OPENING

「ねぇ、やっぱ返しに行こう」

 窓から眼下に広がる、夕焼け色の海。
 日が傾いて、まだ数時間と経っていない。
 ついに、そう切り出された。時間の問題だったことは分かっていた。
 気持ちがぐらつくのが怖くて、わざと厳しい口調で言い返してやる。

「……バカ。何で盗んだものを返しに行かなきゃなんねーんだよ」
「だって……」

 言い分はたくさんあるだろう。
 多すぎて、整理整頓している間に、言葉が詰まってしまったのだ。
 しばらくの間を置いて、彼はひとつずつ、反論しだす。

「聞いたでしょ? ここのモンスターが弱いのは、オーブの力なんだよ」
「……ウワサだろ、それ」
「でも、この国は平和だし、みんな幸せに暮らしてる。オレら、邪魔してんじゃねーの?」
「……」
「それに、たとえ六個集めても……上手くいくかは、誰も知らないんだよ?」
「ケン」

 どっち付かずの問答を、無理やりに打ち切ったのは、この心もまた揺らいでいたからにちがいない。

「お前、帰りたくないのかよ」
「……それは」

 そうして、黙りこくってしまった相手と睨み合う。
 彼は優しすぎる声だから、口では喧嘩腰になれないのを知っている自分は、卑怯だ。

「帰りたいよ、帰りたい」

 ぽつりと、泣きそうな語尾に追随する「出来るものなら」という聞こえないセリフ。
 それを声に出さなかった彼に、少し安心する。
 やっと見つけた蜘蛛の糸だ、簡単に手放せるはずが無い。

「帰るんだよ、オレたちは」
「わかってるよ」

 返事は早かった。機嫌が悪いのは、たぶん誰のせいでもなく、自身の優柔不断さに。
 そして、彼のやさしさに。

「……わかってるよ」
02. ナジミの塔の3人と2人-(1)
「うわ、マボ! 毒色平べったいスライム!」
「“バブルスライム”! あんた、いーかげんモンスターの名前覚えて……だあ!」

 半ば条件反射のツッコミに、マツオカ、うっかり大きく振りかぶりすぎたのだ。
 体当たりしてきたオオガラスを眼前に、かろうじて避けたばかり。
 ナガセはナガセで、例の毒色平べったいスライムと死闘(?)を繰り広げていた。

 平均レベル6パーティー(約一名の功績により底上げ)は、石造りのフロアを騒々しく駆けまわっていた。
 円形にカーブを描く壁を、ぽかりとくり貫いたような窓から洩れる、紺色の帯。
 一体、何時間前に日が落ちたのだろうか。
 ランプの灯りが繋ぐ室内からは、すでに揚がっているだろう、月の高さが見えてこない。

 見た目に楽しそうな二人の後ろで、奮闘する戦士が、人知れず溜め息を吐いている。

「ハイキングじゃねーんだぞ、お前ら」

 そう釘を刺しておき、さらにマツオカを背にかばう余裕。
 しかし、見事な剣さばきで、ヤマグチは二体の一角ウサギを両断していた。
 実に、戦い慣れている。ナガセは目を瞬かせた。
 あれほどの剣技を身につけようとなると、さすがに二年では、無理なのかもしれない。

「余所見するな」
「はいっ、ごめんなさいッ」

 じっくり見ていたら、怒られた。
 返事と同時に振り返って、ナガセは練習用に借りた銅の剣を構える。
 飛び込んできたバブルスライムの動きを見極めて、その攻撃の直前。寸分のうちに、斬り込む。

「……っと、わわッ」

 加減の出来なかった剣先が、塔の石壁を掠めた。
 刃の傷む音に怯むことなく、体勢を整えたナガセの目が、即座に次の動きを探している。

 ……幾分か、マシな顔になってきたじゃねーか。

 ヤマグチは口元だけを笑わせると、最後の一角ウサギを仕留めた。
 さて、すっかり戦闘の片付いたところで。ひよっと、どこかから現れたマツオカが辺りを忙しげに確認してから、ほっと一息。終了の合図代わりに、ぽんと手を叩く。

「はいはーい、おつかれっ。二人ともケガしてないね?」
「……マボ。何もやってないじゃん」
「オレ、僧侶だもん。僧侶に戦わせんの?」

 実際のところ、魔物退治専門の僧侶も大勢いるし(マツオカの養父に当たる僧侶などが、まさしくそうで)、僧侶用の攻撃魔法、武器防具も一応揃っている。
 彼が今現在、戦闘に参加しない理由は、至極明快である。

「武器持ってないし。攻撃魔法、得意じゃないし。てか、使うことになるとは思わなかったし……」

 ようするに、手持ち無沙汰なため、単純に肉体労働したくないらしい。
 ヤマグチが細い目で軽く睨みつつ、肩を落とす。

「だったら、ナガセの毒でも治療しとけ」
「うえッ、毒!?」
「放っておくと回る……あ、ナガセ、そのまま止まれ」

 情けない声を上げたナガセに静止を命じて、マツオカを手招きした。
 動かなければ回らない、バブルスライムの毒のようである。

「ん、出番?」

 この異常(弱冠)事態に、ちょこちょこ近寄ってきて意外にも冷静なマツオカが、ナガセには頼もしくもあり、ちょっと不安でもある。

「“……悪しき邪気を払う浄化の光を”」

 軽いノリそのままに、口元で小さく神言を詠唱する。
 さりげなくかざした右手を、淡く青白い光が包む。
 光の霧がふわりと、ナガセの目の前をも照らした気がしたが、次の瞬きの間に消えていた。

「ほい、終了」

 呆気ないマツオカの一言に、ナガセは反応も出来ない。
 点目のまま、ぱぱぱと、自分の腕をシェイクしたり、回したりしてみるが、どこにも異常は無い。むしろ、軽い。

「……すっごいマボ! やっぱ魔法使えるんだー!」
「お前……人を何だと思ってるわけ?」
「何ちゃって神父」
「おい」

 笑いかけたナガセだったが、次の彼の行動に、表情が固まってしまった。
 マツオカは、足下に落ちる魔物の残骸をこまめに寄せては、場を清めてやっていたのだ。

「魔物の善悪って、付け難いんだよね」

 そう言いながら、モンスターの痕に向かって小さく十字を切ったのを見て、ナガセの心は、少し、いやだいぶ、痛む。

「ナガセ」

 思うところを悟られたのだろう、ヤマグチに名を呼ばれた。

「あんまり考えるな……ってのはキツイかもしれないけど。今は割り切っとけ」
「……うん」

 そう簡単に割り切れるものでは無いと、ヤマグチも解っている。
 こと、ナガセに関しては尚更だ。
 二年、間近で見てきた彼の剣技は、最後の一歩が、いつも優しい。

「行こう」

 迷っていること自体が矛盾なのだ。
 いくらかは上達した剣技を、何のために使うのかと聞かれれば言葉に詰まる。
 練習と実戦とは全くの別ものだと、頭では分かっているはずなのだ、頭では。
 ふいと、颯と顔を上げたナガセは、フロアの奥を目指して歩き始めた。

 その歩みとは裏腹に、やり切れない思いが表情に出てしまっている。
 ヤマグチの覚った目と、マツオカの援護を促す目が合った。先に走り寄ったのはヤマグチだ。

「おい」
「うぉ……ビックリしたあ」

 その背後から、ナガセの首根っこを肘でがしりと固めてやる。

「……よし。やっぱり考えるか」

 肘固めで後ろに回せない視界の隅で、ヤマグチが笑う気配だけがある。
 ナガセは言葉の意味を考えあぐねて、大きく見開いた瞳で、三度瞬きした。

「え、ええ?」
「考えて考えて、自分で答え出すほうが早い」

 いつのころからか、世界には多種多様な生物がいて、モンスターと言われる怪物、いわゆる魔物も存在した。
 各国を渡り歩く行商人、旅人、冒険者、多くが不幸にも魔物によって命を落とす。
 そして実に難儀なことに、モンスターに襲われたら、反撃するしか身を守る術が無いのである。

「冒険者、なりてーんだろ?」
「……」

 ナガセは黙ったまま、だが強く、うなずいた。
 その目に覇気が戻っていることに、マツオカは少なからず安堵する。

「ま。んな小難しいこと考えるの、お前には無理だろーけど」
「あー! ひでぇマボ!」

 幼なじみの毎度のどつきあいを横目に、ヤマグチは少し眼を細めて、一人の戦士という立場で、フロアを振り仰いだ。

 絶対に避けられない問題のひとつふたつ、諦めてしまえば、確かに片は付く。
 だが、ヤマグチは時折、思う。
 どんなに不変的なことでも、自身の倫理に反する限り認めない、そんな往生際の悪い人種の中に、今、目の前に立つ一人がいる。
 本当に行動を起こせる人間がほんの一握りだとしても、彼ならば、否、彼だからこそと、ヤマグチは当てのない期待をかけてしまう。

 過大評価しすぎなのだろうか?
 ナガセが、いつか世界の摂理すら変えてしまいそうな、そんな青年に見えるのは。
 扉一枚隔てた向こうを、いくつかの物音が通りすぎていく。
 この会話の無い空間には、音が大きすぎる。

「騒がしいな」

 口にすると、さらに鳴り響く物音が臨場味を増すようだった。
 反対側の壁にもたれて座り込んでいた青年が、のろのろと顔を上げる。

「モンスターでしょ?」
「“何か”が来ないと、ここのモンスターは動かねぇよ」

 聖水で結界を張ったこのフロアに、扉を蹴破ってまで侵入するモンスターはいない。
 そもそも、周辺一帯、またナジミの搭に住みついたモンスターは、聖水を投げつけるだけで退散してしまうほど、保守的でレベルが弱いのだ。
 二人の敵ではない。
 近づいてきているのは、“別の手強い何か”、だ。

 耳を欹てると、階下に複数の靴音が響いていることに、簡単に気がついた。

「……潮時か」

 決意とも悔いとも取れる一言だった。
 耳にした青年はしばらく瞑目し、迷いだ思惟を振り払い、立ち上がる。矢先、荷袋を探り出した。
 “別の手強い何か”に対抗するために。

 その淡々とした様子を横目に入れながら、低い窓枠から覗いた空には、星がぽつぽつと散っていた。
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キアリー : 毒消しの魔法。