子に言葉途中で固まったタイチを、マツオカはそろりと窺った。
 このタイミング。

「……おはよう、ヤマグチくん」
「よぉ」

 自分の第六感の誤りだと祈りつつ、マツオカはカニ歩きで近づいて、タイチに耳打ちする。

「何?……ね、何、この状況」
「俺が聞きてぇよ。でも、ヤマグチくんが剣持ってるってことは城の用事でしょ」

 そう言ってタイチが指差す先は、マツオカも気になった、あの両手剣である。
 騎士剣、つまり儀礼用の剣だ。武器としての役割ではなく、極論には、城の騎士であることを周りに知らしめるための装備。(だからこそ、ヤマグチはアレを身につけるのを嫌うのだ。)

「アタリ」

 目が笑っていない。
 そういう表情のときの彼ほど、恐ろしいものは無い。

「で、単刀直入に悪いけど、コクブンさん、逮捕状が出てる。城まで来てもらう」
「え、俺?」
「はあ!? 何言ってんの」

 驚きを音速で通り越した素っ頓狂な声を上げて、ヤマグチを睨んだのはマツオカ。
 口元だけは笑わせていた。次には、冗談だよと降参してくれるものと、少し期待もしていたのに。

「これ令状ね」

 ささやかな願い星は、あっさりと叩き落とされる。
 ヤマグチは唖然とした二人の表情を黙視で遮って、ひらりと、一枚の紙を投げて寄越した。
 風に遊ばれるのを慌ててつかみ取ったのはマツオカ、紙面に目を通したのはタイチだ。

「何、窃盗容疑って? なんか盗まれたの?」
「……ああ。三日前に、城の宝物庫からな」
「あそこ、カギの造りが雑すぎんだもん。無理ないね」

 他人事のように笑って(いや、おそらく内心は偽っているのだろうが)、タイチは、マツオカの手から取った令状をくるくると筒の形に丸めて返した。
 差し出されたそれを、ヤマグチは受け取らない。

「盗まれたのは、ひとつだけだ。価値のわかんねぇお宝なんてゴロゴロしてる中で。無くなったのは、たった“ひとつ”だけなんだよ……タイチ」
「それは……」

 矢継ぎ早、平然と応対していたはずのタイチの顔色が一変した。
 その変化に気付けないマツオカでは無いが。

「なに……何の話」
「……」
「来てくれるよな?」

 双方からの言葉に、タイチはしばらく押し黙る。迷った指先が、丸めた令状を懐にしまった。受諾、の意味だと取れた。
 マツオカが目を見張る。

「……いいよ、わかった。じゃ、行くわ」
「ちょっと、どーゆーことよ!」

 話の見えない矛先に、食ってかかったマツオカに、いつものように笑って見せる。
 意地悪めいた、芯の細い微笑。

「ま、盗みは俺の専門だからね」
「だからって、おかしいでしょ。オレ、証明できるもん! タイチくんは犯人じゃねぇって!」
「マツオカ」

 去り際、手招きした、少し高い横顔につぶやく。強く。

「お前は、今は自分のことだけ、考えてればいいんだよ」
 うっすらと、東の空が柔く光を射している。
 早朝の静けさに鳥の鳴き声と、取り残されたマツオカの、炭灰色の長い影。

「マボ」

 ぱたぱたと、通りの向こうから起きざまの格好のナガセが走ってくる。

「何だったの? ……グっさんが来てたみたいだけど」

 マツオカは一瞬こちらを向かうが、目線が定まらない。
 言ってしまうべきか、言わずにおくかを悩んでいるのだ。
 ナガセは即座に見破り、先手を打つ。

「何があったの? タイチくんは? もう寝てる?」
「……寝てない、ってか、いない」

 言葉数の少なさを、ナガセは読み取れなかったようだ。

「どっか行ってんの?」
「ちがう……あー、いや、あってる」
「どっちだよ。わかんないよ」

 二転三転に、起き立ての眼を細めるナガセを、マツオカは憮然と睨みつけた。

「……連れてかれたんだよ、城の兵士に!」

 ヤマグチの名を出さなかったのは、多少なりとも反感があったからだ。
 寸刻でも怯んだナガセに、たたみかける。

「窃盗、容疑だってさ! んなわけ無ェのに、オレ、ずっと一緒に店やってたのに、いつ盗めるってのよ!」
「……」
「タイチくんもタイチくんで、ついて行っちゃうしさ! ああ、もう! ワケわかんねーよ」

 とりあえず出たもの勝ちで、文句を全部言い終えたらしいマツオカが、息を吐いて座り込んだ。
 それを、じいっとナガセが見ている。
 待っている、でもなくて、ただ何とも無しに見つめているようなのである。
 意味が分からない。マツオカ、まじまじと見返す。

「……何か言えよ」
「うん。それで、結局、タイチくんは、どうしたの?」

 がくし。

 肩どころか腰まで抜けそうだ。マツオカは店の壁に突っ伏した。

「……もっかい、最初から話す」
「うん」

 起こる気力も飛んでいったマツオカの、一呼吸の後に、整理された話の要点。
 ナガセは真剣に聞き込んでいる。

「城に泥棒が入って、盗られたのが何か……すんごい価値のあるもんだったらしくて。兄ぃがさ、タイチくんが盗んだかもって」
「それで、なんでタイチくんが……疑われる、わけ?」

 やや語尾を濁して問うたナガセに、マツオカが納得した。

「ああ……ナガセには言ってなかったっけ」

 これでは、話が噛み合わないはずだ。
 短い屈伸運動で立ち上がり、勝手口に手をかけ、ナガセを店へと促す。

「中で話そ。店長、いないけど、ホットミルクなら出せるからさ……メニューに無いし」

 乗じて、ようやく洒落を作れるまでに落ち着きさを取り戻したマツオカは、ナガセのスローテンポに少しばかり感謝したのだった。
「タイチくんさ、ずーっと前に一回、城に盗みに入ってて、捕まってんのね。兄ぃ……ヤマグチくんに」

 丸テーブルに用意されたのは、マグカップのホットミルク。
 マツオカは向かいに座りながら、入れたてのコーヒーをすする。

「何年くらい前かな。酒場買い取る前だから、だいぶ前」
「うん……ここ来る前に、トレジャーハンターやってた、っては聞いたけど」
「何。結構、知ってんじゃん」

 傾けたコーヒーカップの取っ手から、ナガセを一瞥してやる。
 反応に困る笑みを見せたのは、どうも無理にでも聞き出したかららしい。

「でも結局、何探してたのか、教えてもらえなかった」
「盗賊なんだから……やっぱ財宝とか、でしょ?」

 マツオカの模範回答では、ナガセは不服そうだ。
 盗まれたのはひとつだけ、と繰り返したヤマグチの様子が、今になって気になりだした。
 こんな時にまで誘導されているようで癪に障るが、仕方ない。

「な。ナガセは、何か聞いてない? 兄ぃ、盗られたの“ひとつだけ”って言ってたんだけど」
「ひとつ? ひとつだけなんだ? 城の宝物で、ひとつ……」

 暗号のようにつぶやいて、ナガセはぐるぐると、頭を巡らせる。
 元々、ナガセは、彼の父・オルテガが前の騎士団長を務めていたこともあって、いちアリアハン人としては王城と関わりの深い方ではある。

「んー……国宝っていうのなら、いくつか聞いたことあるけど」
「国宝! んなの、あったの、ここ?」

 マツオカ、素直に目を丸くした。
 決して、祖国アリアハンを貶しているのではない。つまり、ほとほと、財宝やら黄金といったキラびやかな物と、縁の薄い国なのだ、ここは。かと言って、別段に国の財源が困窮しているというわけではない。生来、そんなものに興味が無い国民性から由来するイメージなのである。(国民いわく――黄金が明日の食事を用意してくれるわけでもなし。)

「あるよー。えーっとねぇ、風神の盾、アサシンダガー、バスタードソードに……」
「……何か、方向がちがうよーな気がすんだけど」
「そう?」

 ナガセが肩をすくめた上目は、むしろ自身も肯定している。
 価値など解らないが、察するところ全て武器の類のようだ。
 ひとつだけ盗んでどうなるとも思えないし、もし換金するのなら大量に盗むに決まっている。
 あるいは、世界をひっくり返せるほどの強大な力を持った、特別な武器防具か何かだろうか。

 黙り込むマツオカを前に、ナガセが話しかけにくそうに姿勢を正す。

「だってマボは……タイチくんが盗んだなんて思ってないでしょ?」
「当たり前だろ。動機が無ェし、アリバイもあるし」
「なら、決まりだ」

 マグカップが、ソーサーに落ち着く空音。
 まだ飲みかけのコーヒーカップを、ナガセにならって収めると、ほそぼそと小声で話し出す、二人だけの店内。

「オレらで、真犯人を見つければいいんだよ」

 いつにも増して強い目のナガセが続ける。

「タイチくんが犯人じゃないんだから、真犯人がいるでしょ、絶対」
「……そりゃ、そーだろ」
「でもって、プロなんだ。盗賊の」
「……まぁ、数ある中から、たった1個を選ぶくらいだから……ねぇ」
「アリアハンに、そんな人いる?」

 と、二人問答の終わりは唐突に訪れた。

「外から来た人って、可能性は高い。ね」
「船か!」

 ナガセが自信たっぷりに頷く様に、
 乗り出してしまった身の振りどころの無いマツオカは、半ば唖然とするしかない。

 どうも、今日のナガセはいつになく冴えているバイオリズムらしい。
 そういう彼に会えるのは、ときたま、不意で、検討もつかない。
 それが実力なのか、あるいはまぐれなのか、こんなに長い付き合いのマツオカでさえ、法則が解らないのだから。

「港、行ってみよう。定期船だったら、乗客名簿が残ってるだろうし。あ、ごちそうさま」

 思索を中断させて、ソーサーを手にナガセが席を立つ。
 マツオカも椅子を引くが、足を付けた途端に巡り着いた一つの予想事に思い当たった。渋い顔で付け加える。

「あー、けどよ……もし、もしもよ? もしも、本当にタイチくんが犯人だったら、どーするよ?」

 酒場の表戸前にやって来たところで、ナガセがくるりと振り向いて、

「そんときは、お城に潜入して、タイチくんを助け出せばいーじゃん」

 当然。
 あっさりと放ったセリフに、マツオカは数秒固まった。

「……やっぱお前……ときどき豪快だよな」
「なんで、ときどき?」

 普段なら聞き逃す曖昧なボケを、ナガセは珍しくつっこんだ。
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