「半年前の、降船客ねぇ……」
アリアハン唯一の船着場。
初老の男が、ぼやきながら棚から取り出した帳簿は、かすかに白く、しなびれた布製のバインダーであった。使い古されたわら半紙が一枚めくられるたびに、乾いた音が立つのが、何とも小気味良い。
「って言っても、五、六人だよ?」
ナガセの前に広げられたのは、ここ三、四年の日付の定期船の乗客名簿だ。
半年に一度の外国との航路、とりわけ定期船にも関わらず、この四年で、1ページ30行ほどに収まってしまう人数しか乗降客がいない。ありがたいやら、哀しいやら、である。
ナガセは上から順番に、名前と、渡航目的とを目に通してみる。
半年前に、このアリアハン港に降りた客は、三組、五人。
帰郷した夫婦、行商人、冒険者……聞き慣れた言葉の羅列が並ぶ。
だが、嘘を記入している場合があることを考えれば、その全てが怪しく思えてキリが無い。
迷いながらも、ナガセが己の勘(ただいま絶好調?)で注目したのは、ページの最後、名簿の末尾の一行。
そこに記されてあったのは、二人組の冒険者の名前だ。
入国目的には、“遺跡調査と探索”と書かれてある。
「あー、あの、この人たちは? “遺跡調査”って書いてあるけど」
「ああ……二人組の男ね。覚えてるよ。何でも、ポルトガの辺りから遺跡の調査にやってきたって。ヒマな人たちだよなぁ」
冒険者なんて珍しいからと、船員は笑う。
「遺跡……なんてありましたっけ」
「塔のことだよ。“塔”」
船員が指差した、木造平屋の窓の外。
つられて顔が向かうと、湾岸の向こう、少し離れた小島にそびえるシルエットは、ナガセも何度も見ている、
「“ナジミの塔”?」
ナジミの塔。
アリアハン大陸で最も高く、知られる限り最も古い、建築物である。
「おう、収穫あったか?」
程よく賑わう、赤レンガ畳のシドニー通り沿い。
アリアハンにただひとつの宿泊施設・うみねこ亭の看板前で、マツオカが待っていた。
ちらちらと動く人波を分けて、頭一つ高いナガセが小走りで駆けて来る。
「うん。マボはどうだった?」
「ふふん。ま、ぼちぼちね」
無難な笑みは余裕の現れなのだろう。
ナガセとマツオカは通りの端を歩き出す。
「半年前に降りたお客さんの中に、二人組で遺跡調査って人たちがいたんだけど」
「あー、冒険者の二人連れだろ。そいつらなら、宿も借りてたぜ」
うみねこ亭の女主人からいくつかの情報を集めていたマツオカは、ナガセの話も早々に頷く。
およそ半年前、長期滞在用の部屋を借りた冒険者風の二人組がいるということ。その二人組は、ここ一週間、宿に戻っていないということだった。
「やっぱ宿屋を調べたのは正解だったな」
「アリアハンには一件しか無いもんね」
これには、二人とも苦笑いするしかない。
外からの旅人が少なければ、宿泊施設も少ない道理。
選択肢の無いロケーションが、同時に捜索範囲網を狭めていた。
「……一体、誰なんだろ」
ぽつりと、通りを小幅に歩くナガセが口にする。
例の“二人組の冒険者”のことだ。
「さぁね」
「だってポルトガからって……すげェ遠いのに。わざわざアリアハンに来るなんてさぁ、珍しくない?」
「ってゆか、もの好きって言うか」
深い意味で無しに、マツオカが肩をすくめる。
“ポルトガ”は、定期船でアリアハン港から最も近いバハラタ港よりも、さらに、ずっと西にある国だ。片道切符で来るだけでも三ヶ月はかかるだろう行程。珍しもの見たさに来る冒険者以外に、他に何があるのだろうか。
「ま、何にしても。直接、聞きに行きゃーわかるっしょ」
「うん。盗んだかどうかも、ね」
真剣につぶやくナガセの、その表情がわずかに揺れる。
おそらく現時点で、ナガセとマツオカが当りを見出す犯人像は、自称“遺跡調査団”である冒険者二人組、彼らしかいないだろう。
ただ、もしヤマグチが目星を付けた通りに、タイチが城の財宝を盗んだ真犯人だったとしたら、今の自分たちの行動は、無意味になってしまう。
そんなはずは無い、と思ってはいるものの、真実がどちらに転ぶかは今のところ分からないのだ。
だが、率直、ナガセがそんな疑問をぶつける前に、マツオカは話題を差し上げてしまった。
「な? で、塔にいるんだろ、その二人組とやら」
そう聞かれてしまったので、ナガセもそそくさと話に乗る。
「問題はナジミの塔に、どうやって行くか、だけど……」
ナジミの塔、アリアハンの沿岸にぽかりと浮かぶ無人島に、有史以来建つ石塔である。
近海の潮の流れは複雑で、断崖絶壁の孤島にあり、船も人も容易には近づけない。とは言え、塔に行く手段が無いわけではない。
確かに、無いわけではないのだが。
「んー……通してくれないな、きっと」
「絶対、通してもらえないね。だって城ん中だぜ? 兄ぃの前、素通りできる?」
既に半分涙目のナガセが、訴えるように、首を横にぶんぶんと振っている。
マツオカも溜め息一つのあと、現実逃避しかけていたりする。
ナジミの塔へは、アリアハン城内の地下道を通って行くのだ。
つまり、ヤマグチ騎士団長の眼が隅々届く城内を、ヤマグチ騎士団長の前を、堂々と歩けるかと。
「できねぇ」
「できねーよな」
行動力も二倍なら、溜め息もどん詰まりも二倍。嬉しくない。
「ナジミの塔に行くのって城の地下道、通るしかないわけだから……あぁ、もう。早速、八方塞かよ」
「地下道……しか、ねーのかなぁ」
ナガセは諦め半分につぶやく。
ナジミの塔の内部には、モンスターも住み着いているし、民間人が好んで行くような場所ではない。塔と城を結ぶ地下道の存在にしても、アリアハン国の一常識として頭にあるだけで、他の道なんて考えようもなかった。
だが、マツオカはそのつぶやきを耳に留めた。
「他の道? 他のか……待てよ。あるかも。ほら、昔は灯台だったって言うし」
「でも船は出てないんでしょ? ……グっさんなら何か知ってそうだけど」
まさか、避けようとしている当人に聞くわけにはいかない。
他に、誰か、抜け道知ってそうな人いないかなぁ、と、ナガセがぼやくと、マツオカが意外そうな目つきを寄越した。
「いるじゃん。余計な知識持ってて、ヒマそーな人」
「……」
二人はシドニー通りを、南東、町外れに向かって歩く。
閑散とした店内に遠慮もなしに上がりこむ、この二人組。
カウンターには見当たらない。
が、裏部屋にいるだろうことは見当つく。
マツオカはどかどか音を立てて(あるいはわざと?)進んで、奥ののれんを無造作に払い上げる。
「リーダー! ……シゲルくんってば!」
その裏部屋で、予想通り。
黒ブチメガネに目を細め、リーダー、ことシゲルがきょとんとした顔を上げた。
木製の揺り椅子にもたれかかって、どうも昼寝、ならぬ朝の二度寝の最中だったらしい。
「……はあ。マツオカ、にナガセ? どないしたんやあ?」
「ちょっと。居留守使ったでしょ。ってゆか、寝てたでしょ、あなた。店、放っぽり出して」
「いやいや……使てへんよ」
後者に対しては反論しない。
「ドロボウ入っちゃいますよ、リーダー」
ナガセの心配そうな声に、シゲルがやわらかく微笑んで返す。
やっとこさ揺り椅子から身を起こすと、読みかけの古本がバサバサと膝から落ちていくが、たいした問題でも無いようで、のんびりとした動作でそれを拾い上げて、
「そんな人、ここにはおらんやろ」
と、のほんと流しておく。
マツオカあたりから小言が飛びそうだと思ったが、予想に反して、しばらく応答がない。
「……それが、いるのよね」
溜め息交じりのマツオカの、不思議に低すぎるテンションだった。
シゲルが上目に眼鏡をかけ直した。
隣を見るとナガセも、何かを言いたそうに交互に顔色をうかがっている。
「どないした?」
「うん」
二人ともが深刻げに頷いた。
縦に細長いリビング兼廊下の、申し訳程度のソファーに向かいこんで座る。
さて一呼吸。
「ヤマグチくん、来た?」
木製のタンスが幅を狭めて、やけに近づいた距離でのナガセの第一声が、それである。
シゲルは一瞬、質問の意図と答え方に躊躇したか、間があったものの、首を横に振る。
「……いや」
「そ。なら良い」
素早く割り込んだのは、マツオカ。時間か、話題への必要以上の介入を気にしているかだろう。
タイミングを計って、あのねえ、とさりげなく風味にナガセが切り出す。
「ねえ。ナジミの塔って、どうやって行ったら良いかわかります?」
「はあ? あの……城の地下道から行けるん」
「うん。まぁ、そーなんスけど。別のルートとか無ぇかなーって」
わざわざ、なぜ別ルートなのか。ナガセは理由までは口に出さない。
「城通らなくても行けるルート、みたいなさ。あ、ほら、たまには別の道をね」
不信感に慌てたのだろう、マツオカが重ねた言葉も、微妙に核心を掠めているような気がした。
シゲルは特に言い足さずに、次の言葉を待つ。両者、辛抱はしたものの、沈黙は数秒も意外と長い。
「……知らない?」
ぽつりと、ナガセに答えを促され、シゲルは曖昧な表情で頭を振った。
「いや、な。そういうんなら、僕よりか、グっさんに聞いたほうが……」
「あーだめ! グっさんは、ダメ!」
「……」
成る程。つまり、“城”を避けるのではなくて。
「つまりやな。ヤマグチに解らんように、塔に行きたい、と」
「……そうっ!」
「……」
やっぱりバレた、のが相当悔しかったらしい。
嬉々としたナガセに対して、渋面のマツオカは次の文句に困っている。
が、バレたものは仕方ない。
「……で、どうしたらいいの」
「んー、そやなぁ」
今度はシゲルが溜め息を吐こうかとする。
いくらかは冷静なマツオカがこう言うのだから、ナガセもしかり、その上を行くはず。
シゲルの言葉では、二人の行動を止められはしないだろう。
「まぁ言ってもええけど……いや、教えるけど、理由だけ聞かせてな。何でグっさんに内緒にしてまで、ナジミの塔に行く必要があんのや?」
ナガセがマツオカを、マツオカがナガセを、コンマ二秒のすれ違いで窺い合った。
当然、来るだろう質問だ。口裏でも合わせたのだろうか。
「……絶対、言わないでよ」
「そら保証はできんなぁ」
「言うな、よ」
二重に言われては仕方なしに、渋々と(信頼できるか否かは置いたとしても)、シゲルはとりあえず了承の意を伝えた。
「城に泥棒が入ってね、で、今、ナジミの塔に隠れてるみたいなんだけど……」
「うん、で?」
「……“で”?」
「泥棒捕まえるのは、騎士団の仕事やな?」
にっこりと切り返すと、この間に飛び交う静かな火花。
ナガセの目にも見えたらしく、眉間にシワの寄ったまま、ソファーを一人分ずれ逃げる。
マツオカは動じない。
「……騎士団が動かないから、こーしてオレらが動いてるんでしょ」
「ほー。そうやったんか」
「……」
傍目に解るほどに、慎重に言葉を探しているのが分かる。
どこまでが真実で、どこまで聞き出せるのか。シゲルの考えている粗方の予想も、あながち外れてはいないのだろうが。
「……」
「……」
無言の攻めぎあい。これは精神的にきつい。(特にソファーの端っこの一人に。)
さらに30秒が経過しようとしていた矢先、
「あーもう、止めようッ!」
ずばんと割って入ったのは、ついにしびれを切らした、ナガセだった。
思いきり立ち上がったせいでソファーの足が、一本ガタついた。
「こんな探り合いみたいなの……面倒くさい! リーダーに隠し事はできないよ、ね。マボ」
「……お前なぁ」
「あのねぇ。ちょっと、聞いて下さいよリーダー!」
途端に世間話に切り替わるナガセの口調に、オレの苦労は何だったんだといった風体で、マツオカはしおしおと肩を引っ込めた。
「グっさんがね、タイチくんを泥棒と間違えて、連れてっちゃって」
「……ヤマグチが、か?」
「そう! でもオレらが調べたとこによるとー、犯人っぽい人たちが、搭に隠れてるみたいでさぁ」
「……だーから」
さりげなく、あさっての方向を見つめながら、マツオカが話に加わる。
「オレたちが搭に行こうとしてんの。城のヘンテコなお宝盗んだ、奇特な犯人、捕まえにね」
「タイチくんを助ける方が先でしょー」
そのために城に不法侵入して、脱獄の手助けして、まさか騎士団から追われる身に……なんてまっぴらゴメンだ(しかも一応とはいえ、マツオカは聖職者なのだ)、と思ったが、マツオカはどうにか頑張って耐えている。
「でも、とりあえず……だから協力して、リーダー」
ナガセとマツオカが話す分にも、また、おそらくヤマグチにも、双方に理由があったのだろうことは、解る。
しばしシゲルは考えを巡らせた後、顔を上げた。
「“岬の洞窟”って知っとるか?」
「アリア岬の……道沿いにあるやつ、でしょ? グっさんから聞いてるよ」
うなずくのも早々に、続ける。
「元々あの塔はな、有事んときに……城の人間が避難するために造られてん」
「ゆうじ……」
「んー、言うたら大変なときや。地震、雷、火事……」
「親父はいらないから」
ピシャリとつかみを先行されて、シゲルの喉に何かが詰まった。
あー、と色々と空中に浮かぶ何かを探してから、マツオカの冷たい視線に咳払いをひとつ。
「……まあ、戦争……とかやな」
「戦争」
「せやから、城とナジミの塔、ナジミの塔から外に抜ける地下道が繋がっとる」
どうしてそんなことを知ってるのか。
確かに、シゲルなら知っていてもおかしくないと、いくらかは思っていたはずだが、正直、ナガセは不思議だ。
生まれも育ちもアリアハンの、ナガセが初めて聞くのだから。
「ちょい待ち。内部の地図があったはずや。えー……このへんか? お? こっちやったかなー……」
そう言うと、シゲルが手当たり次第に棚の品を掴んでは、落とし始めた。
ソファーに並ぶ二人の前には、どざどざと、得体の知れない骨董品が積もっていく。
怖い顔つきのお面、ユニークなデザインの盾、奇妙な形のインテリア雑貨……面白そうなものばかりである。
手に取ろうとしたナガセを、マツオカが引きつった笑みで止めた。(僧侶マツオカの思うところいわく、呪われていそうだと。)
「おー! あったわ」
シゲルの歓声が上がったころには、二人の前には小高い壁が出来上がってしまっていた。
「えらい古いけど、無いよりは、ずーっとええやろ」
「うん。ありがとう、リーダー」
骨董の丘を遠慮がちに崩して、伸ばした手で地図を受け取る。
黄ばんだ羊皮紙に、既に掠れかかったインクで書かれた簡素な地図であった。
今にも朽ちそうな紙切れ一枚を、ナガセは丁寧に懐にしまった。
「気ぃつけて行きや」
「うん」
「あー……薬草も、毒消し草も持って行きや」
「うん」
「一応、武器も用意しときや。あと聖水と……ああ、そや、キメラのつばさ。一個やるわ。危ない思うた時は、すぐに戻るんやで」
「うん」
子供の遠足に似た二人のやりとりが終わるのを、マツオカは半ば呆れ顔で待つ。
「ありがとう、リーダー。行ってきます」
ナガセの素直さは無防備で、幼なじみに言わせれば、不安定すぎた。
その心の奥に、誰よりも強い意志を秘めているはずなのに、そこだけは鍵をかけている。
昔からそうだった、少なくとも、マツオカが出会ったときから、そうだった。
餞別にと渡されたキメラのつばさを、ナガセは面白そうに光に透かしている。
それを大事そうに右ポケットに仕舞って、早速、店の表へと駆け出した。
別に拗ねているわけではないが、マツオカは、店の裏部屋を出損なった。
「それから、マツオカ」
シゲルが不意にかけた言葉に、マツオカは動揺も出来なかった。
「“それ”は売らんとき」
シゲルは“それ”に目も向けずに、マツオカの方だけを見て話す。
きょとんと固まったままのマツオカの視線もまた、一瞬も振れない。
「……リーダー?」
「お金に換えられんよ。ヒトの思いは」
上辺だけ唇をとがらせて見せたマツオカの目が、その言葉に安堵している。
当たり前のことだった。そんな気は無いし、そんなこと、ずっと前から分かっていたのだ。けれど今は、諸々の返事よりも先にある、決まり文句を言わなければと、ブレスレットの鎖を滑る指輪を、掲げて見せる。
「これは、売れないの」
「……そうやったな」
珍しく、シゲルはニヒルな笑み(自称)を返してやった。
照れたように背ける目線。きっと、何ちょっとカッコイイんじゃないの、なんて思っているはずの顔で、(これからも、マツオカはそんなことは絶対に言わないだろうが)口先に複数の文句を閉まったままで、店を飛び出していく。
「マボ、早くっ」
玄関口で急かすナガセの声は、今の危機感にそぐわず、浮き足立つようだ。
放っておけば去ってしまう、ひとつひとつの時間の欠片を、かき集めようと必死になっている。
彼は知っているのだろうか、マツオカは話したのだろうか。
“マツオカが、次の定期船でアリアハンを去るということ”を。
シゲルが見たナガセは、時間に追われている。
「……嵐の後、かぁ?」
店内からは宣言どおり、嵐が去っていた。
再び、静けさが戻る。
いつもより忙しい呼び鈴を、暇そうに眺めても、困ったことに何もすることが無い。
特に、これからの予定も無い。客もたぶん来ないだろう。
一店舗の主人としては明らかに失格である。
ふと、顔を上げて椅子から立つと、目に留まる、しおりの抜け落ちた読みかけの文庫。今ごろ狭い一室で退屈に飽きかねているだろう、友人が脳裏に浮かんだ。
「ああ……そう、トランプ」
どこやったんかなぁ。
と、思い出したようにシゲルは、棚を漁りだした。
アリアハン唯一の船着場。
初老の男が、ぼやきながら棚から取り出した帳簿は、かすかに白く、しなびれた布製のバインダーであった。使い古されたわら半紙が一枚めくられるたびに、乾いた音が立つのが、何とも小気味良い。
「って言っても、五、六人だよ?」
ナガセの前に広げられたのは、ここ三、四年の日付の定期船の乗客名簿だ。
半年に一度の外国との航路、とりわけ定期船にも関わらず、この四年で、1ページ30行ほどに収まってしまう人数しか乗降客がいない。ありがたいやら、哀しいやら、である。
ナガセは上から順番に、名前と、渡航目的とを目に通してみる。
半年前に、このアリアハン港に降りた客は、三組、五人。
帰郷した夫婦、行商人、冒険者……聞き慣れた言葉の羅列が並ぶ。
だが、嘘を記入している場合があることを考えれば、その全てが怪しく思えてキリが無い。
迷いながらも、ナガセが己の勘(ただいま絶好調?)で注目したのは、ページの最後、名簿の末尾の一行。
そこに記されてあったのは、二人組の冒険者の名前だ。
入国目的には、“遺跡調査と探索”と書かれてある。
「あー、あの、この人たちは? “遺跡調査”って書いてあるけど」
「ああ……二人組の男ね。覚えてるよ。何でも、ポルトガの辺りから遺跡の調査にやってきたって。ヒマな人たちだよなぁ」
冒険者なんて珍しいからと、船員は笑う。
「遺跡……なんてありましたっけ」
「塔のことだよ。“塔”」
船員が指差した、木造平屋の窓の外。
つられて顔が向かうと、湾岸の向こう、少し離れた小島にそびえるシルエットは、ナガセも何度も見ている、
「“ナジミの塔”?」
ナジミの塔。
アリアハン大陸で最も高く、知られる限り最も古い、建築物である。
「おう、収穫あったか?」
程よく賑わう、赤レンガ畳のシドニー通り沿い。
アリアハンにただひとつの宿泊施設・うみねこ亭の看板前で、マツオカが待っていた。
ちらちらと動く人波を分けて、頭一つ高いナガセが小走りで駆けて来る。
「うん。マボはどうだった?」
「ふふん。ま、ぼちぼちね」
無難な笑みは余裕の現れなのだろう。
ナガセとマツオカは通りの端を歩き出す。
「半年前に降りたお客さんの中に、二人組で遺跡調査って人たちがいたんだけど」
「あー、冒険者の二人連れだろ。そいつらなら、宿も借りてたぜ」
うみねこ亭の女主人からいくつかの情報を集めていたマツオカは、ナガセの話も早々に頷く。
およそ半年前、長期滞在用の部屋を借りた冒険者風の二人組がいるということ。その二人組は、ここ一週間、宿に戻っていないということだった。
「やっぱ宿屋を調べたのは正解だったな」
「アリアハンには一件しか無いもんね」
これには、二人とも苦笑いするしかない。
外からの旅人が少なければ、宿泊施設も少ない道理。
選択肢の無いロケーションが、同時に捜索範囲網を狭めていた。
「……一体、誰なんだろ」
ぽつりと、通りを小幅に歩くナガセが口にする。
例の“二人組の冒険者”のことだ。
「さぁね」
「だってポルトガからって……すげェ遠いのに。わざわざアリアハンに来るなんてさぁ、珍しくない?」
「ってゆか、もの好きって言うか」
深い意味で無しに、マツオカが肩をすくめる。
“ポルトガ”は、定期船でアリアハン港から最も近いバハラタ港よりも、さらに、ずっと西にある国だ。片道切符で来るだけでも三ヶ月はかかるだろう行程。珍しもの見たさに来る冒険者以外に、他に何があるのだろうか。
「ま、何にしても。直接、聞きに行きゃーわかるっしょ」
「うん。盗んだかどうかも、ね」
真剣につぶやくナガセの、その表情がわずかに揺れる。
おそらく現時点で、ナガセとマツオカが当りを見出す犯人像は、自称“遺跡調査団”である冒険者二人組、彼らしかいないだろう。
ただ、もしヤマグチが目星を付けた通りに、タイチが城の財宝を盗んだ真犯人だったとしたら、今の自分たちの行動は、無意味になってしまう。
そんなはずは無い、と思ってはいるものの、真実がどちらに転ぶかは今のところ分からないのだ。
だが、率直、ナガセがそんな疑問をぶつける前に、マツオカは話題を差し上げてしまった。
「な? で、塔にいるんだろ、その二人組とやら」
そう聞かれてしまったので、ナガセもそそくさと話に乗る。
「問題はナジミの塔に、どうやって行くか、だけど……」
ナジミの塔、アリアハンの沿岸にぽかりと浮かぶ無人島に、有史以来建つ石塔である。
近海の潮の流れは複雑で、断崖絶壁の孤島にあり、船も人も容易には近づけない。とは言え、塔に行く手段が無いわけではない。
確かに、無いわけではないのだが。
「んー……通してくれないな、きっと」
「絶対、通してもらえないね。だって城ん中だぜ? 兄ぃの前、素通りできる?」
既に半分涙目のナガセが、訴えるように、首を横にぶんぶんと振っている。
マツオカも溜め息一つのあと、現実逃避しかけていたりする。
ナジミの塔へは、アリアハン城内の地下道を通って行くのだ。
つまり、ヤマグチ騎士団長の眼が隅々届く城内を、ヤマグチ騎士団長の前を、堂々と歩けるかと。
「できねぇ」
「できねーよな」
行動力も二倍なら、溜め息もどん詰まりも二倍。嬉しくない。
「ナジミの塔に行くのって城の地下道、通るしかないわけだから……あぁ、もう。早速、八方塞かよ」
「地下道……しか、ねーのかなぁ」
ナガセは諦め半分につぶやく。
ナジミの塔の内部には、モンスターも住み着いているし、民間人が好んで行くような場所ではない。塔と城を結ぶ地下道の存在にしても、アリアハン国の一常識として頭にあるだけで、他の道なんて考えようもなかった。
だが、マツオカはそのつぶやきを耳に留めた。
「他の道? 他のか……待てよ。あるかも。ほら、昔は灯台だったって言うし」
「でも船は出てないんでしょ? ……グっさんなら何か知ってそうだけど」
まさか、避けようとしている当人に聞くわけにはいかない。
他に、誰か、抜け道知ってそうな人いないかなぁ、と、ナガセがぼやくと、マツオカが意外そうな目つきを寄越した。
「いるじゃん。余計な知識持ってて、ヒマそーな人」
「……」
二人はシドニー通りを、南東、町外れに向かって歩く。
Level 01+a. オースト雑貨店の2人と1人
「リーダー、いるー?」閑散とした店内に遠慮もなしに上がりこむ、この二人組。
カウンターには見当たらない。
が、裏部屋にいるだろうことは見当つく。
マツオカはどかどか音を立てて(あるいはわざと?)進んで、奥ののれんを無造作に払い上げる。
「リーダー! ……シゲルくんってば!」
その裏部屋で、予想通り。
黒ブチメガネに目を細め、リーダー、ことシゲルがきょとんとした顔を上げた。
木製の揺り椅子にもたれかかって、どうも昼寝、ならぬ朝の二度寝の最中だったらしい。
「……はあ。マツオカ、にナガセ? どないしたんやあ?」
「ちょっと。居留守使ったでしょ。ってゆか、寝てたでしょ、あなた。店、放っぽり出して」
「いやいや……使てへんよ」
後者に対しては反論しない。
「ドロボウ入っちゃいますよ、リーダー」
ナガセの心配そうな声に、シゲルがやわらかく微笑んで返す。
やっとこさ揺り椅子から身を起こすと、読みかけの古本がバサバサと膝から落ちていくが、たいした問題でも無いようで、のんびりとした動作でそれを拾い上げて、
「そんな人、ここにはおらんやろ」
と、のほんと流しておく。
マツオカあたりから小言が飛びそうだと思ったが、予想に反して、しばらく応答がない。
「……それが、いるのよね」
溜め息交じりのマツオカの、不思議に低すぎるテンションだった。
シゲルが上目に眼鏡をかけ直した。
隣を見るとナガセも、何かを言いたそうに交互に顔色をうかがっている。
「どないした?」
「うん」
二人ともが深刻げに頷いた。
縦に細長いリビング兼廊下の、申し訳程度のソファーに向かいこんで座る。
さて一呼吸。
「ヤマグチくん、来た?」
木製のタンスが幅を狭めて、やけに近づいた距離でのナガセの第一声が、それである。
シゲルは一瞬、質問の意図と答え方に躊躇したか、間があったものの、首を横に振る。
「……いや」
「そ。なら良い」
素早く割り込んだのは、マツオカ。時間か、話題への必要以上の介入を気にしているかだろう。
タイミングを計って、あのねえ、とさりげなく風味にナガセが切り出す。
「ねえ。ナジミの塔って、どうやって行ったら良いかわかります?」
「はあ? あの……城の地下道から行けるん」
「うん。まぁ、そーなんスけど。別のルートとか無ぇかなーって」
わざわざ、なぜ別ルートなのか。ナガセは理由までは口に出さない。
「城通らなくても行けるルート、みたいなさ。あ、ほら、たまには別の道をね」
不信感に慌てたのだろう、マツオカが重ねた言葉も、微妙に核心を掠めているような気がした。
シゲルは特に言い足さずに、次の言葉を待つ。両者、辛抱はしたものの、沈黙は数秒も意外と長い。
「……知らない?」
ぽつりと、ナガセに答えを促され、シゲルは曖昧な表情で頭を振った。
「いや、な。そういうんなら、僕よりか、グっさんに聞いたほうが……」
「あーだめ! グっさんは、ダメ!」
「……」
成る程。つまり、“城”を避けるのではなくて。
「つまりやな。ヤマグチに解らんように、塔に行きたい、と」
「……そうっ!」
「……」
やっぱりバレた、のが相当悔しかったらしい。
嬉々としたナガセに対して、渋面のマツオカは次の文句に困っている。
が、バレたものは仕方ない。
「……で、どうしたらいいの」
「んー、そやなぁ」
今度はシゲルが溜め息を吐こうかとする。
いくらかは冷静なマツオカがこう言うのだから、ナガセもしかり、その上を行くはず。
シゲルの言葉では、二人の行動を止められはしないだろう。
「まぁ言ってもええけど……いや、教えるけど、理由だけ聞かせてな。何でグっさんに内緒にしてまで、ナジミの塔に行く必要があんのや?」
ナガセがマツオカを、マツオカがナガセを、コンマ二秒のすれ違いで窺い合った。
当然、来るだろう質問だ。口裏でも合わせたのだろうか。
「……絶対、言わないでよ」
「そら保証はできんなぁ」
「言うな、よ」
二重に言われては仕方なしに、渋々と(信頼できるか否かは置いたとしても)、シゲルはとりあえず了承の意を伝えた。
「城に泥棒が入ってね、で、今、ナジミの塔に隠れてるみたいなんだけど……」
「うん、で?」
「……“で”?」
「泥棒捕まえるのは、騎士団の仕事やな?」
にっこりと切り返すと、この間に飛び交う静かな火花。
ナガセの目にも見えたらしく、眉間にシワの寄ったまま、ソファーを一人分ずれ逃げる。
マツオカは動じない。
「……騎士団が動かないから、こーしてオレらが動いてるんでしょ」
「ほー。そうやったんか」
「……」
傍目に解るほどに、慎重に言葉を探しているのが分かる。
どこまでが真実で、どこまで聞き出せるのか。シゲルの考えている粗方の予想も、あながち外れてはいないのだろうが。
「……」
「……」
無言の攻めぎあい。これは精神的にきつい。(特にソファーの端っこの一人に。)
さらに30秒が経過しようとしていた矢先、
「あーもう、止めようッ!」
ずばんと割って入ったのは、ついにしびれを切らした、ナガセだった。
思いきり立ち上がったせいでソファーの足が、一本ガタついた。
「こんな探り合いみたいなの……面倒くさい! リーダーに隠し事はできないよ、ね。マボ」
「……お前なぁ」
「あのねぇ。ちょっと、聞いて下さいよリーダー!」
途端に世間話に切り替わるナガセの口調に、オレの苦労は何だったんだといった風体で、マツオカはしおしおと肩を引っ込めた。
「グっさんがね、タイチくんを泥棒と間違えて、連れてっちゃって」
「……ヤマグチが、か?」
「そう! でもオレらが調べたとこによるとー、犯人っぽい人たちが、搭に隠れてるみたいでさぁ」
「……だーから」
さりげなく、あさっての方向を見つめながら、マツオカが話に加わる。
「オレたちが搭に行こうとしてんの。城のヘンテコなお宝盗んだ、奇特な犯人、捕まえにね」
「タイチくんを助ける方が先でしょー」
そのために城に不法侵入して、脱獄の手助けして、まさか騎士団から追われる身に……なんてまっぴらゴメンだ(しかも一応とはいえ、マツオカは聖職者なのだ)、と思ったが、マツオカはどうにか頑張って耐えている。
「でも、とりあえず……だから協力して、リーダー」
ナガセとマツオカが話す分にも、また、おそらくヤマグチにも、双方に理由があったのだろうことは、解る。
しばしシゲルは考えを巡らせた後、顔を上げた。
「“岬の洞窟”って知っとるか?」
「アリア岬の……道沿いにあるやつ、でしょ? グっさんから聞いてるよ」
うなずくのも早々に、続ける。
「元々あの塔はな、有事んときに……城の人間が避難するために造られてん」
「ゆうじ……」
「んー、言うたら大変なときや。地震、雷、火事……」
「親父はいらないから」
ピシャリとつかみを先行されて、シゲルの喉に何かが詰まった。
あー、と色々と空中に浮かぶ何かを探してから、マツオカの冷たい視線に咳払いをひとつ。
「……まあ、戦争……とかやな」
「戦争」
「せやから、城とナジミの塔、ナジミの塔から外に抜ける地下道が繋がっとる」
どうしてそんなことを知ってるのか。
確かに、シゲルなら知っていてもおかしくないと、いくらかは思っていたはずだが、正直、ナガセは不思議だ。
生まれも育ちもアリアハンの、ナガセが初めて聞くのだから。
「ちょい待ち。内部の地図があったはずや。えー……このへんか? お? こっちやったかなー……」
そう言うと、シゲルが手当たり次第に棚の品を掴んでは、落とし始めた。
ソファーに並ぶ二人の前には、どざどざと、得体の知れない骨董品が積もっていく。
怖い顔つきのお面、ユニークなデザインの盾、奇妙な形のインテリア雑貨……面白そうなものばかりである。
手に取ろうとしたナガセを、マツオカが引きつった笑みで止めた。(僧侶マツオカの思うところいわく、呪われていそうだと。)
「おー! あったわ」
シゲルの歓声が上がったころには、二人の前には小高い壁が出来上がってしまっていた。
「えらい古いけど、無いよりは、ずーっとええやろ」
「うん。ありがとう、リーダー」
骨董の丘を遠慮がちに崩して、伸ばした手で地図を受け取る。
黄ばんだ羊皮紙に、既に掠れかかったインクで書かれた簡素な地図であった。
今にも朽ちそうな紙切れ一枚を、ナガセは丁寧に懐にしまった。
「気ぃつけて行きや」
「うん」
「あー……薬草も、毒消し草も持って行きや」
「うん」
「一応、武器も用意しときや。あと聖水と……ああ、そや、キメラのつばさ。一個やるわ。危ない思うた時は、すぐに戻るんやで」
「うん」
子供の遠足に似た二人のやりとりが終わるのを、マツオカは半ば呆れ顔で待つ。
「ありがとう、リーダー。行ってきます」
ナガセの素直さは無防備で、幼なじみに言わせれば、不安定すぎた。
その心の奥に、誰よりも強い意志を秘めているはずなのに、そこだけは鍵をかけている。
昔からそうだった、少なくとも、マツオカが出会ったときから、そうだった。
餞別にと渡されたキメラのつばさを、ナガセは面白そうに光に透かしている。
それを大事そうに右ポケットに仕舞って、早速、店の表へと駆け出した。
別に拗ねているわけではないが、マツオカは、店の裏部屋を出損なった。
「それから、マツオカ」
シゲルが不意にかけた言葉に、マツオカは動揺も出来なかった。
「“それ”は売らんとき」
シゲルは“それ”に目も向けずに、マツオカの方だけを見て話す。
きょとんと固まったままのマツオカの視線もまた、一瞬も振れない。
「……リーダー?」
「お金に換えられんよ。ヒトの思いは」
上辺だけ唇をとがらせて見せたマツオカの目が、その言葉に安堵している。
当たり前のことだった。そんな気は無いし、そんなこと、ずっと前から分かっていたのだ。けれど今は、諸々の返事よりも先にある、決まり文句を言わなければと、ブレスレットの鎖を滑る指輪を、掲げて見せる。
「これは、売れないの」
「……そうやったな」
珍しく、シゲルはニヒルな笑み(自称)を返してやった。
照れたように背ける目線。きっと、何ちょっとカッコイイんじゃないの、なんて思っているはずの顔で、(これからも、マツオカはそんなことは絶対に言わないだろうが)口先に複数の文句を閉まったままで、店を飛び出していく。
「マボ、早くっ」
玄関口で急かすナガセの声は、今の危機感にそぐわず、浮き足立つようだ。
放っておけば去ってしまう、ひとつひとつの時間の欠片を、かき集めようと必死になっている。
彼は知っているのだろうか、マツオカは話したのだろうか。
“マツオカが、次の定期船でアリアハンを去るということ”を。
シゲルが見たナガセは、時間に追われている。
「……嵐の後、かぁ?」
店内からは宣言どおり、嵐が去っていた。
再び、静けさが戻る。
いつもより忙しい呼び鈴を、暇そうに眺めても、困ったことに何もすることが無い。
特に、これからの予定も無い。客もたぶん来ないだろう。
一店舗の主人としては明らかに失格である。
ふと、顔を上げて椅子から立つと、目に留まる、しおりの抜け落ちた読みかけの文庫。今ごろ狭い一室で退屈に飽きかねているだろう、友人が脳裏に浮かんだ。
「ああ……そう、トランプ」
どこやったんかなぁ。
と、思い出したようにシゲルは、棚を漁りだした。
キメラのつばさ : 特定の場所を念じて空に投げると、一瞬にしてその場所に移動できる魔法道具。