城門横の勝手口前に、シゲルが立っている。
「出るんか?」
「話はついてる」
短く答えて、先に行きかけたヤマグチをやんわりと制するように、シゲルが続く。
「ナガセはどうするんや? 一緒に行く、言うと思うけど」
「あいつは……ナガセを連れてくわけにはいかないだろう。悪いとは思うけど、内緒にしといて」
シゲルは相槌代わりに、まるで何かを企んだような冷ややかな笑みを返してきた。
ヤマグチが、その意味するところに気づきかけたとしても、もう遅かった。
「もう遅い」
シゲルがそう言って目を向けた先を、ヤマグチの視線が追う。夜の街道に目を凝らす。
城門からすぐに伸びる橋、ぼんやり明るむ外灯の真横に、ナガセが突っ立っていた。
「……ナガセ」
近い。橋の手前にいる。確実に、今までの二人の会話が耳に入る距離にいる。
ヤマグチは次の言葉を探せなかった。
「一生分のお願いがあるんですけど」
ナガセが、沈黙しかけた空気を破る。
次には開口一番に、“一緒に行きたい”という類のセリフが来るものだとばかり思っていたヤマグチは、この後に続く彼の言葉に、少し面食らうことになる。
店の中に入って待っていて、と言われたのだが断ってしまった。
出発を明日――厳密には、今日の夕刻に控えたマツオカには、入り辛かった。
今、少しでも馴染みの店内で過ごせば、心に悔いのようなものが引っかかる、と思ったからだ。
勝手口の戸が開く。タイチが手にしているのは、いつもと同じ、新聞紙で貼り合わせた封筒である。
アルバイトは、奇しくも昨日が最後の出勤日となっていた。
「これ。今月分の給料」
「あ、うん。ありがとうね、タイチくん」
タイチがわずかに怯む。気味が悪いほど素直に礼を言う、マツオカである。
「まあ、こんな事件に遭遇するなんて滅多に無いしね。ちょっと寝不足になりそうだけど」
「出発、遅らせる気は無いんだな」
「……うん」
少し遅れて、マツオカはうなずく。
「怒るぞ、ナガセ」
「まさか。関係ないっしょ?」
「お前なぁ……」
「仮に怒ってたとしても、ね、オレはもうその時は、海の上なんだからさ」
タイチは眉をむすりとひそめたまま、だが何故か怪訝な顔で首を傾げた。
マツオカは別の意味で捉えようとしたのだ。
「え? だってそうでしょ? 今日はリーダーが魔法教える日だもん。月一回の、ね。夕方に教会に来たとしても、夜まで気づかないでしょ?」
しばらく不思議そうにマツオカを見据えていたタイチだったが、眼元が笑い出した。
それは、面白い見つけものをした、トレジャーハンターの眼なのである。
マツオカは訳が分からず、タイチを呆けた顔で見返す。
直後、タイチは信じられないことを告げたのだ。
「ナガセ、もう知ってるぞ」
「はあ!?」
マツオカ、顎が外れんばかりに驚いた。
「いやだから。お前が旅支度をしてるって。次の船でここを出るかも、って。ナガセが一昨日ぐらいに」
「……はあ?」
何だそれ、何なんだそれ!?
マツオカは、混乱の嵐の只中にぽいと放り出されたのだ。
唖然としたまま回路の途絶えた頭に向けて、タイチが続ける。
「お前、聞いてなかったのか?」
「……」
何だそれ。
表情を読まれたくなくて、マツオカは慌てて裏口を離れた。
数歩、大通りに出る。夜風の冷たさに、ようやく動悸が治まり始める。
絶対にバレないと思っていた。バレる前に、出て行ける。
黙って出て行く、その方が後腐れが無いし、ちょっとカッコイイし。
でも、本当は、全てただの言い訳で……
「何……だぁ」
いざ、状況が変わってみれば、いかに自分が動揺しているかが分かる。
後ろ盾にしていたものが、唐突に無くなった気配。音を伴わない灰色の微風が去った気配に、よく似ていた。
タイチは、笑っているのだろうか。
先を行く背中が、次の言葉を待っていると知りながら、声をかけてはくれないのだ。
「……何だぁ」
肩の上から力が抜けていく。ようやく喉の奥から搾り出された声は、安堵のそれだった。
矛盾だ。
「まさか兄ぃも知ってたり、は……しないよねぇ」
「さぁ、俺は知らないけど、もう知ってんじゃないの? 口の軽い商人がいることだし」
「あ」
はたと、マツオカは今になって気づく。
確かに例の魔法商人・シゲルには、「ナガセには言わないように」と固く口止めはしていたが、ことヤマグチに対しての規制は、マツオカは一言も触れていない。
「ヤマグチに言うな」、なんて一言も聞いとらんでー。
またしても、シゲルが高笑いする姿が目に浮かぶ。
「あー……もう」
完璧だと思っていた旅立ち計画は、とっくに綻び始めていたのだ。
マツオカは、何だか泣きたくなってきた。計画の破綻のせいでなく、自身の情けなさに、である。
「何よ。なんか、オレが一番カッコ悪いじゃんかよ」
「そうだな。カッコ悪いな」
すぱりと切られる。
マツオカには、それが無性に有り難い。
「あいつは出るぞ」
今度こそ、マツオカは振り向く。
酒場前の通りまで出て来て、タイチが、そんなことを口にしながらふわりと笑った。
マツオカは焦る。
ルイーダの酒場と、通りを挟むナガセの家とを結ぶ、測り慣れたこの距離は10m。
間違いない。
彼なら、おそらく“そうする”だろう、と。
「お前はどうする?」
逆に問い掛けられた答えは、今はまだ、保留。
「出るんか?」
「話はついてる」
短く答えて、先に行きかけたヤマグチをやんわりと制するように、シゲルが続く。
「ナガセはどうするんや? 一緒に行く、言うと思うけど」
「あいつは……ナガセを連れてくわけにはいかないだろう。悪いとは思うけど、内緒にしといて」
シゲルは相槌代わりに、まるで何かを企んだような冷ややかな笑みを返してきた。
ヤマグチが、その意味するところに気づきかけたとしても、もう遅かった。
「もう遅い」
シゲルがそう言って目を向けた先を、ヤマグチの視線が追う。夜の街道に目を凝らす。
城門からすぐに伸びる橋、ぼんやり明るむ外灯の真横に、ナガセが突っ立っていた。
「……ナガセ」
近い。橋の手前にいる。確実に、今までの二人の会話が耳に入る距離にいる。
ヤマグチは次の言葉を探せなかった。
「一生分のお願いがあるんですけど」
ナガセが、沈黙しかけた空気を破る。
次には開口一番に、“一緒に行きたい”という類のセリフが来るものだとばかり思っていたヤマグチは、この後に続く彼の言葉に、少し面食らうことになる。
Level 03+b. ルイーダの酒場(裏口付近)の2人
マツオカは、ルイーダの酒場の裏口横で、タイチが出てくるのを待っている。店の中に入って待っていて、と言われたのだが断ってしまった。
出発を明日――厳密には、今日の夕刻に控えたマツオカには、入り辛かった。
今、少しでも馴染みの店内で過ごせば、心に悔いのようなものが引っかかる、と思ったからだ。
勝手口の戸が開く。タイチが手にしているのは、いつもと同じ、新聞紙で貼り合わせた封筒である。
アルバイトは、奇しくも昨日が最後の出勤日となっていた。
「これ。今月分の給料」
「あ、うん。ありがとうね、タイチくん」
タイチがわずかに怯む。気味が悪いほど素直に礼を言う、マツオカである。
「まあ、こんな事件に遭遇するなんて滅多に無いしね。ちょっと寝不足になりそうだけど」
「出発、遅らせる気は無いんだな」
「……うん」
少し遅れて、マツオカはうなずく。
「怒るぞ、ナガセ」
「まさか。関係ないっしょ?」
「お前なぁ……」
「仮に怒ってたとしても、ね、オレはもうその時は、海の上なんだからさ」
タイチは眉をむすりとひそめたまま、だが何故か怪訝な顔で首を傾げた。
マツオカは別の意味で捉えようとしたのだ。
「え? だってそうでしょ? 今日はリーダーが魔法教える日だもん。月一回の、ね。夕方に教会に来たとしても、夜まで気づかないでしょ?」
しばらく不思議そうにマツオカを見据えていたタイチだったが、眼元が笑い出した。
それは、面白い見つけものをした、トレジャーハンターの眼なのである。
マツオカは訳が分からず、タイチを呆けた顔で見返す。
直後、タイチは信じられないことを告げたのだ。
「ナガセ、もう知ってるぞ」
「はあ!?」
マツオカ、顎が外れんばかりに驚いた。
「いやだから。お前が旅支度をしてるって。次の船でここを出るかも、って。ナガセが一昨日ぐらいに」
「……はあ?」
何だそれ、何なんだそれ!?
マツオカは、混乱の嵐の只中にぽいと放り出されたのだ。
唖然としたまま回路の途絶えた頭に向けて、タイチが続ける。
「お前、聞いてなかったのか?」
「……」
何だそれ。
表情を読まれたくなくて、マツオカは慌てて裏口を離れた。
数歩、大通りに出る。夜風の冷たさに、ようやく動悸が治まり始める。
絶対にバレないと思っていた。バレる前に、出て行ける。
黙って出て行く、その方が後腐れが無いし、ちょっとカッコイイし。
でも、本当は、全てただの言い訳で……
「何……だぁ」
いざ、状況が変わってみれば、いかに自分が動揺しているかが分かる。
後ろ盾にしていたものが、唐突に無くなった気配。音を伴わない灰色の微風が去った気配に、よく似ていた。
タイチは、笑っているのだろうか。
先を行く背中が、次の言葉を待っていると知りながら、声をかけてはくれないのだ。
「……何だぁ」
肩の上から力が抜けていく。ようやく喉の奥から搾り出された声は、安堵のそれだった。
矛盾だ。
「まさか兄ぃも知ってたり、は……しないよねぇ」
「さぁ、俺は知らないけど、もう知ってんじゃないの? 口の軽い商人がいることだし」
「あ」
はたと、マツオカは今になって気づく。
確かに例の魔法商人・シゲルには、「ナガセには言わないように」と固く口止めはしていたが、ことヤマグチに対しての規制は、マツオカは一言も触れていない。
「ヤマグチに言うな」、なんて一言も聞いとらんでー。
またしても、シゲルが高笑いする姿が目に浮かぶ。
「あー……もう」
完璧だと思っていた旅立ち計画は、とっくに綻び始めていたのだ。
マツオカは、何だか泣きたくなってきた。計画の破綻のせいでなく、自身の情けなさに、である。
「何よ。なんか、オレが一番カッコ悪いじゃんかよ」
「そうだな。カッコ悪いな」
すぱりと切られる。
マツオカには、それが無性に有り難い。
「あいつは出るぞ」
今度こそ、マツオカは振り向く。
酒場前の通りまで出て来て、タイチが、そんなことを口にしながらふわりと笑った。
マツオカは焦る。
ルイーダの酒場と、通りを挟むナガセの家とを結ぶ、測り慣れたこの距離は10m。
間違いない。
彼なら、おそらく“そうする”だろう、と。
「お前はどうする?」
逆に問い掛けられた答えは、今はまだ、保留。