OPENING

 夜明け前、ナガセは珍しく目覚めが良い。

 着込んでいるのは、厚手の旅人の服。ベッドの下から引っ張り出した古めかしい革の鞄に、きゅうきゅうに詰め込む薬草、毒消し草、満月草、ブロンズナイフに保存食、宝物だった小さなメダルと、タンスの二枚底に仕舞っておいた心ばかりのヘソクリと。
 それと、あともうひとつ。

 ゆるりと階段を下りる。
 階段下の暗い物置の、奥の奥に、目指す新聞包みが埃を被っている。
 古くなったから家に置いていったのだと、母はそう言っていた。
 新しく造り直すこともなくて、使ってはいけなくて、でも売れなくて。ただ、物置の壁の装飾ようにひっそりと存在していた包みが、そこにある。
 あの言葉の理由に、もっと早くに気づいておけば良かったのだ。

 麻紐を解き現れた、包み紙の中身は、剣だった。

 しっかりと柄を抱えて鞘から引き抜いてみる、重い感触。ところどころ錆付いて擦れる砂音。
 剣と言うには少々、心許ないかもしれない。それでも、これは譲れない。
 ナガセは、物置から剣だけを持ち出した。
 早速身に着けてみると、思ったよりも長めの刀身と、真剣の重みに少しだけためらう。
 忘れ物は、もうない。

 静かに、扉を開ける。
 吸い込む慣れ親しんだ外気にさえも、新しい何かを見つけられる気がして立ち止まる。
 玄関の前で、最後に一度、振り返った。

「行ってきます」

 動き出す朝の少し前、ナガセはまだ眠ったままの家を、発つ。
Level 05. アリアハンからの5人
 リア教会の門前を、朝早く掃除する男が一人。

「……最近、教会の中、なんかスッキリしたなぁって思ってたんですけど」

 少しだけ憂いのある声に箒を止めて、マツオカは振り返る。
 声の主は面白くなさそうに、玄関口に立っている。
 後輩の僧侶だった。僧侶という立場に関しては、マツオカにとって、こと先輩のような存在でもある彼。
 すらりと細長い身体を預ける、見慣れた教会の門と一緒に、記憶に焼き付けておく。

「こういうことだったんスね」
「あれ? 言ってなかったっけ。オレがいなくなったら教会のこと頼むね、ってさ」
「そんな、酒の席で言ったような話なんて……覚えてないですって」
「覚えてんじゃん。ごめんねー。色々、押しつけちゃうけど」

 そう言って、ひとまずは箒を押しつけてみる。
 一瞬、面食らった彼だが、心底から溜め息吐いて、結局箒を受け取った。

「子供たちに何て言い訳すればいいんスか? マツ兄ぃは遠いお空の向こうに旅立ったのー、とか?」
「ちょっとアイバくーん? そんな死んだヒトみたいな……今生の別れじゃないんだから」
「黙って行くつもりだったでしょう」

 不意に一転した真剣な口調に、マツオカは軽く笑って流す。
 玄関すぐ横の旅支度を確認する素振りだが、実のところ、中身は一昨日のものとほとんど変わらないのだ。

「いや。ちょっとした予定外でね。今日、出る。アイツらと、一緒に行くことになった」
「え? あ、それは……そうですか。良かったですねぇ」

 青年はひとしきり瞬きして、バツ悪げに微笑んだ。
 何かしらの言い訳で、取り繕うとでも思っていたのだろうか。
 少し前のマツオカだったら、確かに誤魔化していたかもしれない。
 この数日で、どのくらいの心境の変化があったのか、正直マツオカ自身にもよく分からない。

「ああ、そう……そうだ。マツオカさん」

 ふいに、彼に似合わない畏まった敬語で呼びかけられる。
 一体何事かと、マツオカが顔を上げると、既に用意されていた旅支度の上に、ぽんと無造作に革袋が一つ重ねて置かれた。

「餞別です」

 青年は、にこにこと底知れぬ快晴な笑みで、次の行動を待っている。
 急かされるままに、マツオカは袋の中身を覗いてみた。
 途端に、絶句した。
 全て銀貨だったのだ。ざっと1000、いや2000ゴールドほどはあろうか。

「ちょ……何これ!? こんなにどうしたの!?」
「神父様が毎月送ってくれてた分の貯金ですよ。生活費の足しに、って」
「何で……」

 言いかけたマツオカの後に続く台詞を、素早く切り取る。

「言ったら怒るでしょ。だから取っておいたんです」
「余計、受け取れねぇっての。教会の生活費なんだろ?」
「今までの生活費は、ずっとマツオカさんが出してくれてたじゃないですか。被ってた分ですよ。それに、国の補助金もありますし」

 押し戻そうとした革袋を、また逆に押し返されてしまった。
 困ったマツオカは、渋々と受け取る。

「なら、預かるってことで」
「はい。それから旅先で会ったら、宜しくお伝えください」
「……そういうことなら、言われなくても」

 革の巾着袋をカバンの一番奥に大事にしまって、マツオカは決意を込めてうなずいた。

「会いに行くんだからさ。あの放蕩神父に」
 その朝、ルイーダの酒場のガラス戸に、一枚の貼り紙が引っ付いた。

 ――『長期休業』

 はがれようと粘る紙切れに、ぺしんと食らわす、生涯現役盗賊の止めの一撃。

「何だ、今日は休みか」

 笑いを含んで、背後からかけられる声がある。
 こんな朝早くに飲み出す客などいないというのに、タイチは答える。

「お酒は出せないよ」
「はは」

 わずかに振り向いたところ、戦士が腕を組んでいるのが視界の端に入る。
 思いのほか、きっちりとした格好のヤマグチであった。
 大きめのカバンに、黒鋼の鎧とえんじ色のマント、だが騎士剣は身に着けていない。

「出張?」
「はは」
「あー、旅行?」
「はは」

 何を聞いても、ヤマグチは笑って返す。
 目的が一緒だということに、二人とも、気づいてしまったからだ。
 否、こうなるであろうと予測していたからだ。

「わかった。じゃ、家出だ?」
「はは。ガキかよ」

 たぶん、嬉しくて仕方ない。

「迎えだよ」

 タイチが指差した方向に、ヤマグチもつられて目を向ける。
 メインストリートを曲がってくる僧服の男に、喧々と怒鳴られながらも、ちょこちょこ後ろをついてくる商人風の男。
 後ろの商人の荷物が多いのを気にかけているのか、僧侶はちょっと進んでは立ち止まる、振り向く、そして興味なさげにまた歩き出す。(そんなに気になるなら、少しは持ってあげればいいのに。)

「おっかしい」
「だな」

 二人は示し合わせたように大声で笑い出した。

「ちょっとちょっとぉ……」
「笑っとらんで、助けてぇな」

 笑い声に気付き、肩を落とした僧侶マツオカと、巨大な道具袋をずるずると引きずる、魔法商人シゲルである。

「リーダー、何、この大荷物」
「うわ、ガラクタばっかじゃん」
「ガラクタて。全部売り物やん。あと魔法道具。あー、ちょ、もっと大事に扱うて! ソフトに!」

 およそガラクタという表現が正確な物体たちを、カバンの隙間にぎりぎりと詰め込んだ結果、許容量を超えたカバンは、パンク寸前だ。
 シゲルが持てそうにない魔法道具(仮)の数個を、仕方なしに分割する。それでもカバンに入りきらない。
 「抱えて一日歩ききれないような分は諦めろ」というヤマグチの意見により、いくつか置いていくことになった。
 道端にアイテムを並べて、シゲルは選別に唸っている。

「……なにしてんの?」

 さて、ガラクタ漁りをする変な四人組の背後から、ごく普通の質問が投げかけられる。

「おー、おはよさん」
「よぉ、遅かったな」
「あー、ちょうど良いところに」
「ちょ、手伝って、ナガセも。もー、この人荷物多すぎんのよ」

 ぽかんと立ち尽くした、勇者(候補)。
 ナガセだった。

「あ、わかった。ゴミ拾いッスか」
「なッ……ナガセ! おかーちゃんはそんな子に育てた覚えはないで!」

 吹き出したタイチが、古めかしい杖を一本ぽきりと折ってしまった。(シゲルの断末魔の叫び付録。)
 集合場所はルイーダの酒場前通り、アリアハンの街門付近である。
 ナガセは最後にやって来た。もっとも、自宅は目と鼻の先なので、所要時間は二分弱もかからない。
 時刻は、白の一刻と半分。人気は疎ら。
 昇り始めたばかりの薄い色素の太陽が、シドニー通りに光輪を掛ける。

 上々な滑り出しだ、とナガセはこっそり思う。

「って、集合したのはいいけどさぁ。定期船は出ちゃってんのに、これからどうするわけ?」
「どっちにしたって、船で行ってもすぐには追いつけないだろ。相手は転移魔法使えるんだし」

 確かにそうだ。
 だが、船以外に島国アリアハンを出る手段など、無いはずだ。

「そこは騎士団の強み、だな」
「あ、まだヒミツの抜け道とかあんの?」
「まぁ、そんなとこ」

 大陸最東端の街まで地下道でも繋がっているのだろうか。
 とは言え、海路で二ヶ月分の距離。到底、歩いて行けるとは思えないのだが。
 諸々の疑問が頭に浮かんでは、立ち消える。

「とりあえずはレーベの村やろな。良い薬草も揃えておきたいし……」
「近場で残念だろ、ナガセ?」

 諸々の疑問を考えようとするより先に、動こうとする体がある。

「ぜんぜん。超楽しい」

 待ちきれなくて、ナガセは街門を走り抜けた。
 今日限りは特別の意味を持つ敷居の外で、アリアハンの街並みにじっくりと目を凝らす。
 生まれ育った街を長く離れる、それは、確かに少し心細いことではある。
 けれど、まだ始まりもしていないのに、無性に楽しい。
 一つの嬉しい誤算と合致とが夢でないのだと分かるたびに、一人、にんまりと笑ってしまう。

 旅立ちの朝に、ナガセは気付いたのだ。
 二年前に交わされたナガセだけの約束が、今日、五人の約束になったことを。

 そして今から――アリアハンの5人で。

 アリアハン王国暦195年、四の月。
 辺境の島国アリアハンから、盗まれた国宝を追って旅立った五人の男がいる。
 やがて五人の旅が、後に世界の命運を握ることになろうとは、このときは、まだ、誰も知り得ないことだった。
"Opening" - complete.
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