夜風が波音を伴って事過ぎる。
ナジミの塔の一角は、半刻前の静けさを取り戻していた。
ざわめきが耳鳴りのように残る、さながら宴の後である。
その不思議な静寂を、ヤマグチが騎士剣を収めた小さな金属音がかろうじて打ち消した。
「……ルーラ、使えたのね。本当にヒマつぶしの滞在だったわけだ」
ヤマグチが溜め息混じりにつぶやいた単語は、ナガセなどは文献でしか知りえないであろう、転移魔法の名である。
魔力の気が安定している屋外から屋外へならば、一瞬で移動出来る高度な魔法。そこに距離の長短と有無は関係しない。
効果の程を知るマツオカは、口を尖らせる。
「ちょっと、どうすんのよ。移動先なんて解んないでしょうが」
「アリアハンの外ってことは、とりあえず確かだろうな」
「……ますます、どうしようもねーじゃん」
この広大な世界に、たった二人の盗賊を見つけ出すことなど不可能に等しい。
「いや……あいつらの狙いは解ってるんだ。“オーブ”を集めてる、ってこと」
ヤマグチが口元に手を当てながら、冷静に話す。
「それなりにレベル高い冒険者みたいだったし。もしかしたら、レッドオーブ以外にも……他のオーブも既にいくつか奪って来てたのかもな」
「そう、なのかな」
ぽつりと、ナガセが口を挟む。
その疑問符にかかるヤマグチの言葉は、この場合、後者だろう。
「悪い人には見えなかった」
弱い根拠だ。感情論、と言ってしまえばそれで終わり。
ナガセは塔の窓から身を乗り出して、今は見えるはずも無い魔法の軌跡を目で追っている。
ヤマグチが彼の横顔を軽く睨んだ。それきり、空間は黙ってしまうかに思えた。
「ヤマグチくん、“この世の全てを制する翼”って、何スか?」
振り向きざま、真っ直ぐに問うたナガセに、ヤマグチは咄嗟、目を背けた。
が、逸らした視線の先が、今度は、腕組みしたマツオカの瞳に当たる。
極秘事項のひとつであろうが、ここまで来て誤魔化すことは出来そうにも無い、そう踏んだのだろうか。
ヤマグチは溜め息の後に、口を開いた。
「……世界を制する力を持つ、翼だろ」
「それ、意味まんまじゃねーかよ」
今更、はぐらかすつもりかと、マツオカが精一杯の恨み眼をヤマグチにくれてやった。
その意に反して返って来たのは、肩をすくめて眉を上げる戦士の姿。
「知らないんだよ、それ以上は」
「知らない?」
「少なくとも俺は知らない……いや、違うな。多分、この世界の、誰も知らない」
話の域が唐突に世界枠に拡大され、ナガセもマツオカもただ顔を見合った。
ヤマグチは至って真剣だ。
「俺が知ってるのは、世界中に散らばるオーブを集めたとき、“この世の全てを制する翼”が手に入るってことだけだ」
塔の石壁に背を預け、ヤマグチは淡々と続ける。
「そして、それを実行したヤツはいない」
「今まで? ずうっと? んで、一人も? んな馬鹿な話!」
「実行できなかった、とでも言うのか、ね……」
「だって……たった六つ、なんでしょ?」
マツオカが笑い飛ばし、ナガセが有史を疑うほどの事実だ。
記録の残る時代から数千年、わずか六つ足らずのオーブが、一所に集まったことが、かつて無いとでも言うのだろうか。
ヤマグチは、だが小さく頷く。
「確認されてるオーブだけでも、三個か四個。数が足りねーんだよ」
「その確認されてる、って言うのは?」
「王家とか、高貴な一族とか、大神殿とか……まぁ、アリアハンみたいに国家が秘密裏に保管してるような分だ」
ヤマグチの説明に、マツオカがすいと意味ありげに顔を向ける。
「それに“六個”とは言われてるけど、実際のところオーブが全部でいくつあるのかは解らないしな」
「……じゃあ、オーブ自体も謎だらけ、ってことなんだ」
「そういうこと」
「そんで結局、“この世の全てを制する翼”って何?」
再度ぶつけた同じ質問にも、ヤマグチは無言で、首を横に振るだけだ。
見当も付かない。武器か魔法か、生物か。それどころか、現実、形が有るか無いかすらも不明では、実体を思い描くだけにしても限界がある。
「けど、“この世の全てを制する”ってのが本当なら……どうだろうな」
ヤマグチが誘導しようとしている、ひとつの答えが目の前に浮かび上がった。
たぶん、普通に生活していく上では今後一生、耳に入ることが無かっただろう言葉。
それすなわち―――“世界征服”だ。
「ちょっと……いくらなんでも、話がでかすぎんでしょーよ」
「そりゃ俺が言いたいセリフだよ」
相手は年若いドロボウ二人組だ。彼らは、理由を『帰りたい』からだと話していた。
真偽、あるいはその真意までは判断出来ないにしても、まさか、そんな大それたことを片鱗も考えないだろうと思ったが、事態は、一個事態として認めざるを得ないのだ。
「とりあえず城に戻って、陛下に報告してこねーとな」
「え?……で、どうするんスか?」
彼の世界が90度、今まさに、左に逸れた瞬間である。
「オーブを取り返すんだよ」
さも当然と口にしたヤマグチを、ぽかんと見つめるナガセの表情。
まるで、何かの星に引き寄せられたかのように、その瞳に光が宿る。
好奇心、いや決意の現れかもしれない。
彼が何を考えているか、おおよそに気づいていながら、マツオカは釘を刺しておくのを忘れてしまった。
いつもなら言えるはずの事柄だったのに、何故か、このときばかりは、口に上げてはならないような、そんな気持ちが過ぎったのだ。
藍の空が覗く石窓を背に、三人は、早足でナジミの塔の地下道を突破していた。
ナジミの塔の地下一階と、アリアハン城の地下一階とは、一本の地下通路で結ばれている。
塔から帰還するに当たり、城に直行する、最短手段となる。
もっとも、ナガセとマツオカも、騎士団長の目を盗もうなどと考えなければ、行きもすんなりと地下道を使えていたのだろうが。
アリアハン城の地下通路をすり抜けて城内へと足を踏み入れる。
ナガセのホームグラウンドと言っても過言では無い場所だ。彼の足取りは迷わず方向を選んで行く。
ヤマグチとマツオカが、彼を追従する形となった。
しばらく、会話が途絶えていた。(ナガセの口数が特に少ない。)
黙って先を行く二人の背中を追っていたマツオカが、ふいに口を開いた。
「ね……ひとつ、聞きたいことあんだけど」
「何?」
ヤマグチが足を止めずに目を寄越す。
ナガセを気遣ったわけではないが、マツオカも小声で続ける。
「アナタ、さっき言ったよね。オーブは世界に散らばって、国家や、一族がそれを守ってる」
「ああ。で、何?」
「オレたち、今までそんなこと、聞いたことも無かった」
風の噂にも、小耳にも挟んだことすら無かった。
オーブは、ただの値打ちものの宝玉か何かで、特別な意味などは無くて、それに付随してくる伝承にしても、おとぎ話の領域を出ないのだと。ナガセもマツオカも、言わば単純な雑学として頭にあっただけだ。
ましてや、秘密裏に国家やそれに匹敵する一団が保管しているなど、考えもしなかった。
だからこそ、マツオカには“彼”が不自然だったのだ。
「……何で、兄ぃが、そこまで知ってるわけ?」
「……」
ヤマグチは答えない。
一瞬見せた、渇いたような寂しい笑みは、背を向けたマツオカの位置では気付けなかった。
「兄ぃ?」
無視されたかと思ったのだろう、マツオカが不信げに問い質す。
ヤマグチが、ぴた、と立ち止まる。すぐに振り向いた彼の顔は、おどけたような笑みに変わっていた。
(無論、マツオカには“変わっていた”とは受け取れないであろう。)
「そのうち、な」
「はぁ? 何だよ、それ……」
到底、納得出来ない答えだ。
無理やり聞き出すわけにもいかず、ヤマグチもさっさと歩いて行ってしまったので、結果、マツオカはうやむやなまま、後を追うしかなかった。
人気はほとんど無い。真夜中過ぎともなれば人の少なさは致し方ないが、無風は時に不気味ですらある。
城の一角、隅の隅とも言える辺地に、地下牢へと続く螺旋階段はあった。
「あ、ナガセ……待て!」
ナガセは駆け足で階段を下りていってしまった。
階段終わりのフロアに、金属で打ち付けられた重厚な扉が現れる。
看守室には、見張りの衛兵が二人いた(うち一人は、頭だったナガセを刃止めようと構えた)が、ナガセはそれを押し退けようとする。
「待て、俺だ!」
遅れて追いついたヤマグチの姿を見とめると、衛兵は慌てて槍を引く。
そういえば騎士団長だったっけ、とマツオカは今さらながらに感服する。
「タイチくんは?」
「一番奥」
ヤマグチは、衛兵に事情を話しているようだ。お礼を言って、ナガセは先へと進む。
薄暗い石壁に繋ぐ炎の赤、地下牢のフロアだ。
「タイチくん!」
一番奥の堅固な牢を目指して、ばたばたと統率無く重なる足音が、空の牢を二つ三つ通り過ぎていき、終ばらけながらも同じ位置で固まり止まった。
さて、目前の人影ふたつ。
(ふたつ?)
鉄柵挟んで向かい合わせに座り込む、牢のタイチと、手前のシゲルだ。
半ば唖然と、二人して見上げてきた。
足元に散らばる、トランプカード。
(……トランプカード?)
「おー、ナガセにマツオカ。一日ぶりー」
あんまし大変そうではなかった。
「あ、もしかして俺の容疑晴れたの?」
「ああ。悪かったな、連れてきちまって」
ヤマグチが呼びやった衛兵が、牢の鍵を開けている横で、
ナガセとマツオカは、何とも言いがたい心境で、二人揃って壁相手に反省していた。
「いいって。ヤマグチくんは、俺のこと信用してくれてたみたいだしさ……リーダーと違ってー」
じとりと睨んだタイチの視線が、ちょうどシゲルの目許を隠すように扇形に広げられたトランプに突き刺さる。
「ひどッ……タイチが退屈せーへんようにって、折角トランプ持ろてやったのに」
めそめそと泣きまねをするのを軽く手であしらって、なおババ抜きを続けるこの二人。
この和やかな日常は何だろう。ナガセは非日常の底辺から観賞するしかない。
やはり、あんまり、どころか全く大変では無かったようだ。
「拗ねてんの?」
ふいと眼を合わせたタイチに言われては、ナガセはそれとなしに拗ねてしまう。
「なんか……全然、深刻な風じゃないんだもん」
「ほー。深刻なほうが良かった、みたいな意見だな」
「ちがう、ちがいますよっ! けど、だってオレら、タイチくんの無実を証明したくて塔に行ったのに……何かさぁ」
尻切れるように、ナガセがぼそぼそと話す。
マツオカもとりあえずは同意見だったらしいが、話途中で「あ」に無理やり濁点を付けた声を上げた。
壁から身を剥がして、ここぞとばかりにシゲルに詰め寄る。
「だあっ、忘れるとこだった! リーダー! あんたヤマグチくんにばらしたでしょ!」
「はあ? なんのことやー」
「この期に及んで……わざとらしいッ!」
のほほんと話題を流そうとするシゲルに対抗すべく、マツオカもわざとらしく地団駄を踏む。
「感謝しとけよ」
手元のカードを二枚捨てて(ババ抜き続いてたのか、とナガセはシゲルの手札を覗く)、タイチはさりげなく口を挟む。
「松明も持ってなくて、岬の洞窟なんて突破できるわけないだろ?」
「ああもう、タイチくんまで兄ぃと同じセリフ言わないでよね……って……何で知ってんの」
まるで見聞きしていたような、いや、実際“見聞きしていた”だろうタイチの言葉だった。
あの状況に出くわした三人は、今の今まで行動を共にしていたのだから、タイチが情報を知る術は無いはずだ。
マツオカは驚いて彼の顔を凝視する。
現役盗賊の含み笑いは、さぞ畏怖だったにちがいない。
「さぁ……稼業秘密ー?」
その横で、シゲルが「悪いヤツやのぅ」とほくそえんでいた事も、追記しておこう。
ナジミの塔の一角は、半刻前の静けさを取り戻していた。
ざわめきが耳鳴りのように残る、さながら宴の後である。
その不思議な静寂を、ヤマグチが騎士剣を収めた小さな金属音がかろうじて打ち消した。
「……ルーラ、使えたのね。本当にヒマつぶしの滞在だったわけだ」
ヤマグチが溜め息混じりにつぶやいた単語は、ナガセなどは文献でしか知りえないであろう、転移魔法の名である。
魔力の気が安定している屋外から屋外へならば、一瞬で移動出来る高度な魔法。そこに距離の長短と有無は関係しない。
効果の程を知るマツオカは、口を尖らせる。
「ちょっと、どうすんのよ。移動先なんて解んないでしょうが」
「アリアハンの外ってことは、とりあえず確かだろうな」
「……ますます、どうしようもねーじゃん」
この広大な世界に、たった二人の盗賊を見つけ出すことなど不可能に等しい。
「いや……あいつらの狙いは解ってるんだ。“オーブ”を集めてる、ってこと」
ヤマグチが口元に手を当てながら、冷静に話す。
「それなりにレベル高い冒険者みたいだったし。もしかしたら、レッドオーブ以外にも……他のオーブも既にいくつか奪って来てたのかもな」
「そう、なのかな」
ぽつりと、ナガセが口を挟む。
その疑問符にかかるヤマグチの言葉は、この場合、後者だろう。
「悪い人には見えなかった」
弱い根拠だ。感情論、と言ってしまえばそれで終わり。
ナガセは塔の窓から身を乗り出して、今は見えるはずも無い魔法の軌跡を目で追っている。
ヤマグチが彼の横顔を軽く睨んだ。それきり、空間は黙ってしまうかに思えた。
「ヤマグチくん、“この世の全てを制する翼”って、何スか?」
振り向きざま、真っ直ぐに問うたナガセに、ヤマグチは咄嗟、目を背けた。
が、逸らした視線の先が、今度は、腕組みしたマツオカの瞳に当たる。
極秘事項のひとつであろうが、ここまで来て誤魔化すことは出来そうにも無い、そう踏んだのだろうか。
ヤマグチは溜め息の後に、口を開いた。
「……世界を制する力を持つ、翼だろ」
「それ、意味まんまじゃねーかよ」
今更、はぐらかすつもりかと、マツオカが精一杯の恨み眼をヤマグチにくれてやった。
その意に反して返って来たのは、肩をすくめて眉を上げる戦士の姿。
「知らないんだよ、それ以上は」
「知らない?」
「少なくとも俺は知らない……いや、違うな。多分、この世界の、誰も知らない」
話の域が唐突に世界枠に拡大され、ナガセもマツオカもただ顔を見合った。
ヤマグチは至って真剣だ。
「俺が知ってるのは、世界中に散らばるオーブを集めたとき、“この世の全てを制する翼”が手に入るってことだけだ」
塔の石壁に背を預け、ヤマグチは淡々と続ける。
「そして、それを実行したヤツはいない」
「今まで? ずうっと? んで、一人も? んな馬鹿な話!」
「実行できなかった、とでも言うのか、ね……」
「だって……たった六つ、なんでしょ?」
マツオカが笑い飛ばし、ナガセが有史を疑うほどの事実だ。
記録の残る時代から数千年、わずか六つ足らずのオーブが、一所に集まったことが、かつて無いとでも言うのだろうか。
ヤマグチは、だが小さく頷く。
「確認されてるオーブだけでも、三個か四個。数が足りねーんだよ」
「その確認されてる、って言うのは?」
「王家とか、高貴な一族とか、大神殿とか……まぁ、アリアハンみたいに国家が秘密裏に保管してるような分だ」
ヤマグチの説明に、マツオカがすいと意味ありげに顔を向ける。
「それに“六個”とは言われてるけど、実際のところオーブが全部でいくつあるのかは解らないしな」
「……じゃあ、オーブ自体も謎だらけ、ってことなんだ」
「そういうこと」
「そんで結局、“この世の全てを制する翼”って何?」
再度ぶつけた同じ質問にも、ヤマグチは無言で、首を横に振るだけだ。
見当も付かない。武器か魔法か、生物か。それどころか、現実、形が有るか無いかすらも不明では、実体を思い描くだけにしても限界がある。
「けど、“この世の全てを制する”ってのが本当なら……どうだろうな」
ヤマグチが誘導しようとしている、ひとつの答えが目の前に浮かび上がった。
たぶん、普通に生活していく上では今後一生、耳に入ることが無かっただろう言葉。
それすなわち―――“世界征服”だ。
「ちょっと……いくらなんでも、話がでかすぎんでしょーよ」
「そりゃ俺が言いたいセリフだよ」
相手は年若いドロボウ二人組だ。彼らは、理由を『帰りたい』からだと話していた。
真偽、あるいはその真意までは判断出来ないにしても、まさか、そんな大それたことを片鱗も考えないだろうと思ったが、事態は、一個事態として認めざるを得ないのだ。
「とりあえず城に戻って、陛下に報告してこねーとな」
「え?……で、どうするんスか?」
彼の世界が90度、今まさに、左に逸れた瞬間である。
「オーブを取り返すんだよ」
さも当然と口にしたヤマグチを、ぽかんと見つめるナガセの表情。
まるで、何かの星に引き寄せられたかのように、その瞳に光が宿る。
好奇心、いや決意の現れかもしれない。
彼が何を考えているか、おおよそに気づいていながら、マツオカは釘を刺しておくのを忘れてしまった。
いつもなら言えるはずの事柄だったのに、何故か、このときばかりは、口に上げてはならないような、そんな気持ちが過ぎったのだ。
Level 03.アリアハン城の5人-(1)
彼誰刻、月は傾き始めている。藍の空が覗く石窓を背に、三人は、早足でナジミの塔の地下道を突破していた。
ナジミの塔の地下一階と、アリアハン城の地下一階とは、一本の地下通路で結ばれている。
塔から帰還するに当たり、城に直行する、最短手段となる。
もっとも、ナガセとマツオカも、騎士団長の目を盗もうなどと考えなければ、行きもすんなりと地下道を使えていたのだろうが。
アリアハン城の地下通路をすり抜けて城内へと足を踏み入れる。
ナガセのホームグラウンドと言っても過言では無い場所だ。彼の足取りは迷わず方向を選んで行く。
ヤマグチとマツオカが、彼を追従する形となった。
しばらく、会話が途絶えていた。(ナガセの口数が特に少ない。)
黙って先を行く二人の背中を追っていたマツオカが、ふいに口を開いた。
「ね……ひとつ、聞きたいことあんだけど」
「何?」
ヤマグチが足を止めずに目を寄越す。
ナガセを気遣ったわけではないが、マツオカも小声で続ける。
「アナタ、さっき言ったよね。オーブは世界に散らばって、国家や、一族がそれを守ってる」
「ああ。で、何?」
「オレたち、今までそんなこと、聞いたことも無かった」
風の噂にも、小耳にも挟んだことすら無かった。
オーブは、ただの値打ちものの宝玉か何かで、特別な意味などは無くて、それに付随してくる伝承にしても、おとぎ話の領域を出ないのだと。ナガセもマツオカも、言わば単純な雑学として頭にあっただけだ。
ましてや、秘密裏に国家やそれに匹敵する一団が保管しているなど、考えもしなかった。
だからこそ、マツオカには“彼”が不自然だったのだ。
「……何で、兄ぃが、そこまで知ってるわけ?」
「……」
ヤマグチは答えない。
一瞬見せた、渇いたような寂しい笑みは、背を向けたマツオカの位置では気付けなかった。
「兄ぃ?」
無視されたかと思ったのだろう、マツオカが不信げに問い質す。
ヤマグチが、ぴた、と立ち止まる。すぐに振り向いた彼の顔は、おどけたような笑みに変わっていた。
(無論、マツオカには“変わっていた”とは受け取れないであろう。)
「そのうち、な」
「はぁ? 何だよ、それ……」
到底、納得出来ない答えだ。
無理やり聞き出すわけにもいかず、ヤマグチもさっさと歩いて行ってしまったので、結果、マツオカはうやむやなまま、後を追うしかなかった。
人気はほとんど無い。真夜中過ぎともなれば人の少なさは致し方ないが、無風は時に不気味ですらある。
城の一角、隅の隅とも言える辺地に、地下牢へと続く螺旋階段はあった。
「あ、ナガセ……待て!」
ナガセは駆け足で階段を下りていってしまった。
階段終わりのフロアに、金属で打ち付けられた重厚な扉が現れる。
看守室には、見張りの衛兵が二人いた(うち一人は、頭だったナガセを刃止めようと構えた)が、ナガセはそれを押し退けようとする。
「待て、俺だ!」
遅れて追いついたヤマグチの姿を見とめると、衛兵は慌てて槍を引く。
そういえば騎士団長だったっけ、とマツオカは今さらながらに感服する。
「タイチくんは?」
「一番奥」
ヤマグチは、衛兵に事情を話しているようだ。お礼を言って、ナガセは先へと進む。
薄暗い石壁に繋ぐ炎の赤、地下牢のフロアだ。
「タイチくん!」
一番奥の堅固な牢を目指して、ばたばたと統率無く重なる足音が、空の牢を二つ三つ通り過ぎていき、終ばらけながらも同じ位置で固まり止まった。
さて、目前の人影ふたつ。
(ふたつ?)
鉄柵挟んで向かい合わせに座り込む、牢のタイチと、手前のシゲルだ。
半ば唖然と、二人して見上げてきた。
足元に散らばる、トランプカード。
(……トランプカード?)
「おー、ナガセにマツオカ。一日ぶりー」
あんまし大変そうではなかった。
「あ、もしかして俺の容疑晴れたの?」
「ああ。悪かったな、連れてきちまって」
ヤマグチが呼びやった衛兵が、牢の鍵を開けている横で、
ナガセとマツオカは、何とも言いがたい心境で、二人揃って壁相手に反省していた。
「いいって。ヤマグチくんは、俺のこと信用してくれてたみたいだしさ……リーダーと違ってー」
じとりと睨んだタイチの視線が、ちょうどシゲルの目許を隠すように扇形に広げられたトランプに突き刺さる。
「ひどッ……タイチが退屈せーへんようにって、折角トランプ持ろてやったのに」
めそめそと泣きまねをするのを軽く手であしらって、なおババ抜きを続けるこの二人。
この和やかな日常は何だろう。ナガセは非日常の底辺から観賞するしかない。
やはり、あんまり、どころか全く大変では無かったようだ。
「拗ねてんの?」
ふいと眼を合わせたタイチに言われては、ナガセはそれとなしに拗ねてしまう。
「なんか……全然、深刻な風じゃないんだもん」
「ほー。深刻なほうが良かった、みたいな意見だな」
「ちがう、ちがいますよっ! けど、だってオレら、タイチくんの無実を証明したくて塔に行ったのに……何かさぁ」
尻切れるように、ナガセがぼそぼそと話す。
マツオカもとりあえずは同意見だったらしいが、話途中で「あ」に無理やり濁点を付けた声を上げた。
壁から身を剥がして、ここぞとばかりにシゲルに詰め寄る。
「だあっ、忘れるとこだった! リーダー! あんたヤマグチくんにばらしたでしょ!」
「はあ? なんのことやー」
「この期に及んで……わざとらしいッ!」
のほほんと話題を流そうとするシゲルに対抗すべく、マツオカもわざとらしく地団駄を踏む。
「感謝しとけよ」
手元のカードを二枚捨てて(ババ抜き続いてたのか、とナガセはシゲルの手札を覗く)、タイチはさりげなく口を挟む。
「松明も持ってなくて、岬の洞窟なんて突破できるわけないだろ?」
「ああもう、タイチくんまで兄ぃと同じセリフ言わないでよね……って……何で知ってんの」
まるで見聞きしていたような、いや、実際“見聞きしていた”だろうタイチの言葉だった。
あの状況に出くわした三人は、今の今まで行動を共にしていたのだから、タイチが情報を知る術は無いはずだ。
マツオカは驚いて彼の顔を凝視する。
現役盗賊の含み笑いは、さぞ畏怖だったにちがいない。
「さぁ……稼業秘密ー?」
その横で、シゲルが「悪いヤツやのぅ」とほくそえんでいた事も、追記しておこう。
ルーラ : 転移魔法。一度行った場所ならば、一瞬にして移動することができる。